頭が痛い…。そう思いながらフッと目を覚ます。
一瞬、自分が何処に居るかわからない感じ。まどろみの中少しずつ現実にかえって行く
そうだ、今日は学校から帰ってきて課題をしなきゃと机に向かって暫くして多分寝てしまったんだ。突っ伏していた手がうっすらしびれている
すっかり陽が落ちて暗い部屋の明かりのスイッチを入れる。
電気をつけて部屋が明るくなったのと同時位に「何か臭う?」と感じた。
机に置いた携帯で時間を確認すると二十時四八分と表示されている。
「お腹空いた」独り言が出た。
今日、両親はそれぞれ会社の忘年会で帰りが遅いと言っていた。コンビニに寄るのが面倒で帰ってきてしまったけど、台所に降りて行ってなにか作るのも気が乗らない。こんな事ならコンビニによれば良かったと後悔したものの、お腹は空いている。
「仕方ない台所に行って何か作ろう」
そう思ってドアノブを握って開けると、目の前が真っ白な煙が大量に入って来たと同時に、びっくりしてその煙を吸い込んでしまいしゃがみ込む。何が起こったのか全く分から なかった。せき込みながら思ったのは「ヤバい、逃げなきゃ」
とてつもない恐怖を感じたけれど、本能的に外に出なければと思った。玄関に向かおうと階段を下りて行く。熱い。息が出来ない。立っていることが出来ず四つんばいで玄関へ進んでいく。でも目も痛い。頭がクラクラする。
もう駄目かも、朦朧とした意識の中、熱いのか痛いのかわからない…鼻の奥がツンとして目の前が真っ暗になった。サイレンの音が聞こえた気がした。
頭の上で声がする気がする。何だろう、喉が痛い。顔もピリピリしている感じだ。
気のせい? いやいや痛い。
「痛い」
声に出して目を開ける。
「目を覚ました。パパ先生を呼んで! 梓、解る? 梓!」
大きな声でそう言いながら涙でぐしょぐしょの顔したママが抱き着いてくる。その途端、体に痛みが走る
「痛い、痛い!」
ママをはねのけた。
「ごめんね」
ママはあたふたしている。先生とパパがやってきた。
「良かったですね。煙を吸い込んでしまったのと軽いやけどはありますが、大丈夫でしょう。明日念のため、検査して結果大丈夫なら退院できますよ」
病院の先生が両親に言った。
「ありがとうございます」
両親が言うと先生は「今日は簡易ベッドもいれましたので、ご両親もこのままここでお休みください。」と言い、会釈をして病室を出て行った。
先生が出て行ってから、ママからざっくり話を聞くと家で火事が起きた。
火は大したことは無かったが出火原因を警察も調べるということだったらしい。
私が一人で在宅していたから意識が戻り次第話を聞きに刑事さんがくるだろうとパパに言われた。
明日から暫く大学には行かれないかも。課題は事故ってことで単位は貰えるかしら?
後は、この火傷は後が残ったらどうしよう。自分の身近な事が気がかりのまま眠りについた。
翌日からは、精密検査をして刑事さんが様子を見に来て両親は家の状態を見に行ったりとバタバタとしていた。十二月ということもあり、火災保険の審査や当面の住居だの、スムーズな進行にならずイライラしたが年末は仮住まいのアパートで親子三人無事に年を越すことが出来た。
火事は放火ということだった。
田舎な我が家は、駅から車で二十分ほど走った所にあり、住宅もチラホラ立っている程度で夜は静かで人通りもない。更に、車で二十分ほど走ると工場地帯がある。
ここら辺に住んでいる人の犯行ではないらしい。刑事さんが調べてくれている。
親子三人でこれから暮らしていくのに放火された家を売って引っ越すか、修理して住むか両親は悩んでいた。
犯人が捕まらないなら万が一、また放火され家族の誰かに何かあったらローンは大変だけどマンションを買って安全にという方向になって行った。
火傷の傷も良くなり、中古ながらそこそこ綺麗なマンションに暮らし始めた矢先に刑事さんから犯人が捕まったと連絡が入った。
工場地帯に勤務している人だった。私を駅から自転車で自宅に帰る姿を何年もずっと見ていたと言ったらしい。あの日、車庫に車がある事から、両親も在宅していると思ったが勝手口から侵入すると両親の不在が分った。私の部屋に来たが鍵が掛かっていて、ノックをしても反応が無かった。玄関に靴があるので部屋に居るのはわかったから火災を起こして助けたら、私のヒーローになれるかもしれないと思いリビングのファンヒーターを点火し近くにひざ掛けを置き、台所でフライパンを火にかけたのだと言う。火事を起こしたのだ。
もし、両親がいたら殺害していたと供述していて、私が部屋から出て来なければ仕方がないとあきらめたと言ったらしい。ゾッとした。死んでしまったら仕方ないと言う犯人の勝手さが何だが生々しかった。
私はその人に見られていたことも後を付けられていたことも自宅を特定されていたことも気づいていなかった。
ニュースで見聞きしていた話が実際自分の身に起きた事を、私たち家族は何年かけて消化して行くのだろうか。犯人は、施設育ちの孤独な人だったらしい。仕事先でも虐めに合っていたそうだ。他人事なら犯人も辛かったよねと思ってあげられるのかもしれないが、当事者の私たちにしてみれば、許せない事である。