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「んー……」
 まだ眠気の残るまぶたを擦りながら、俺は体を起こす。
 なにやら夢を見ていた気がする。懐かしいような、つい最近の出来事だったような、不思議な感覚。その夢の内容を思い出すことは出来ず、考えるだけ時間の無駄なので、俺は夢に関する思考を放棄する。
 スマホで時間を確認すると、朝食などを済ませて登校すると丁度いい時間であった。
 俺は一階に下りて、軽い朝食を用意する。
 いつもどおりの一人の朝。なにか変わったことがあるわけでもなく、テレビを点けてみれば今日も暑くなるだろうということだけ。
 一日限りの夏祭りも終わり、非日常という夢から覚めて学校に行かなくてはいけない月曜日。きっと誰もが憂鬱になる週の最初の日。
 朝食を済ませ、弁当を作ってから自室に戻って制服に着替える。今日必要なものを確認し、バッグを持って再び一階へ。
「あれ?」
 弁当をバッグに入れようとしたところで、なぜかしら弁当を二人分作ってしまっていることに気が付いた。
「………」
 なにか、違和感を覚える。
 ハッキリと言い表すことは出来ないが、喩えるなら……大切な思い出の写真が気付いたらなくなっていたが、なくなっていることにすら気付いていないことをどこかで感じた――そんな感覚だろうか。
「って、やばい、もう時間か」
 俺は慌てて弁当をバッグに入れ、玄関へ向かい靴を履いて家を出る。
 なにか別のことに意識を向けていても、俺の中の違和感は拭えなかった。
 学校に着いて授業を受けていても、今朝から感じる妙な感覚は、消えるどころか深さを増していっている気がした。
 俺の席の隣には、誰もいない。それでいい、なんの問題もない……そのはずなのに、俺はなにかを求めていた。
 昼休み、俺はいつもと同じように裏庭へ向かい、先輩と遥の三人で昼食を摂る。
「優十、どうかしましたか?」
「え……?」
 先輩に話し掛けられ、俺は下へ向けていた顔を慌てて上げる。
「どうしたんです? いきなりそんなこと訊いてきて」
「いえ、今日の優十は元気がない気がしますので」
「そうですか?」
 俺の問いに、先輩ではではなく遥が答える。
「センパイ、元気がないように見えます。あと、こう……悲しそうです……」
「………」
 遥の言葉は、どこかすんなりと俺の中に落ちてくる。
 求めていた答えではない。けれど当たらずも遠からずといったような、俺の内側でもやがかっているものの一つ。
「先輩、それに遥。今日はなにか、違和感がありませんか?」
 俺の言葉に、二人は首を傾げる。
 思い切って訊いてみたものの、当然の反応が返ってきた。しかし、それも予想していたことなので、俺は補足を入れる。
「なにかが足りない……あるべきはずのなにかが失われている、そんな感じがしませんか?」
 今朝よりもさらに深くなっていく、俺の違和感。
 その正体を探してみると、すぐ近くにあると感じるのに、決して届かない……霧を掴もうとしていような感覚。
 俺にわからなくとも、二人ならと期待したのだが、返ってきた答えはある種予想どおりのものだった。
「すみません、私は特に優十が言っているようなものは感じてません……」
「はるも、凪咲センパイと同じです。すみません……」
 二人は本当に申し訳なさそうに、顔を曇らせる。
「いや、いいんだ。俺の方こそ、突然変なこと訊いてすみません……」
 その後、俺は二人と談笑しながら、いつもより味気ない弁当を食べた。
 

 午後の授業中、俺はノートも取らずずに窓の外を眺めていた。
 どこまでも澄み渡る青い空があり、その空の海にたゆたう白い雲がある。
 なにも変わっていない、なにもなくしてなどいない……そう思っているはずなのに、俺の瞳が映す世界は色褪せていた。
 それはまるで、俺の魂が今の状況を受け入れることを拒んでいるように、ただただ俺に違和感、虚無感、空白を与えてくる。
 暖かい世界、けれど俺には温かくない、あまりにも冷たい虚像の世界。
 意識を窓の外から教室の中に戻し、なんとなく違和感の正体を探そうとしたとき――

