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 夢を見た。
 暑くて息苦しい、夏の夢――

「ケン! 早くいかないとお山のカブトとられちゃうぞ!」
 麦わら帽をかぶり、真っ白な肌着と茶色い半ズボンを履いた少年が大声を上げる。
 セミたちの合唱がうるさくて、これくらい声を上げないと聞こえないのだ。
「もうちょっと!」
 ケンと呼ばれた少年は、二階の開いた窓越しに返事をする。
(もうちょっとだけ涼みたい)
 母親の買い物に付き合って外に出ていたケン少年は、ダイチ少年との虫取りの約束を失念していたのだ。待ち合わせ場所も五分の待ちぼうけを食らったダイチ少年は仕方なく、ケン少年の家まで催促に来たのだった。
 しかし何度呼びかけられても、ケン少年は家を出ようとしない。先ので、かれこれ四度目だった。
 子供ながらに、やはり真夏の日差しは堪えたようだった。
「じゃあもう今日やめる!?」
 これ以上外で待ちたくなかったダイチ少年は、ケン少年に提案する。
「え」
 それはいやだ、とケン少年は思った。
 なにせ明日は、幼稚園時代からのライバルである奴と、虫相撲の決闘があるのだ。そのために大きなカブトを捕まえるべく、今日という日に虫取りの約束をしたのだ。
「いまいくー!」
 部屋から虫よけスプレーを持ってきて、母親に頼んで吹いてもらう。
 肩幅を優に超える大きさの自慢の麦わら帽をかぶり、買い物に出かけた格好そのままにサンダルを履く。
 玄関の扉を滑らせ、ようやく外へ出た。
「ケン、遅いよ」
 ダイチ少年は苛立ちを前面に出してケン少年を非難した。
「ごめん。帰りにだがしやでおごってやるからさ」
「ほんと!」
 ダイチ少年は目を輝かせた。
「あったりめゴホッ!」
 急な咳気がケン少年を襲った。何度かむせて、ようやく収まる。
「ケンちゃん、だいじょうぶ?」
 ダイチ少年が、幼稚園時代の呼び方でケン少年を心配する。それほどに不安をあおる咳だった。
「だ、だいじょうぶ。走ってきたからかな」
 そうはいっても、これまでこんなことは一度だってなかった。ダイチ少年の不安にあてられたように、ケン少年の胸中には不安が渦巻く。
 結局お山にたどり着くまで咳がぶり返すことはなかった。唐突な咳気がなぜ訪れたのか、ケン少年自身にも分からなかった。
 
 お山に着いて、真っ黒な影が覆う森へと入っていく。
 そして、先日見つけた穴場へとまっしぐら――とはいかなかった。
「ダイチ。いこうよ」
 ダイチ少年が、踏み入れて数歩もしないうちに立ち止まったのだ。
「ここ、でっかい門なかった? 木でできたあかいやつ」
「え?」
 この森へ入るのは毎年夏だけだったが、とはいえそんな門を見た覚えがケン少年にはなかった。
「気のせいだろ。おれしらないぜ?」
 そのままに伝えるも、ダイチ少年の顔は晴れない。
「おっかしいなあ」
 ダイチ少年は首をひねる。
「もっと先で見たんじゃない?」
 埒をあけるべく強引に手を引いて森の奥へ進む。
「わかったって。歩けるよ!」
 暑苦しかったのかうざく感じたのか、ダイチ少年は掴まれた手を振りほどいた。。
 それから二人は無言で歩いた。
 単純に気まずかったのだ。
 しかし、だからなんだとばかりにセミは鳴く。家を出る頃よりもはるかに多くの声で。
 ケン少年は、まるで囲んで見られているかのような不快さを感じた。面白がっているような、はやしたてるような。
 しかしそんな二人の雰囲気を晴らすように、それは唐突に現れた。
「「カブト!!」」
 ケン少年とダイチ少年の声が被る。さっきまでならそれですらいがみ合った二人だろうが、ロマンの塊ともいえる存在がそれを忘れさせた。
「こっちだ!」
 整備された道を外れて、茂みの中へ潜っていく。
「まってよ」
 焦ったような涙声が後ろから聞こえる。きっと、カブトをそのまま追いかけようとしたんだろう。
「走っても追いつけるわけないんだから、先回りすんだよ」
 あいつがどこに行くかはわかってる。ケン少年はそう言いたげだった。
「そうなんだね」
 ダイチ少年はそれに気づかず、見方によってはドライに返した。
 ちぇっ、と、不満げにもらしたケン少年は茂みを進む。
 映画のワンシーンみたいだ。初めて茂みの中を進んだ時同様に、ダイチ少年はそんなことを想いながらついていった。

「ここ!」
 体感時間にして十分ほど茂みを進むと。開けた木の根元にたどり着いた。
「他の木だとカブトなんか見たことない。だとしたら、あとはここだけだろう」
 見上げないと視界に収まらないほどに大きい樹には、いたるところにミツ溜まりができていた。そしてそこには、当然ミツを求める虫たちがいる。
 蝶に蟻に、目的のカブト、おこぼれにクワガタ。もう何匹か他にもいたが、ケン少年には興味も見覚えもなかった。
 さっそく自分は虫網を構え、ダイチ少年には虫かごを構えさせる。
 そろりそろりと近づき、虫網を――
「ゲホッ!!」
 唐突な咳気が、再びケン少年を襲った。しかし先の比ではなく、内蔵を吐き出しそうなほどだった。
 意識は即座にあやふやになり倒れこむ。真っ暗な影の正体である、頭上を覆う木々が見えた。
 ゆらゆらと頭が揺れている感覚がし、眠い気持ちに一生懸命に抗って、ぼやけた視界をしかと見る。

 暗い視界は次第に明るくなってきた。
 森を抜けて外に出たんだろう。
 真っ暗な視界に光が眩しい。
 心なしか体が揺られている気がした――

 

 夢を見た。
 熱くて息苦しい、何年も前の夢。
「ケン! ケンちゃん! 大丈夫か!?」
 そんな声が聞こえた気がした。