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 どうしてこうなった。
 目の前に置かれた、湯気が立つカップ麺を見つめながら俺はそんな事を考えてしまう。社会人として世に出てから十年。着実に実績を残して会社では一番の出世株と呼ばれ、中学時代の彼女と結婚し、ローンを組んではいるが遂に念願のマイホームを手に入れた。現代日本において理想と呼べる生活を送る俺なのだが。
「……はぁ」
 薄暗い部屋の中で一人寂しくラーメンを啜る姿は、哀愁を漂わせているだろう。最近は家に帰っても妻は居ない方が多く、最後に夕食を一緒に摂ったのは、いつだったか思い出せない。元々は俺が家庭よりも仕事を優先した事が原因で喧嘩をし、それからずっとこの調子だ。
「このままじゃ不味いよな」
 脳裏にちらつくのは離婚の二文字。さすがにそれはないと思いたいが今の現状を考えるとそれもあり得ないとは言い切れない。
(どうする大槻誠、三二歳)
 何とかしてこの状況を打破しなくてはならないのだか、一向に良い考えが思い浮かばないまま、気づけば時刻は深夜十一時。こんな時間になっても妻は帰ってこない。フリーランスのライター業で忙しい妻は帰りが遅くなるのは珍しくないのだが、浮気を疑ってしまう自分がいる。一人で居ると悪い考えばかりが、ぐるぐると駆け巡ってしまう。  
 少し気分を変えるため、テレビを点ける。画面に映ったのはよくある旅番組だった。京都を舞台に出演者達が気分、気ままに散歩している。
(……京都、そうか!)
 俺の頭にが唐突に活動し始める。良い考えが思いついたのだ。そうと決まれば早速、行動に移さなくては。俺はインターネットや家にある旅行雑誌などを駆使して、今の京都について調べる。観光名所から人気の料理店など、調べでいると時間か経つのは早く、あっという間に日付が変わってしまった。ある程度、資料が出来上がった時、ガチャッと玄関が開く音が聞こえた。どうやら妻が帰って来たらしい。
「まだ、起きていたの?」
 酒を呑んで来たのか、少し頬を火照っている妻・飛鳥が興味なさそうに聞いてきた。一体誰と呑んで来たのか? と聞きたいのをグッと堪えて俺は本題に入る。
「来週末、旅行に行くぞ」
「……へっ?」
 返ってきたのは予想よりも随分と気の抜けた声だった。
         *
「で、どうして京都なのよ?」
 そして一週間後、俺は若干機嫌の悪い飛鳥と共に京都に来ていた。まだ九月の中旬ということで残暑は厳しいが、空は雲一つない快晴。まさに絶好の旅行日和である。
「いいから、質問に答えなさい」
 訂正。若干ではなく、かなり機嫌が悪い。
「こ、この前テレビで京都の特集をやっていたからさ来たくなちゃって。そ、それに飛鳥だって、あの時は了承したじゃあないか!」
「あの時は酔っていて正確な判断が出来なかったのよ!」
「次の日にでも断ればよかっただろ」
「一度受けたことは、私が絶対に途中で投げ出さないのは知っているでしょ!」
 もちろん知っている。たがら酔っている時を狙って誘ったのだ。そこで一度了承が出れば後日断られる事は絶対にないからだ。
「……まぁいいわ、京都なら取材になるし。先ずは何処に行くの?」
 切り替えが早いのが飛鳥の良いところの一つだ。
「任せておけ、スケジュールは念入りに作ってきた」
「随分と気合いが入っているのね。服装だって、かなり拘ったみたいだし」
「……うっ」
 改めて指摘されると少し恥ずかしい。そう、俺はこの日ために旅行雑誌だけでなく普段は絶対に読まないファッション雑誌も使い準備してきたのだ。黒のスキニーにグレーのサマーニットという、雑誌に書いてある物をそのまま着たが、どうやら失敗はしなかったらしい。そう言えばスーツと寝巻き以外を着るのは久しぶりな気がする。
