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フィールドワーク実習
取材場所「防災館」
『大震災と子供心』著:縦椅子かんな

 三月十一日、東日本大震災のあったあの日、ぼくはまだ小学五年生だった。
 あの頃の日常をすべて覚えているわけではないけれど、日本を揺るがした未曽有の大災害の記憶だけは、今でもしっかりと脳裏に焼き付いている。
 震災が起こる数分前に遡ってみよう。たしか、帰りの会の途中だったはずだ。どの席に座っていたかは忘れてしまったけれど、ぼんやりと曇り空を眺めて、今晩はどんなメニューなのかなと子供さながらの妄想をしていたと思う。また、この日の帰りの会は、いつもと比べてうるさかった。だからといって、それが虫の知らせだとか、そういうスピリチュアル的な理論を展開できる要素になるわけではないが、とにかくうるさかったし、先生も注意していなかった。
 そうして会は進み、時計の針は十四時四十六分を指した。聞き慣れない不快なアラートが鳴ったかと思うと、ぐわっと床が跳ね、直後に大きな横揺れがやってきた。迅速かつ正確な先生の指示により、ぼくを含むクラスメイト全員は椅子の下に隠れ、揺れが収まるのを待った。きっと、子供ゆえの好奇心が引き起こしてしまったのだろうが、悲鳴に交じって笑い声が聞こえてきた。そして、それはぼく自身の口から零れていた。
 揺れが収まると、しばらく教室に留まることを命じられた。学校側が、生徒ひとりひとりの家族へ連絡を取るためだ。そのあいだ、ぼくたちは今しがた経験した自然現象について語り合っていた。
「すごかったね」
「俺が止めたんだぜ」
「怖かったぁ」
 実に子供らしい感想だ。仕方のないことではあるが、今この瞬間に生きているのがどれだけ幸福かなんて少しも考えていないのだ。
 いくら人生経験の多い先生、というより大人たちでも、ここまでの大地震に対応が滞ってしまったのか、なかなかぼくらは教室から出られなかった。ママは大丈夫かな。そんなこと友達と考えていた矢先、他のクラスの先生が慌ただしく入って来て、「テレビ点けて!」と叫んだ。
 担任はすぐさまはテレビを点けると、津波の映像が映し出された。
 泥色の波が家屋や漁船を押し流して住宅地に迫っていた。当時のぼくはそれが何を意味していたのかよく分からなかったが、ハイテンションで有名な担任が言葉を失っていたのは、十一歳の自分にある種のショックを与えた。
 それと、点滅する「つなみ にげて!」の文字がひどく怖かった。いつもは淡々としゃべるニュースキャスターが早口になっていたのも異質で、異常で、おそろしかった。けれどもぼくの目はテレビの画面から離れなかった。
 しばらくして引き渡し下校が決まって、ぼくは祖母に迎えに来てもらった。祖母は無事だった、むしろぼくを強く抱きしめて、胸をなでおろしていた。
 慣れ親しんだはずの下校路が閑散としている気がした。ところどころに地割れがあった。ぼくの家の前の坂道も割れていた。大好きな家の中が冷たかった。
 夜になって、家族も全員帰って来て、そして数日が経って、ぼくはやっと日常が終わってしまったのだと理解した。テレビはニュースしか観させてくれない、寝るときは両親がぼくを抱きしめて離してくれない、余震が来るたびに泣いてしまいそうになる。
 ここは知らない、ぼくの知っている世界じゃない。
 死んじゃうんだ。
 みんな流されて死んじゃうんだ。
 静かな夜に眠れないと、ぼくはそう考えてしまった。埼玉に海はないのに。
 学校が休校になったかどうかはハッキリと覚えていないけれど、少なくとも、クラスメイトと再会したときに、「久しぶり」なんて言わなかったから、何週間も家で怯えて過ごしたわけではないと思う。分らない、でも、そう思うことにしよう。
 埼玉は震度五強だったが、幸いにも生徒が欠けることはなかった。もしかすると、知人がなくなってしまった人もいるかもしれないが、それを聞く勇気があったのならば余震でビクビクしていなかったはずだ。
 なんにせよ、ぼくの世界はすぐに戻って来てくれた。退屈な授業、嫌いな算数、美味しい給食、昼休みのドッジボール……。子供というのは気楽でいいものだ。無垢ゆえに根に持つことが下手くそなのだから。
 ぼくとてそうだった。大震災よりも気に掛けていたことがあったのだ。それは好きな子の誕生日が三月十一日だったことだ。あの子のことはよく覚えている。家が近くて、何度も同じクラスになって、他の男子が彼女と話していると嫉妬して、そのくせ緊張してまともに会話できなくて、情けないくらいに懐かしい思い出だ。
 そんなあの子が、あの子が生まれた日が、日本人にとって最悪な形で忘れられない日になってしまった。
 大丈夫だった? 一言そう言ってあげたかった。でも、言ってあげられなかった。ぼくは遠くから眺めることで精一杯だった。そっとしてあげるほかなかった。
 その選択に後悔はしていないが、すっかり恋心が廃れてしまった今でも、彼女はどうしているのだろうと、ふと思ったりはする。誕生日を迎えるたびに、十一年前の記憶がよみがえってくるのだろうか。 
 それとも、過去として受け容れているのだろうか。

(了)