「………」
朝唐突に目が覚め、俺は体を起こす。
頬を伝い、なにかが俺の手の甲に落ちる。
「……涙?」
長い長い、夢を見ていたような気がする。
一瞬、脳裏をなにかが掠めたような気がしたが、それがなんであるかを思い出せない。
俺は手で涙を拭い、ベッドから立ち上がり閉まっていたカーテンを開ける。
起きたばかりの目には少し辛い、夏の朝日が入ってきて、窓を開けてみると心地良い風が頬を撫でる。
「………」
なにかが、欠けている……そう感じた。
心にぽっかりと、空白があるような虚無感。
月神優十という人間を構成する中で、一番大切なモノをなくしてしまったかのように。
空はどこまでも広がっている。青く澄み渡り、太陽が道を照らしている。
篝火の空――もう誰も迷うことはない、ずっと先の未来まで照らされている。
もう繰り返すことも、巻き戻ることもない。
「さて、今日も――いや、今日から頑張っていこう」
道が見えるのならば、その先に進もうではないか。
「おーう、おはよう優十」
「ん? ああ、おはよう、柚紀」
教室に入ると、紬原柚紀が声を掛けてくる。
「……なあ、おまえなんかあった?」
「はあ……? 急になんだよ」
「いやさ、今日のおまえはなんか、こう……寂しそうって言うか……」
上手く表現出来ずに、言い倦ねているようだった。
「別に、なんもないよ」
「んー、そうか? 優十がそう言うなら、いいんだけどさ」
「そうそう、俺が良ければいいんだよ」
適当にそう返事をしながら、俺は自身の席へ向かい腰を下ろす。
それから朝のホームルームが終わり、午前の授業が消化されていく。
いつもならちゃんとノートを取っているのだが、今日は気分が向かないので、ずっと窓の外を眺めていた。途中、とある先輩のことを思い出し、今日だけはその人が羨ましく思えた。
昼休みになり、俺はいつもどおり裏庭へと向かう。
そこではいつもと変わらず、俺の先輩が楽しそうに読書に耽っていた。
「あら、今日も大変そうですね、優十」
「ええ。先輩と違って授業に出てますから」
「その割には、ずっと外を眺めていたようでしたが?」
「うっ……なぜそれを……」
ちょっとした皮肉をぶつけてみたのだが、先輩は妖しく微笑みながらそう返してきた。
「今日は校舎内を適当に歩いていましたから。そのときに優十の教室も覗いてみたんです」
「はぁ……相変わらず、自由な人ですね、先輩は」
「自由なんて、ちっぽけなものですよ。それより、座らないんですか?」
「ああいえ、お言葉に甘えて」
置いてあった椅子に座らせてもらい、テーブルの上に弁当を広げる。
「……今日の優十は、なんだか元気がないですね」
「それ、クラスのヤツにも言われました。そんなに元気ないように見えますか?」
「ええ。なにか、大切なモノをなくしてしまった……そんな顔をしてます」
「……なにも、なくしてなんかないです。でも、心に空白があって、どうしても気になってしまうんです……」
「……優十の道は照らされていますか?」
「え……?」
先輩の言葉の意味、それをなんとなく理解し、考えた末に首を縦に振る。
「なら、きっと大丈夫です。そのまま、自分が信じた道を進んでください」
「……はい」
その後、俺と先輩は適当に言葉を交わしながら弁当を食べた。
先輩とはいつもこんな感じで、たまに勉強を教えてもらったり、たわいない愚痴や相談なんかをしている。
「そういえば、先輩は授業に出ないんですか?」
「……そうですね、せっかくなので、今日の午後に出てみましょうか」
「…………マジですか?」
「マジです」
先輩が授業に出るなんて、明日は雪かな、などと内心思いもしたが、あえて口には出さない。
俺が弁当を食べ終わった後、先輩と二人で校舎の中に戻る。
教室に向かう廊下の途中で、俺は一人の少女を見つける。
腰まで届く長い茶髪に、優しい笑顔を浮かべて、隣にいる小柄の長い白髪アホ毛が目立つ少女と楽しそうに会話している。
そして俺たちは擦れ違う。わずかな心のざわつきを無視して。
「………」
唐突に、目が覚めて体をゆっくりと起こす。
頬に流れるものを感じ、指先だけで触れてみる。
「……涙?」
なにか、悲しい夢でも見ていただろうか。
確かに、果てしなく長い夢を見ていたような気もするけど、わたしが見ていた夢は……どこまでも辛くて幸せな、そんな夢だったと思う。
なんとなく、心に空白を感じた。
火ノ神桜織を形作る、なにか大切なモノが抜け落ちている。
わたしはベッドから降りて、障子を開ける。夏の朝日が寝起きのまぶたを刺激して、思わず目を少し閉じる。
夏の空はどこまでも青く、澄み渡っている。
「……道は照らされてるよ。だから……」
だから……その先の言葉を紡げない。
なにを言っていいのかも、ないを言うべきなのかも……わからない。
