僕らは海に遊びに来ている。
僕らというのは、僕と僕の兄のことである。
僕はケン、兄はタクミ。他に兄弟はいない。僕らは山に囲まれた田舎町で生まれ、今は花倉町に別々の部屋を借りて住んでいる。
波は清々しい音をたてて寄せては返し、爽やかな風は頬をかすめて去っていく。
空は曇りだが、自然が奏でる音を聴くだけでも癒されるほどに、僕らは疲弊しきっていた。都会の喧騒に揉まれ続ける僕らには、こういう休暇が必要なのではないだろうかと感じる。
「寒いんだけど。というか、何で海なんだよ」
海を見つめてたそがれる僕とは正反対に、不満の色を隠さない兄は腹立たしさをあらわにして言った。
「浜辺で追いかけっことか楽しそうだなと思って」
「お前、今の季節知ってるか? 冬だぞ。真冬。あと三日で大晦日」
頭は大丈夫か、と聞いてくるが、僕はいたって正常だ。全て理解したうえでここにいる。
今は冬。あと三日で大晦日。そんなことは自明だ。
まだ雪は降っていないが、そろそろ初雪が観測されてもおかしくない今日この頃。気持ちのいいはずの波の音も、身を切るような寒さを倍増させている。
「いいじゃん。ほら、遊ぼうよ。誰もいないから貸し切りだよ」
「こんな時期じゃあ、誰もいないだろうな」
いかれてる奴以外は、と付け加える兄を車のそばに残して、僕は足早に砂浜へと降りた。
「とりあえず、棒倒しでもしようかな」
波打ち際から離れたところに少し湿り気を帯びた砂で山を作ると、流木を探して浜を歩き回る。
実を言うと、仕事納めをした兄を誘ってクリスマス気分を味わえる場所へと行こうかと思ったのだが、この時期だとみんな、浮かれ気分から我に返って師走の忙しさに奔走している。クリスマスツリーもリースも、今頃は倉庫の中にしまわれているのだろう。近所をぶらぶらしても、寒々しい景色が目の前に広がっているだけだった。
「ほう、冬の海で告白か。特徴的なシーンだな」
「そうそう……って、何読んでるの!?」
兄の手には、ポケットに入れたはずの文庫本。
「いや、助手席に置きっぱなしだったから」
「ポケットから落ちたのか……」
ポケットの中に入れたはずの恋愛小説。その文庫本の重さが感じられない。空しく右手がポケットの布地に突き当たり、僕は頭を抱える。僕が恋愛小説を読んでいることがばれたなんて、恥ずかしいことこの上ない。
「もう帰るぞ。お前の妄想に付き合っていられるほど、俺の冬休みは長くない」
「あ、待ってよ!」
車へと向かう兄の後ろを追いかけようと海に背を向け走り出した。
その刹那、
「お兄ちゃん……!」
幼い声が僕を呼び止めた。
振り返ると、小学生くらいの少女が佇んでいる。黒髪を一つに縛っている、目の大きな少女。大きな花柄のリュックサックを背負っている。
いつの間に、と思う隙も与えず、少女は言った。
「私を、お兄ちゃんたちの車に乗せて」
僕を呼ぶ兄の声も、大きく響き渡っていたはずの海の音も、目の前の少女の言葉にかき消された。