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 五月中旬、空が晴れ渡る日。俺は神保町に足を運んでいた。
「初めて来たけど、ぱっと見そこまで変わったところはない、か……」
 俺は辺りを見回し、独りごちた。
 今回俺がここに訪れた理由は、小説の資料集めの一環だ。この街はどうやら新旧問わず書店が多くあるらしく、珍しい本や資料となるものに出会えるのではないかと考えたからだ。
「それにしても、五月なのに結構暑いねー」
 横から耳に届いた声に、俺はそちらを向いて言葉を返す。
「別に、無理して付いて来なくても良かったんだぞ?」
「わたしが来たかったから来ただけだよ~。だから、朋希(ともき)が気にすることはないの」
「まあ、春(はる)那(な)がいいならいいけどな」
 凪(なぎ)宮(みや)春那――長い茶色の髪を持ち、水色のシャツに白いスカートを着た彼女は、俺と同じ専門学校に通うクラスメイトだ。
 先日神保町に行くことを話したら、一緒に付いて行くと言われ、今に至る。
 春那は俺と同じように辺りを見回すと、少し沈黙してから一言。
「なんか……結構普通だね」
「俺も同じことを思ったよ。だけど、見た目なんて関係ない場合があるからな。問題なのは、中がどうなってるかだ」
「そうだね。とりあえず、ここにいてもしょうがないし、歩かない?」
「ああ」
 そうして、俺と春那はひとまず目的地を決めることなく歩き出した。
 そして数十分後。
「……なあ」
「うん? どうかしたの? 朋希」
 きょとんとした顔で首を傾げる春那は、控えめに言って可愛らしかったが、今そのことはどうでもいい。
 問題なのは、彼女が手に持っているのがラノベの新刊であることだ。
「いやおまえ、せっかく神保町まで来たのに、最初に入ったのが普通の書店てどういうことだよ……」
 俺が溜息混じりに言うと、春那は眉尻を下げて困ったように笑った。
「あははは……ほら、新しく発売したやつとか、気になるんだもん」
「気持ちはわからんでもないが……」
 本好きの習性とでも言えばいいのか、特に買う予定がなくても本屋に入り、ぶらぶらと店内を歩きながら新刊のチェックや、好きなレーベルの本を手に取ってみたりてしまう。
 俺もこれまで、幾度となくそういうことがあったしやりもした。
 悲しいかな、気持ちがわかってしまうが故に責められない。
「ほら、朋希もチェックしない?」
「…………する」
 数瞬迷った果てに、俺は春那の言葉に頷いて新刊のチェックを始めた。
 それからしばらく、俺と春那は書店内で平積みされているものや新刊を眺め歩き、気分的に満足してから店を後にした。
「いやー、知らない間に結構面白そうなの出てたね」
「だな。あと、某膵臓はアニメ映画になるみたいだぞ」
「あ、膵臓かぁ。あれわたし好きなんだよね~」
 俺たちは再び街を当てもなく歩きながら、互いに思ったことなどを言い合う。
「でもおまえ、実写映画のときは観に行かなかっただろ? 今度は行くのか?」
「うん、アニメだからね。あれはやっぱり、実写じゃくてアニメでやるべき作品だよ」
「実写はダメか」
「うーん……ダメというより、個人的にアニメでやるべきだと思ったの。もちろん、実写には実写の良さがあるけど、膵臓はアニメのほうがいい作品になるよ! 絶対!」
 熱く語る春那の声を聞きながら、試しに膵臓の映画を観に行こうと思っていた。
「ところで、次はどこに行くの?」
「さて、どうしたものかね。来たはいいものの、正直なにがあるのかまったく知らないし……ん?」
「どうしたの?」
 急に立ち止まった俺のことを数歩追い越して、春那がくるりと振り返りながら訊いてくる。
 俺は春那に横の建物を指で差しながら、窓から見える店内を覗き込む。
「えっと……NANYODO……? 一応本屋さんみたいだけど、気になるの?」
「ああ。この店からは、俺の求めている本がある気配がする」
「えぇ……」
「おいこら、そんな引くな。というかなぜ引く」
「いや、表現のし方がちょっと気持ち悪いよ……」
「ぬっ……ま、まあそこのことはいい。ちょっと入りたいんだが……」
「いいよ。せっかくだし、入ろ」
 春那からの了承も得て、俺たちは小さなその書店へと入る。
 スペースはそこまで広くないものの、吹き抜けで二階まであり、本の数はそこそこの量がありそうだった。
 まずは一階にある本棚をじっくりと眺め、どういったものがあるのかを確かめる。
 どうやらこの書店は、主に建物や建築系に関する本を置いているらしい。西洋の建物から日本家屋や教会などの資料もある。
 その中で、俺は神社に関する本を発見した。
「おぉ……! おぉぉ!」
 本棚からその本を取り出し、ぺらぺらとページをめくる。その本は様々な神社の図形トでも言えばいいのか、ともかくそういうものが載っていた。
 手に持つ本があった付近を見れば、他に神社に関する本はいくつかあり、そのどれもが俺の興味を惹くものであった。
「なにかいいものでもあったの?」
 横から春那が俺の持つ本を覗き込みながら尋ねてくる。
「ああ、俺はちょうどこんな感じの本が資料として欲しかったんだ。あとこれとこれに……これも良さそうだな」
「んー? 神社、日本家屋、明治の日本建築……なにに使うの?」
「そんなの、小説に決まってるだろ」
 なにを当たり前なことを訊いているのだろうか。
「和物を書きたくてな。この手のいい資料を探してたんだよ」
「じゃあ、朋希にとってここはあたりだったんだ?」
「その通りだ。さっそく会計をしてくる」
「うん、いってらっしゃい」
 俺は欲しい数冊の本を持ってレジへと向かい、代金を支払って春那とともに店を出る。
「この後はどうするの?」
「近くに三崎稲荷神社っていうところがあるみたいだから、そこに行きたいな」
「はーい、それじゃあ行こっか」
 俺たちは次なる目的地を決めて、神保町の散策を再開したのだった。

 

 

                               〈終わり〉