思い出せそうで、思い出せない。パズルの最後のピースが目の前にあるのに、それを掴むことが出来ない。
だけど、それでも……わたしは信じて待っていることにした。
「あ、桜織センパーイ!」
学校に行く途中で、後輩のはるちゃんと偶然出会った。
「おはよう、はるちゃん」
「はい、おはようございますです」
小柄で長い白髪アホ毛が目立つ女の子。少しドジだけど、いつも元気で明るいわたしの後輩。なんとなく頭を撫でたくなってしまう。
「……桜織センパイ。なんだか、元気ないです?」
「え……そう?」
「はい。なんだか、寂しそうです」
寂しそう……悲しそうではなく寂しそう、か。まったく、鋭い子だな。
「大丈夫、わたしは平気だよ」
「そう、ですか……なら、はるは気にしません」
その後に、二人で一緒に学校まで行き、下駄箱でそれぞれの教室に向かうために別れる。
教室に入って何人かの友だちと挨拶した後、朝のホームルームが始まり連絡事項が伝えられる。ホームルームが終わった後は授業が始まり、あまり気分は乗らなかったけどノートを文字を綴っていく。
それでも時々、わたしは窓の外に目を向けていた。
大丈夫、色褪せてなどいない。ならば信じて待っていよう。
そう、何度も自分に言い聞かせた。
昼休みははるちゃんがわたしの教室まで来てくれるので、わたしはいつもはるちゃんとお昼ご飯を食べている。
様々な談笑をしながら食べるご飯は美味しかった。でも、いつもより味気ないような気がした。
昼食を食べ終わった後は、はるちゃんと一緒に校内を歩いていた。
そこで、わたしは一人の男の子を見つけた。
隣にいる女性と楽しそうに会話している。でも、彼の顔はどこか少しだけ、寂しそうだった。
そして、わたしたちは擦れ違う。こころの痛みを無視して。
そんな二人のことを見て、私は覚悟を決める。
そもそも私が原因なのだから、すべての後始末を私がやるのは当然のこと。
大丈夫、きっと二人なら思い出してくれる……私はそう信じてる。
午後の授業はいつの間にか終わり、気付けば俺は帰り道を歩いていた。
太陽が傾き始め、オレンジ色に染まりつつある空に向けていた目を、俺は前に戻す。
すると、俺が進むのとは反対側から、同じ学園の制服を着た、長い黒髪を鈴の髪飾りでツーサイドアップにした少女が歩いて来る。
学園の制服を着ているが、見たことがなかった。いや、全校生徒と知り合いとうわけでもないのだから、当然と言えば当然なのだが、結構特徴的な少女だ。
そして、俺と彼女が擦れ違う寸前、チリン――という鈴の音とともに、
「桜織が待ってる。行ってあげて」
そう彼女から、俺は告げられた。
慌てて後ろを振り向くと、彼女も半分ほどこちらに体を向けたような状態で振り返っていた。
なにを言っていいのか、初めはわからかった。けれど、自然と口から言葉が紡がれる。
「もう、全部終わったのか?」
「うん、永劫の円環は終わりを告げた。繰り返されることも、回帰することも、もう……絶対にない」
俺の問いに、少女は微笑みながら答える。
「じゃあ、呪いもすべて集め終わったのか?」
「もちろん。今は私と一緒に眠っている。すべて上手くいったよ。だから、優十は優十の約束を果たしてきて」
「……ああ。ありがとう――――唯」
そう最後に礼を言ってから、俺は走り出した。
「はぁ……」
箒で地面を掃きながら、何度目になるかわからない溜め息を吐く。
結局、この虚無感の正体はわからかった。
それでも、わたしはなにかを信じて待っている。
すると唐突に、チリン――という鈴の音が耳に届く。
顔を上げると、いつの間にか長い黒髪の女の子が、わたしから少し離れた場所に立っていた。
わたしのと同じ、綾野色学園の制服を着た子。
その子はわたしに微笑みながら、こう告げた。
「優十が来るよ。今度こそ、約束を果たしに」
「……っ!」
言わなければならないことが、たくさんある。だけど、きっと時間もないだろうから、わたしは言いたいことだけを口にする。
「ありがとう、唯ちゃん。バイバイ」
彼女は優しく微笑み、まばたきした次の瞬間にはもういなかった。
そして、神社の階段から一人の男の子が現れる。
彼女の姿を見つけ、俺は全力で彼女の方へ走って行く。そしてそれはまた、彼女も同じで、俺たちは互いを抱き締める。
「桜織……! また、会えた……‼」
「うん……うん! 約束、守ってくれた……また、出会うことが出来た……‼」
俺たちは涙を流しながら、ただただ抱き締め合う。
もう離さないように。もう二度と別れないように。
互いを繋ぎ止め、なにがあっても、もう二度と失わないように。
「これから、また一緒だな……桜織」
「うん……! もう絶対に離れない。愛してます、優十」
そして俺たちは、互いに唇を重ねる。
未来を照らす篝火はここにある。
ならばどこまでも進んでゆこう、この篝火の空のもとで。
〈終わり〉