 チリン――

「――っ⁉」
 一瞬だけ、脳裏をなにかがよぎった。
 どこかで聞いたことのある、鈴の音が耳に残る。
 欠けたパズルのピース……それが一つ埋まったかのような、確かな手応え。
 違和感はまだ消えていない。しかしそれをなくしてはいけないことを、俺は本能的にあの刹那によぎったモノから理解していた。
「月神くん、どうかしたかしら?」
「あっ、いえ、なんでもないです」
 授業をしていた女性教諭に声を掛けられ、俺は慌ててそう返事をする。
 そこで俺はふと、机の上に置いてあるものに気付く。
「……懐中時計?」
 なにも書いていないノートの上に、いつの間にかそれが置いてあった。形からだけで判断したので懐中時計かはわからないが、恐らく間違いないだろう。
 銀色の円に鎖が付いたそれを、俺はしばらく眺める。
 俺は懐中時計なんて出していないし、そもそもとして持ってすらいない。
 突然湧いて出た物体。あまりにも唐突過ぎる現象。
 本来なら触りたいとは思わないようなことだが、俺の右手は吸い込まれるようにしてその懐中時計に触れた。

 ザ――――――――――――――――

『おはよー、優十』
『優十ー、お弁当たべよ~』
『えへへ~、優十が作ってくれるご飯、すごく美味しいんですよ♪』
『夏祭り、今年はみんなで行こうね』

「――――」
 ノイズとともに、古いテレビなどの砂嵐のように霧がかった記憶の断片が、刹那の内に流れ込んでくる。
(今のは、なんだ……?)
 あまりにも唐突で、不思議すぎること。流れ込んできたのは失われた日々の残滓。
 動悸が激しくなる。嫌な汗が頬を伝う。
 理性が、有り得ないことだと、ただの幻覚だと、そう伝えてくる。
 しかし、俺の中の違和感は確信へと変わっていく。
 けれど、まだなにもわかっていない。
 残った授業の時間すべてを使って、俺はその違和感を絶対な確信へしようとしたが、俺はそれを出来なかった。
 午後の授業はいつの間にか終わり、気付けば俺は帰り道を歩いていた。
 空はオレンジ色に染まり始め、ただ違和感を抱く俺のことを優しく、無情に照らしている。
 どうすればいいのかもわからず、なにかをしたいのかもわからない。
 迷いと困惑と違和感を渦巻かせながら歩いていると、俺は分かれ道の前に立っていた。
 片方は自身の家へと繋がる道。そしてもう片方の道の先には――
「刻時坂神社……」
 つい先日の夏祭りの会場となった場所。
 俺はなんとなく、神社の方へと足を運ぶ。
 そこになら、求めたものがあると思ったから。
 そこになら、答えがあると思ったから。
 なにより、俺の本能が……魂が、なにかを訴えていた。
 長い階段を上り、鳥居を潜った先には大きな拝殿がある。
「………」
 来てみたはいいものの、なにをどうするかはなにも決めていない。とりあえず、拝殿の前まで行き、参拝をする。
 そしてすることがなくなり、帰ろうと思い身を翻し歩き出そうとしたとき――

 チリン――

「……っ‼」
 教室のときと同じように、鈴の音が頭に響く。
 そして背後を振り向くと、そこには予想外、しかしどこか期待していたとおり、賽銭箱の上に懐中時計が置かれていた。
 俺は躊躇いなく、その懐中時計に触れる。
 刹那、再びノイズとともに記憶が流れ込む。
 先程とは違い、怒濤のようにいくつものことが押し寄せ、想起させる。
 しかし、思い出すべき真実はたった一つ――

