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『黒電話の呪い』著:えん
※本来のこの作品はテキスト内のフォントが変わったり、画像が差し込まれたりしているのですが、サイトの関係上同じフォントかつ画像がありません。興味がある方は「小説創作科」の体験入学に参加して、実際の本をゲットしてください。

 幼い声が聞こえる。
 ――どうして? なんでみんなに、おしえてないの?
 今にも泣き出しそうな、女の子の声。
 ――ハルくんは、わるくないもん。
 その名前は、私に従兄弟のことを思い出させる。
 一〇年前。私がまだ五歳のときに、大学生だったハルくんは死んだ。
 幼い声に、どろどろとした憎悪が混ざる。

 ――わるいのは、まっくろな、でんわだもん。

 そんなの、ずっと昔から分かってる。
 私はPCを開いた。
 今まで集めた情報を読み直す。

 

二〇二三年五月 あるブログより

【都市伝説:黒電話の呪い】
 上野にある国立博物館の館内には、複数の黒電話があるのを御存じだろうか?
 次の写真は、その一例である。
[画像]
 
 
 黒電話には、『お手を触れないでください』という注意書きがされている。
 この黒電話は、今も内線として使用されているそうだ。それ故、部外者に悪戯されないよう、こんな注意書きがされていると考えられる。
 しかし、本当にそうだろうか?
 こんな噂がある。
 
 中学生のAくんは、校外学習の一環で国立博物館を訪れたという。
 お調子者の彼は、ふざけて黒電話の受話器を取り、自らの耳に当てた。
 そして、誰かと話し始めた。
 Aくんの友人達は、初め、それをAくんのボケだと思ったそうだ。Aくんは黒電話のダイヤルを回していないのだから、どこかに繋がるはずがない。Aくんが電話の向こうに「え、誰だよ」「どっからかけてきてんの?」「親は?」「なあ、無視すんなよ」と話しかけるのを、友人達は笑いながら見ていた。
 けれど、次第にAくんの様子がおかしくなる。
 呼吸が荒くなり、顔色が悪くなっていくのだ。Aくんは「なんで」と呟いてから段々と怒り始め、「ふざけんな」などと悪態をつくようになった。
 その後、Aくんは受話器を本体に叩きつけるように電話を切った。
 友人達はAくんに何があったのか聞いたが、彼は詳細を語ることはなかったという。
 その日から、Aくんは変わってしまった。
 常に不機嫌で、誰もいない空間に向かって怒鳴ったり、急に泣いたりと精神的に不安定になった。校外学習の一週間後には、不登校になってしまったという。

 この噂が事実だとすれば、黒電話には触れた者を『呪う』性質があると考えられる。
『お手を触れないでください』という注意書きは、呪いの発生を防ぐためのものだったのだ。
 考えてみれば、令和の時代にわざわざ黒電話を内線に使うなんて、不便でしかない。それでも黒電話が残っているのは、もしかしたら呪われてしまうから撤去できないのかもしれない。
 関連性があるかは不明だが、二〇一三年の大学生いじめ殺人事件の犯人である関口陽翔(20)も、事件の約一ヶ月前に国立博物館を訪れていたようだ。
 黒電話について、詳しいことは何も分かっていない。

 

二〇一三年五月 あるニュースサイトより

東京都台東区同級生連続殺人事件 ――「面倒見のいい好青年」はなぜ凶行に至ったのか?

 二〇一三年五月一八日、都内のホテルにて、当時大学生の関口陽翔(20)が、大学生五人を殺害した。関口や大学生らは中学校の同級生であり、事件当時は約三〇名で中学校の同窓会を行っていたとみられる。
 その後、関口はJR上野駅のホームに飛び込み、電車に撥ねられ死亡している。

 関口はどのような人物だったのだろうか?
 関口が一人暮らしをしていたマンションの住人によれば、顔を合わせば挨拶してくれる感じのいい青年だったという。関口の親戚からも、近所に住む五歳の従姉妹の面倒をよく見てくれるなど、優しい人柄であったとの証言がある。大学でも関口の友人は多く、誰もが「殺人を犯すような人には見えなかった」と口を揃える。
 しかし、事件現場となった同窓会に出席していた元同級生からは、「気が弱く、暗い感じ」という真逆の印象が語られた。
 さらに、元同級生は、関口と被害者らの関係について、驚くべき事実を明かした。
 関口は、被害者らによって壮絶ないじめに遭っていたというのだ。

(中略)

 ……このように、『いじめ』という名の犯罪行為が繰り返されていたのだ。
 今回の事件は、いじめられていた者による復讐だったのである。
 ただ、今回の事件については、まだ一つ謎が残されている。
 関口はなぜ、大学生になった今、復讐に走ったのだろう?
 中学卒業後、関口は被害者らとは別の高校に進学し、被害者らとの関係は切れている。大学進学後も、関口と被害者らとの間に接点はない。
 同窓会の招待状が届いたことがきっかけとされているが、それだけで好青年が殺人犯に変貌してしまうものだろうか。
 今後も、我々は調査を続けていく。

 

