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 縄文展――東京国立博物館で開催される展覧会だ。何かよく分からん国宝とか、何ちゃら文化財とか凄いものが集まっているらしい。
 私はそんなもの、正直どうでもいいんだけど……。

「ねぇねぇ、有香! 見て、縄文土器だよ」
 夏帆は違った。
 人もまばらで静寂に満ちた博物館を駆け回り、気に入った作品の前にへばりつき一時間以上動かないこともあった。
 そのせいでお団子に纏めていた黒髪がぐしゃりと崩れている。服装も、ミニスカートに生足だからあまりはしゃがないで欲しいのだけど。Tシャツ汗で透けて蒼いブラ見えてるし。
 何が楽しいんだか全く分からないけど、彼女の高いテンションは今もなお継続中だ。
「そうだねぇ、凄いねぇ」
「あ、テキトーでしょ?」
 夏帆はぷくりと頬を膨らませてみせた。この歴史オタクは生まれてからずっと歴史が好きらしい。偉人、食べ物、生活用品……今まで生まれたものは全て歴史の中にある、という痛々しいポエムさえ読んでしまう程だ。
 とにかく、適当にやり過ごそうと思っていたが、バレてしまっては仕方ない。私は夏帆の話にちゃんと耳を傾ける。
「見てくださいよこの、ボディー!」
 どこかで聞いたことある甲高い声が響いた。吹き出してしまうのを堪えつつ、傷一つ、指紋一つないガラスの向こう側に目を向ける。
 
 どう見ても、ただの壺だ。教科書で見たことあるようなやつ。

「使いにくそうだよね」
 正直な感想を告げる。
 夏帆はカチンときたのか、さらに声を高くして通販番組のような話を続ける。
「それだけじゃございません! 流れるような曲線、芸術的に彫り込まれた模様、成形困難な歪な……げほっ」
 むせてやがる。夏帆は少し咳き込んだ後、元の弾むような明るい声に戻して言った。
「焼くの大変なんだよ。昔の人の叡智が詰まってるんだよ? 感動してよ~」
 私の服を掴んですり寄ってくる。ちょっと可愛い、とか言ってる場合じゃない。
 参ったな。こんな事で泣きつかれるとは思わなかった。てか、『感動してよ』は無茶苦茶じゃない?
 夏帆は服をわざとぐいぐい引っ張って伸ばそうとしてくる。身体は大人だが、いじけ方は完全にお子ちゃまだ。
「せっかく、有香と初デートなのにぃ。有香、全然楽しそうじゃない~」
「ばか、あんま大きな声で言うんじゃない!」
 私の焦った声に、夏帆はニタリと意地の悪い笑みを浮かべた。私の身体をぎゅっと抱きしめて、息を吹きかけるように耳打ちをする。
「一階のとこでさぁ、大声コンテストみたいなの、やってたよね?」
 私の背中にぶるりと悪寒が走った。夏帆に抱きしめられて、暖かいはずなのに。
「そこでさぁ? 例えばだけど。私、有香と付き合ってます! って叫んだらどうなるかな?」
 なんてことを。あそこには、純真無垢なちびっ子が大勢いた。ここよりも遥かに危険地帯! そこで叫ぶなんて……。
 私は必死に頭を回転させた。人間の思考ってこんなトルネードみたいになるんだぁ、なんてことも思った。
「あそこ、確か叫ぶ言葉決まってなかったっけ?」
 苦し紛れにしては良かったと思う。しかし、こんなことで暴走する夏帆は止められない。下唇を舐めながら、私の耳にそぉっと言葉を吹き込んでいく。
「ん~? 直前で変えちゃえば、誰にも邪魔されないでしょお? 有香のおバカさん♪」
 
 まずい、これは本当にヤバい。
 汗がたらたらと全身を流れていく。夏帆の柔らかい胸が、腕が、じわじわと熱を伝えてきて。何か話そうと口を開けても、言葉が全く出てこなくて。どうしよう、どうしよう。一体、どうしたら……?

「なーんて、ね」
 ぱっと、熱が離れた。涼しい冷房の風が私の身体をすり抜けていく。ゆっくりと空気を吸い込むと、頬の紅潮も、いつの間にか早くなっていた心臓の音も、少しずつ落ち着いていった。
 私は、少しテンションを上げて夏帆に笑いかける。
「も、もー、冗談きついって」
 おどけた感じを出してみたけど、夏帆はまた、ニヤリと笑った。
「あれ? 冗談だと思ったの?」
 再び、そっと囁く声で私に告げる。
「本気、だったけどね。有香の反応が凄く良かったから、許してあげちゃう。感謝してねぇ」
 言い方に少しだけトゲを感じた。
 やっぱり、どこかで夏帆の機嫌を損ねちゃったらしい。言ってくれればいいのに。って思うけど、言わせられない自分の無力さがそれ以上に許せないよね。
「ありがと。夏帆が優しい子で良かったよ」
 気持ちを吐き出した私は、思わず顔を綻ばせてしまった。だって、夏帆が凄く嬉しそうな、楽しそうな、きらきらした瞳で私を見つめていたから。
 夏帆は首を傾げて、わざとらしく私に問う。
「ねぇ、ドキドキした?」
 夏帆の顔は淡い桃色に染まっていた。細めた瞳の隙間から、きらりと何かが輝いている。大人になっても、中身はお子ちゃま。純真無垢な……白い光。
 私は、彼女のワガママに振り回されることはあるけど、それでもこの無邪気さが、多分……好き、なんだと思う。
 私はつい、何だか照れくさくてその光から目をそらして答える。
「うん。まぁ、ちょっとだけね」
 ちょっとだけ、本当にちょっとだけ。夏帆のことが。
「土器だけに」
 やっぱ今のナシ。