俺、阪上太一にとって毎日は平凡で退屈だった。学生という身分、学校に行って、本気で取り組んでもいない部活動を行い、毎日疲れて家に帰る。休みの日はそんな疲れを解消するように長い時間睡眠を取り、起きた頃には一日の半分が終わっている日だってある。
そんな勿体ない行動は本来ならしたくなかった。しかし、身体は回復に努めてしまうため、俺の意思なんて関係ないと言わんばかりに、強制的に眠りに尽かされる。
生粋のスポーツマンならそれが当たり前と言うだろうが、俺はスポーツマンでもなければ熱い心を持った体育会系の男でもない。俺は唯、適当に時間が潰せて尚且つ、運動不足を解消できる部活に入りたかっただけだ。
しかし、どの部活動も経験者が優遇され、初心者は募集されてはいるが、入部したとしても戦力外として扱われる。せいぜい試合に行く時の荷物持ちが増えた程度にしか思われないだろう。
初心者に優しく、初心者が続けられる部活動がないかと探している時、ある部活動が目に入った。
ヒュンッ、ストンッと静かな空間に何かを射抜く音が木霊した。音のした方を向けば、見えたのは一階建ての建物で、玄関から見えた中は、フローリングの床だった。
近づいてみると、また射抜く音が聞こえた。今度は音だけじゃなく、建物の横から細い棒状の物が飛び出す。弓矢だ。
矢は真っ直ぐ飛んでいき、壁にある的の真ん中に突き刺さった。先に撃った矢も真ん中に突き刺さっていて、放った人の上手さが素人目でも分かる。
この建物は弓道部のものだろう。
「ふぅー……」
小さく息を吐く声が風に乗って聞こえてきた。今まで放たれた矢に意識が向いていた所為か全く気付かなかった。いや、矢が放たれるということは、人がいると知っていたが、あまりに正確な矢だったため、それに夢中になっていた。
初めてその選手の存在に気づき顔を向ける。目に映ったのは長い黒髪を後ろで束ね、端正な顔立ちをした少女だった。
目を奪われるとは、この事を言うのだろうなと自覚した瞬間だった。彼女は誰が見ても美人と言うだろう。その位、彼女からは気品差が出ていた。
今度は息を深く吸い、呼吸を止め、弓に矢を通す。一連の動きが様になっており、何よりかっこよく見えた。
放たれた三本目の矢も見事、的の真ん中を射抜いた。
その時、不覚にも思ってしまったのだ。
入部しよう、と。
そう考えてしまった時点で、俺は今の面倒くさい毎日に、片足を突っ込んでいたのかもしれない。
滑稽な話だろう。自分から求めて弓道部に入部したのに、実際に馬鹿を見ることになるとは。過去の自分をぶん殴って止めてやりたい気分だ。
「見て見ろ阪上、今向かっている東京国立博物館には、大昔に使われていた弓と矢が展示されているらしいぞ!」
「へー、そうなんだー」
隣の席にいる奴が話しかけてきたため、俺は適当に返事をした。
「む、ちゃんと聞いているのか?」
「はいはい、聞いてるよ。最近は大会が近くて練習大変だよな」
「ああ、良い結果を残したいからな。って違う! 全然話を聞いてないじゃないか!」
一瞬誤魔化せたと思ったが、相手も馬鹿じゃないらしく、すぐさまツッコミを入れてきた。
俺の隣にいる奴は、俺と同じ弓道部で、俺が弓道部に入部する切っ掛けとなった少女。霧島怜美、初めて弓道部の建物を訪れた時、矢を放っていた本人だ。
最初は物静かな娘なんだろうと思っていたが、まったくの逆、熱いスポーツ魂を持ったスポ根少女だった。それだけで俺は苦手意識を持った。今まで碌に身体を動かしてこなかった俺にとったら、対局にいる存在、コミュニケーション力に長けていない俺では、仲良くなるのが難しい話だ。それに相手が女子というのもある。基本俺は女子とあまり話さない。話すとしても事務的なことだけだ。一言二言で話しは終わってしまう。そのため、あまり女子の免疫がない。
そんな俺がなぜこんなにも霧島と話せるのかと言うと、それは部活の所為もある。今年の弓道部に入部したのは、俺と霧島だけだったのだ。新入部員が二人しかいないため、必然的に協力しなければならない。そんな関係なため、俺は他の女子よりかは霧島と会話ができるようになった。
霧島も他の男子よりかは話しかけやすいのか、俺と会話することが多い。
だからと言ってこのバスの座席は隣同士じゃなくともいいと思うが。
「阪上は興味ないのか? 昔の人が使っていた弓矢に」
「ああ、俺は霧島と違って弓道バカじゃないからな」
「それでは私が弓道の事しか考えていないみたいじゃないか!」
「実際そうだろ」
というか、なぜ俺も興味がある前提で話されていたのだろうか。俺は一度もそんなこと言った覚えはないのに。
「聞けー、そろそろ博物館に着くから、降りる準備しろー。隣で寝てる奴は叩き起こせー」
担任の大西が呼びかける。
俺は大きくノビをする。長い時間座っていたため腰がポキポキと鳴った。
「楽しみだな!」
霧島の声は弾んでいた。
それとは逆に俺は沈んでいる。博物館に興味がないからだ。興味がないものに意識が向くはずがない。
俺はそこでいつもの癖が出てしまう。
「また、無駄な時間が始まる……」
隣にいた霧島には聞こえなかったようで、俺の小さな独り言は、バスの中にいるクラスメイトの騒めきにかき消された。
「阪上、次はあっちに行こう!」
「分かったから、少し落ち着け、あと静かにしろ」
東京国立博物館、俺と霧島は今その本館に来ていた。博物館に着いて直ぐに自由に見て回る事となったが、俺は霧島に引っ張られながら様々な場所を回っていた。
俺は周りの目を気にしながら霧島に付き添った。こんなに騒がしい奴を放っておくなんて出来なかった。それも部活内の身内をだ。
「ふふっ、彼氏さんも大変ねぇ」
「いや、あの、そういう関係じゃありませんから」
何を勘違いしたのか、俺はすれ違いながらそう言ったおばあさんに弁解する。それでもおばあさんは、にこやかに笑いながら去って行った。
「阪上早くしろー」
「分かったから、本当に騒がないで」
俺は周りにいる人たちに謝罪しながら霧島を追う。
しかし、霧島は博物館が好きだったとは意外だった。弓道でもあんなに楽しそうな笑顔はみたことがない。霧島の意外な一面を見れて、俺は不覚にも口角が上がってしまった。
今日は割と無駄な時間では、ないかもしれない。