『優十は……もし、わたしが助けてって言ったら、助けてくれる?』

 俺は今まで、忘れてはいけない大切な人のことを忘れていた。
 同時に、すべてを俺は思い出す。
 ――回帰能力、現人神と龍神……呪い、一人の少女――
「…………よし、大丈夫」
 すべてを辿ることが出来る。いや、今思い出したのだって、今ある一枚目でしかないのだろう。だけど、今はそれで十分。ならば、すべてを知っているであろう人物のところに行こう。
 俺は今度こそ身を翻し、走り出す。
 けれど、さっきと違うのは目的地。家とは逆方向……先程歩いて来た道を戻っていく。
途中、同じクラスの何人かに声を掛けられたが、軽く手を振って通り過ぎる。
 やって来たのは、綾野色学園。
 校門の前で乱れた呼吸を適度に整え、下駄箱に行き靴を履き替えてから階段を全力で上る。
 そして最上階……屋上へ繋がる扉を勢いよく開ける。
 俺の視線の先には、予想したとおり一人の少女が立っていた。
 腰まで届く長い黒髪を鈴の髪飾りでツーサイドアップにした、学園の制服を纏う――俺が忘れていた人物の一人……蛍坂唯がそこにいた。
「どういうことだ、蛍坂」
 俺は呼吸も整えず、単刀直入に問いを投げる。

「どうして、桜織の存在そのものが消滅してるんだ!」

 蛍坂は悲しそうな顔をし、口を開こうとしたとこえろで、俺はそれを制す。
「いや、いい。俺も……少しはわかってる……だから、最初に訊くべきは別のことだ」
 思い出した今だから、なんとなく予想はつく。そして、蛍坂の正体も……。
 けれど、俺は確かめるためにあえて尋ねる。
「おまえはいったい誰だ、蛍坂」
 俺の言葉を無言で受け止め、彼女は俺の方に歩いてくる。
「今回の分くらいは、思い出した?」
「ああ。それより、答えてくれよ」
「ええ、わかってるわ」
 そう言って蛍坂は俺のことをまっすぐと見据え、俺の問いに答える。