二〇一三年五月 ハルくんの大学ノートに書き残されていた日記より

 声が聞こえる。
 ずっと聞こえる。頭の中。眠れない。黙れ。黙ってくれ。
 母さんから電話。無視した。ごめんなさい。ゴールデンウィ―クなのに帰れない。
 叔母さんが尋ねて来た。藍ちゃんも。居留守を使った。
 藍ちゃんは悪くないんだ。でも。今の俺では。
 泣きたいのは俺のほうなのに。
 どうして。
 もう黙ってくれよ。
 俺はもう忘れたいんだよ。

 

二〇一三年四月 ハルくんのPCに残されていた日記より

 四月二〇日(土)
 今日は国立博物館に行った。大学の課題を消化するためだったんだけど、うっかり藍ちゃんにその話をしたら「行きたい!」スイッチが入ってしまったので、一緒に連れて行った。
 藍ちゃんが黒電話の受話器を外しちゃったときは慌てたな。とっさに取り上げたけど……。
 受話器から、何か変な声がしてた。どこかに繋がっちゃってたか?
 職員の人に怒られるのが怖くて、つい逃げてしまった。藍ちゃんの前なんだからしっかりしないとダメだったな。反省。
 でも、あの声は何だったんだろう? 妙に耳に残ってる。
 あれは子供の声だった。
 なんでか分からないけど、男だった気がする。
「どうして」って言ってたよな。何が「どうして」だったんだろう?
 確実に空耳だろうけど、こんな感じの続きだったと思う。
「どうして、殺してないの」
 物騒すぎるな。
 本当はなんて言ってたんだろう。

 

 ハルくんの――関口陽翔の情報は、膨大な数存在する。
 それだけ大きな事件だった。ハルくんがいじめられていたことが明らかになると、世間は一気にハルくんに同情的になり、被害者遺族は凄まじいバッシングを受けて、失職したり自殺したりしたらしい。政府がいじめ対策に本格的に取り組むきっかけにもなった。
 でも、誰も、国立博物館の黒電話については取り上げなかった。
 たぶん、黒電話について取り上げたのは、今年の都市伝説ブログが初めてじゃないかな。
 あのブロガー、あの記事を最後に更新しなくなっちゃったけど。
 もしかしたらあの人も、黒電話の声を聞いてしまったのかな。
 今の私や、ハルくんと同じように。
 一〇年前、私がハルくんと国立博物館に行った日。私が興味本位で黒電話に触って、受話器が外れてしまって、ハルくんが受話器を拾い上げた――あの瞬間から、ハルくんはおかしくなった。どんな展示を見ても、二言目には黒電話の話題になる。ハルくんは何度も言っていた。
「黒電話の相手は、何て言っていたのかな」
 それは、怖いくらいの執着だった。私に聞いてもわかるはずがないことを、ハルくんは繰り返し繰り返し尋ねて来たのだ。
「黒電話の相手は、何て言っていたのかな」
 今ならわかる。
 ハルくんは、きっと、相手の声を聞きとれていた。
 聞き取れていたけれど、否定してほしくて私に尋ねて来たのだ。
 けれど、あのときの私に声は聞こえなかった。まだ五歳の私には、あの黒電話の条件に合致する『声』がなかったのだろう。
 私がそれを理解したのは、先日、国立博物館に行ったからだ。人気のないタイミングを見計らって、黒電話の受話器を自分の耳に当てた。
 あのとき聞こえた声は、今も頭の中に繰り返し響いている。
 ――どうして? なんでみんなに、おしえてないの?
 ――ハルくんは、わるくないもん。
 ――わるいのは、まっくろな、でんわだもん。
 声は日に日に大きく、はっきり聞こえるようになってきた。
 だからもう、認めざるを得ない。

 この声は、幼い頃の私だ。

 幼い頃の私が、今の私を責め立てるのだ。
 あの黒電話は、過去の自分が『未来の自分ならできるはず』と期待して、けれど達成できなかったことへの憎悪を届けてくる。
 幼いせいで分かりにくい表現になっているけど、過去の私はこう尋ねているのだ。
『どうして、ハルくんは悪くないって世間に訴えないの? 全部黒電話のせいだって、わかってるくせに』
 全く、無茶を言ってくれる。黒電話の呪いだなんて、誰が信じてくれると言うのだ。
 もしかしたら何か分かるかもと情報収集してみたけれど、あの黒電話の呪いに関する情報は何も出てこなかった。似たような事例もほとんどない。
 それでも、私は確信している。
 一〇年前。ハルくんは、中学生の自分の声を聞いたのだ。
「どうして、いじめてきた奴らを殺してないの」
 そんな意味の言葉を、毎日毎分毎秒ぶつけられて、眠れなくなって、精神がすり減って、殺人犯になってしまったのだろう。あの人は優しくて生真面目で、なんでも真剣に受け取ってしまう人だったから。
 私は、あの人のそういうところが好きだった。
 子供の話をきちんと受け止めてくれる、そういうところが大好きで、たぶん、初恋だったのにな。
 どうして、こんなことになっちゃったかなぁ。
 ――どうして? なんでみんなに、おしえてないの?
 声がする。私にハルくんの事件を蒸し返させようとする、無邪気で愚かな子供の声が。
 私はため息をつく。
 誰に何と言われようと、こんな悪趣味なホラーを語るために、ハルくんの事件を引っ張り出すわけにはいかない。罪のない叔母さんや叔父さん、被害者遺族をいたずらに傷つけるだけだ。
 高校生になった私は、幼い私に返答する。
「いつか、大きくなったら分かるよ」

(了)