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 楽しい時間が、特別な時間が、やけに早く終わってしまう。そう感じたことはないだろうか。
 もっと続けば、もう一日あれば。そんなことを考えたことが、誰にでも一度はあるのではないだろうか。
もし本当にそれができるとしたら……

 

『次は京都、京都に到着です。お忘れ物のないようにーー』
 アナウンスの声に合わせて目を覚ます。唯一の荷物であるリュックを背負い駅のホームへ降り立つと、蒸暑い嫌な空気が出迎える。夏の終わりとはいえまだ日差しは強く、立っているだけでも汗が吹き出してくる。
「ただいま」
 思わずそう呟く。
 今日以前に京都へ来たのは二回だけだが、今回はそう言わずにはいられない。
慣れた人混みを抜け、駅の外へ出る。
今回はどこへ行こうか。一日しかないからそう遠くには行けない。

悩むのも面倒だったので、とりあえず川辺を歩いてみる。
名の知れた観光地を巡るのもいいが、こういった何気ない場所でのんびりするのも悪くない。
正直、川を見ても他との違いなんてわからない。すれ違うのもランニング中の若者や自転車に乗った親子、散歩をしている老夫婦と、どこでも見れる光景だ。だが、ふと川沿いの建物を見れば、古風な建築が多く、京都らしさを感じることができる。

 有名な飛び石のある場所に着く頃には小雨が降り出していた。川の増水量からして、さらに上流ではもっと前から降っていたのだろう。
この雨は強くなるので先んじて傘をさす。雨が降りだしたということは、もう昼過ぎ。昼飯をどうするか、どうせ戻るなら食べないという選択肢もありか。
そんなことを考えながら視線で飛び石を辿っていくと、対岸から二、三個目の石に赤い雨合羽を着た四、五歳の女の子を見つけた。
たしかに雨もまだ小雨だし、人がいないわけでもない。とはいえ、飛び石に挑戦するにはいささか危険すぎるほどに川は増水している。ましてやあんなにも幼い少女、親でなくともだれか止めるべきだ。
だが、だれも見向きもしない。気づいている様子もない。
そのまま見守っていると、案の定というべきか、ちょうど真ん中あたりで少女は足を滑らせ、川の中へその姿を消した。
それでも反応する人はいない。まるで見えていないかのように振舞っている。いやまあ、実際見えていないのだろう。
オレは生まれつき霊感が強く、幽霊だとか妖怪だとか神仏だとかの、一般人には見えない霊的存在を認識できる。
つまりあの少女は幽霊ということだ。その証拠に先ほど流されたはずの赤い雨合羽の少女が、オレの手をつかみ引っ張っている。
その手はとうてい生物と思えないほどに冷たく、その力は少女ではありえないほど強い。
「ねエ、遊ぼウよ」
声とともに引く力がより一層強まる。もしオレが見えるだけだったら、このまま連れていかれ、無謀に飛び石に挑戦したバカな学生の水死体が一つできあがるだろう。そうだったらの話だが。
「うるさい。『きえろ』」
誰にも聞こえない程度に呟く。それだけで少女は手をはなし、不満そうな顔で消えていく。ついでに周囲の人も減った気がする。
まあ、オレの言霊は特別強いらしいし、耐えられないのはしかたない。条件こそ厳しいが、その気になれば神にも通用する。

しばらく川を眺めていたが、雨も激しくなってきたので移動を開始する。
昼だか夜だかわからない飯を食べ、いくつかの神社仏閣を巡る。やはり午後は雨のおかげで人が少なくていい。かわりに霊的存在は増えるが、一言呟けば消えるので問題ない。

やがて日も暮れていい頃合いになったので、最後の目的地――伏見稲荷大社へ向かう。
厳密に言えば目的はこの空間自体。門であり境界である鳥居が乱立し、結界を造り世界を創る場所。
その頂点を目指す。
 入ってはじめの方は、平坦な石畳に、並び立つ朱色の鳥居がライトアップされている。延々と続くそれは、どこか遠くの世界へ続く道のように思える。降りしきる雨もこの幻想的な空間の演出に一役かっている。
 しばらく進むと道は石段となり、先へいくほどに段差もきつくなっていく。
 雨も相まってかなり危険な道だが、もう慣れた。
 
山頂に着くころには十一時を過ぎていた。
そこは、古びた石の社が街灯のような無機質な灯りに照らされており、どことなく寂しげな場所。例えは悪いが、墓地のような独特の雰囲気のある空間だ。
「ギリギリ……いや、ちょうどか」
社の上、やや風化した屋根に、一匹の白狐が座り、空を見上げている。
ヤツがここの主。上位の神格。それでいて油断をしている格好の獲物。
気づかれないように忍び寄る。
社の下に着いたらその長い尻尾をつかみ、相手が反応する前に命令する。
「『きょう』を『もどせ』」
白狐が驚いた顔をみせ、すぐに悔しそうな表情をする。
「小僧……」
白狐が口をひらくが、それよりも早く世界が歪む。
背中から落ちていく感覚。
ビデオの巻き戻しのように、今日の出来事が逆の順番でフラッシュバックする。
暗転。
 身体から感覚が消える。

 

 

『次は京都、京都に到着です。お忘れ物のないようにーー』
 アナウンスの声に合わせて目を覚ます。唯一の荷物であるリュックを背負い駅のホームへ降り立つと、蒸暑い嫌な空気が出迎える。夏の終わりとはいえまだ日差しは強く、立っているだけでも汗が吹き出してくる。
「ただいま」
 また呟く。
 動きを完全に覚えた人混みをぬけ、駅の外へ。
 空を見上げる。太陽が眩しい。前髪が少し邪魔なような気がする。まあ気のせいだろう。
 今回はどこへ行こうか。