「私は蛍坂唯……そして、天照時之蛍神」

 予想していたとおりの言葉ではあるが、やはり驚かずにはいられない。
「それで、どこから話すべきか……」
「桜織がいない理由から頼む」
「ま、当然よね。それじゃあ――」
「待った」
 蛍坂が話し出そうとしたとこで、俺はそれを止める。
「なによ?」
「なんでその口調にしてるんだ? おまえ、本当は桜織みたいな口調だろ?」
「……本当は、私自身の気を締めるために、この口調にしてたのよ……」
 蛍坂はどこか悲痛そうに、そう口にした。
「失敗しないために、自分に厳しくあろうとしたのに、ダメだった……」
「……なんか、悪い」
「ううん、別にいいよ。繰り返してしまったけど、私はまだ諦めてないから」
 そう言って、彼女は優しく微笑む。
「それで、桜織の存在が消滅している理由だけど、私が話した現人神と龍神伝承の続き、覚えてる?」
「ああ。町に散った呪いのこと、そして桜織は……」
「そう、たぶん優十が予想しているとおりのこと。桜織は呪いを探し出し、自身の存在ごと消そうとした」
「だけど、呪いはすべて集まっていなかった。というより、呪いが五つであることを知らなかった」
「ご明察」
「でも、なんで桜織は呪いを消滅させる方法を知ってたんだよ」
「神社の蔵から、呪いのことがまとめられてあった本を見つけたみたい。昔呪いを消そうとしたのも、火ノ神家の子だったから」
 かつて呪いを消滅させようとしたのが桜織の先祖で、今回もまた火ノ神家である桜織が消滅させようとした。
「でも、自分の存在を因果から消滅させるなんて……」
「あれは古い呪術の一つ。その中でも、禁術と呼ばれた類いのものだよ。皮肉なことに、私の『後悔』が具現された」
「蛍坂の後悔?」
 彼女の口からよくわからない言葉が聞こえ、俺は首を傾げる。
「言ったでしょ、呪いの力は手にした人の後悔を具現する。そもそも数千年前に呪いが揃わなかったのは、呪いの一つを私が持っていたからなの」
「なんで、蛍坂が?」
「龍神を封じたとき、一番近くにいたからだと思う。そのときの私には、後悔と呼べるだけの後悔もなかったけど、力のほとんどを使い切った私は、呪いを消そうとしたあの子を助けられなかった」
「ちょっと待ってくれ、今も蛍坂は呪いを持ってるのか?」
 俺の言葉に、蛍坂は無言で頷く。
 つまり、桜織が呪いを消滅させようとしたのは、蛍坂の後悔が具現した結果ということだろうか。
「きっかけは私。でも、繰り返されているのは優十……そして桜織の『後悔』が具現したから。優十は覚えてないかもしれないけど、優十の後悔は桜織を〝助けられなかった〟こと。そして桜織の後悔は優十を〝巻き込んでしまった〟こと。この二つの『後悔』が具現されて形になったのが、回帰という現象」
「……つまり、俺も呪いを持っている?」
「そういうこと」
 確かに、蛍坂が言ったとおりなら俺の回帰能力にも説明がつく。だが、俺はそもそも呪いを手にした記憶がない。
「なあ、呪いってどこに持ってるんだ?」
「呪いは、物質としては存在しないよ。影や音……そこに入ったり聞いたりするだけで、呪いはその人の中に入ってしまう。だから見せることも出来ないし、見ることも出来ない。
私や桜織の例外を除いてね」
 だから俺は呪いを気付かぬ内に手にしていた。そして現状が繰り返されている。俺の回帰能力によって。
 そこで俺は、一つの可能性に重い至る。
「回帰能力は二つ存在する……?」
「そう、優十と桜織に共通する〝救いたい〟という願いから生まれるのは、当然回帰の力。だけど二人の回帰能力は少し性質が異なる。優十は桜織を救うために自由なとき自由な場所へ回帰することが出来る。でも桜織の場合は、優十を巻き込まないための力だから、桜織が望んでいない結末に繋がったときだけ回帰が起こせる」
「皮肉な話だな……」
「私もそう思うよ。でも、そのお陰で二人を助けられる可能性はまだある」
 そう、俺の力は回帰。つまり、今からでもまだ間に合うということに他ならない。
「呪いは私が三つ、優十と桜織で一つずつ。この繰り返される状況が二人の後悔の具現だから、この円環を壊すことが出来れば、二人の中から呪いが弾き出される。その二つの呪いを私が回収して、私は神として深い眠りにつけばいい」
 今語ったのが、蛍坂が立てた計画なのだろう。実際、桜織を助けるにはそれしかない。
「でも、優十の命の残量からして、回帰出来るのはあと一回」
「あ、そうか……力の代償……」
 俺が回帰を使うには、俺自身の命が必要になる。それを失念していた。
「それもごく短い時間だけ。だから七月七日の朝に回帰して。この日の夜が、すべての始まり。だから優十、なんとしても、次で桜織を救ってあげて。桜織は優十と違ってすべての記憶を持ってる。簡単ではないかもしれないけど、お願い」
「ああ、わかってる」
 蛍坂は神様であるため、恐らく回帰の影響を受けない。だからこうして俺に事情を話すことが出来た。それ以外にも、彼女の『後悔』を具現するという部分が働いているのかもしれないが。
「お願い、優十……今度こそ」
「ああ。今度こそ、すべてを終わらせる」
 確かな決意を胸に、俺は回帰の力を発動する。
 俺の視界の中心で光が瞬き、緑色の光の粒子が渦のように収束する。
 そして俺は、再び戻り辿り着く。