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 藤山高校の入学式は一週間前に終わり、二年生に上がったばかりの生徒は、今まで以上に浮足立っていた。もっとも、、周りが初対面ばかりの一年に、将来を見据えるべき三年と比べれば、この年が一番青春を謳歌するに適した時期と言えるだろう。今も、狭い三組の教室の中で、生徒が各々仲の良い友人を集めて談笑をしている。
 彼らの喧騒をよそに、桜庭康平は真横の窓から中庭を見下ろしていた。小さな噴水を囲うように置かれた四つの茶色いベンチの一つに、カップルらしき二人の男女が座って弁当を食べている。つまり、今日も穏やかな昼休みだ。
「やっすん、なに見てんの?」
 康平の後ろの席で、一人の男が彼の背中に声をかける。全身が筋肉で出来たような男は昼食を終えているようで、すでに机の上で眠る準備を始めていた。ちなみに「やっすん」というのはあだ名で、康平の読みが「やすひら」だと思っていたから呼ばれるようになった。
「ううん。ちょっと、うらやましいと思って」
「ふぅん。……お、なんだ、リア充じゃんか」
 中庭は今日は人の集まりが悪かったのか、そこに居たカップルは近くに誰もいないのをいいことに、互いの弁当を食べさせ合っていた。多くの男子はそれを羨ましがるか、恨めしがるのだろう。海斗は苦笑いを浮かべ、言った。
「え。やっすんお前、彼女募集したいクチか?そうなのか?」
「ち、違うよ。募集とかじゃなくて、その……」
 康平の煮え切らない回答に、海斗は笑顔で親指を立てる。変な誤解をされそうになりながらも、訂正するのが面倒だった康平は小さなため息を吐いた。
「はあ。まあ、大きくは間違ってないからそれでも……」
「そうかそうか。いやさ、俺、やっすんの恋愛なら応援してやるよ」
「あはは、それは嬉しいね」
「おうよ。相談ならいつでも乗るぜ!」
笑顔で親指を立てる海斗に、康平は苦笑いを浮かべる。康平にとって彼は、その手のことをもっとも相談できない人物なのだ。
 と、海斗が唐突に話題をあさっての方へ持っていった。
「なあ、夏休みどうする?」
「え、今から考えるの?」
 春も始まったばかりだというのに、海斗は随分と先を見据えているらしい。康平の問い掛けに、彼は、心底不思議そうに首をかしげた。
「これだから真面目さんは。夏休みはもう少し先だろ?だからさ、先の楽しみを考えているとさ、それまでは頑張ろうって気になるじゃん?」
「まあな。二年生が一番楽しいって兄貴が言ってたからな、今年は悔いを残さずめいっぱい楽しむつもりだぜ!」
「確かに、来年からは受験生だしね。楽しんだ方がいいかも」
「だろ?」
 康平はうんと頷き、遠くにいる生徒の背中を見る。栗原恵、彼女は康平の視線があることに気付かず、友人と楽しそうに笑っている。その笑顔を見て、康平はグッとこぶしを握った。今年中に、この想いを伝えなければ……。なんてことを胸に決意しつつ、恵に気付かれる前に視線を外した。
「……と、いう訳わけでだ夏休み予定、空けといてくれ?」
「はいはい。多分ほとんど空いてると思うよ」
「ようし。これでやっすんはクリア。あとは……」
 言って、教室から誰かを探すように辺りを見渡す海斗。すぐに目的の人は見つかったらしく、大きな声を上げてその名を呼んだ。
「おーい、栗原と橘ー、ちょっとこっち!」
 突然の大声に、名前とは違った人達の視線が集まる。その視線に交じり、名を呼ばれた二人が早歩きで康平たちの元に近寄った。
「なにー?どしたの?」
「週末なら忙しいけど、何かあったの?」
 栗原恵が元気な声で尋ね、橘楓が落ち着いた様子で補足する。だが海斗はチッチっと人差し指を立てて横に振り、また少年のような笑みを浮かべた。寄ってきた恵と肩がぶつかり、康平はさりげなく横に離れる。
「いやさ、夏休みの予定って空いてるかなーと」
「えっ、流石に考えるの早くない?」
 腰まで届きそうな長い髪の先をいじりながら、楓が同意を求めるように康平に向き直る。薄笑いを浮かべながら「僕もさっき、同じようなこと言ったばかりなんだ」というと、やっぱり、と口元に手を当てて小さく笑った。
「私は多分大丈夫。今年は帰省とかもしないって親が言ってたから。めぐは?」
「んー、どうだろ。私は半ばでおばあちゃん家行くからなぁ。うん、それ以外で頑張って空けましょう!」
 意気込む恵。そんなに無理をする必要は無い、とそこに居た全員が思ったが、彼女の持ち味でもあるので何も口を出さないでいる。皆が視線を彼女からそらす中、康平だけは彼女のことをじっと見つめていた。何度見ても愛らしい彼女の笑顔が、自分の真横にある。ただそれだけで康平は、自分の心臓が高鳴るのを感じた。頬に熱が帯びるのを自覚し、目が合う前にそっと反らした。
「おし。あとは大谷だな。橘、あいつどうだ?」
「ごめん、流石に分かんないな」
「なんだ、まだプライベート不干渉なのか?」
「うん……」
「そうけ。一年経って相変わらずとは、逆に尊敬するな」
「まあでも、僕だってあまり聞かれたく無いこともあるし、大谷君の都合は僕と新宮で聞いてみるよ」
 康平のフォローに新宮は「うむ、任しとき」と頷き、楓が「お願いします」と言って笑う。
 と、気まずそうになった空気を入れ替えるように、恵が手を挙げた。気付いた海斗が、教師のような真面目な表情(?)を作る。
「なんだね、栗原くん」
「あのさ、なんで四カ月くらいも先のこと、今考えてるの?」
「だからなぁ……」
 恵のごもっともな指摘に、今度の海斗は渋い顔になった。二度目の説明は面倒だったのだろうか、それとも恥ずかしかったのだろうか。
「ふふふ。めぐ、よく考えてみて?いくら楽しい楽しい二年生も、勉強に精神の大部分は持っていかれちゃうの。」
「確かに。勉強は私も嫌いだなぁ」
「でしょ?行き詰って大変なこともあるし、投げ出したくもなる。そんなとき、ふと考えてみるの。あぁ、もう少ししたら夏休みだーって」
「……なるほど、つまりあと少しって自分をふるい立たせてるんだね!」
「そういうこと。それに……」
 楓の簡単な説明を受けてやっと納得したようで、大きく頷いた恵は、楓から何やら耳打ちを要求されて耳を傾ける。
「な、なるほど……」
 ひそひそとした会話を終えた恵は、何故か顔が赤くなっていた。その様子を見た海斗は、今度は気まずそうに彼女から目をそらす。
 
 康平は気付いてしまった。栗原恵がチラチラと動かしては逸らしていた瞳に、新宮海斗の姿が映っていたことを。

「ごめん、僕ちょっとトイレ行ってくる」
「はいよー。……じゃあ次は何処に行くかを話し合おう」
「そこまでやっちゃう?まあ、時間はまだあるしいいけど」
 海斗は視線に気付いていない。新たな話題を提示した彼に乗って話を繋げていく皆を背中に、康平は足早にその場を去る。扉を横に開いて出ていった彼の背中を、楓だけが見ていた。
「……皆、不器用なんだから」