「そう言う飛鳥だって気合い入ってるように見えるぞ?」
 飛鳥の格好は黒いノースリーブにベージュのチノパン。誰が見てもデキる女、というだろう。元々顔立ちが良くスタイルも良いので一緒に並ぶと少し萎縮してしまう。
「あのね、私は外に出る時は何時だって気合い入れているのよ。あまり調子に乗らないの」
「……す、すいません」
 あまりの圧力に思わず謝ってしまう。確かに彼女が身だしなみに手を抜いたところを見たことがない。
「それよりも時間が惜しいわ」
「そ、そうだな」
 そんなこんなで俺達は最初の目的地に向かった。
        *
 鹿苑寺。
 一般的には金閣寺で知られるそこは、溢れんばかりの外国人観光客で賑わっていた。
「ここに来るのも久し振りだな」
「中学の修学旅行以来かしら」
 金閣寺を中心とした建築や庭園は極楽浄土をあらわすとされ、周囲には神聖な雰囲気を感じさせる。
「とりあえず、写真でも撮る?」
「そうね、撮りましょう」
 金閣寺をバックに俺達は肩を抱き寄せスマートフォンで写真を撮った。写真を確認してみると、俺の表情はぎこちないのに比べ、飛鳥はモデル顔負けのキメ顔である。
「上手く撮れたわ。誠の顔が少し気に入らないけど」
「し、仕方ないだろ」
 写真を見ながらクスクス笑う飛鳥はどこか幼く見えた。こんな飛鳥の姿はもう何年も見ていない。やはり京都に来たのは正解だった。
「ここから、どうするの?」
「そろそろ、次の目的地に行こうか」
「そう、誠に任せるわ」
 それから俺達は京都中を巡った。
 龍安寺ではどっちが早く十五個の石を見つけられるか勝負をした。結果は飛鳥に軍配があがったが、ムキになって探す俺の方がお気に召したらしく、後ろでずっとニヤニヤ見つめていた。
 伏見稲荷大社では千本鳥居に二人共、心を奪われ、取り憑かれたように写真を撮りまくった後、おもかる石に挑戦した。飛鳥の願いは聞かなかったが、軽く感じたらしい。俺の願いは当然『飛鳥との関係修復』なのだが、結果についてはあえて割愛させてもらう。
 清水寺にも訪れた。残念な事に本堂は改修工事のためしっかりと拝めなかったが、随球堂の胎内めぐりは貴重な体験だった。あそこまでの完全な暗闇は経験がない。そこでも飛鳥の事を願った。
         *
 日が西へほとんど沈んだ頃、俺達は本日最後の目的地・八坂神社に着いた。辺りは静まり返り、厳かな空気が満ちていた。
「ねえ、どういうつもり?」
 本殿の目の前まで来たところ、飛鳥が俺に問いかる。
「いきなり、どうした?」
「気づかないと思った? これ修学旅行と同じスケジュールじゃない」
 飛鳥の言うとうり、俺の作ったスケジュールは多少の誤差はあるが、中学の修学旅行を元に作ったのだ。
「だとしても何か問題があるのか?」
「理由が知りたいのよ。わざわざ京都に来て、中学の修学旅行と同じ場所に行く理由を」
「なぁ、俺達が付き合い始めたの何時か覚えているか?」
「……そういうことね」
 実に単純な話、つまり俺達が付き合い始めたのは中学の修学旅行から。そして、俺が告白したのが、ここ八坂神社の本殿という訳だ。俺の計画とはもう一度、あの時と同じ状況を作り、改めて告白し直す。そうしたら二人の関係が修復する、そんな、今思えばあまりにも馬鹿馬鹿しいものだ。 
「なら、もう一回告白するの?」
「今日一日、飛鳥は楽しかったか?」
「……えっ?」
 唐突な質問に、飛鳥は困惑しているが、俺は構わず話を続ける。
「俺は楽しかった。久し振りに出掛けるのもそうだが、一緒に食事をするのも、買い物も、会話だって楽しかった。それと同時に悲しかった」
「……」
「だってそうだろ。こんなに楽しい事を俺は仕事を理由にしてこなかったからな」
「私だって同じよ。つまらない事で意地張って、誠に沢山迷惑をかけた」
「きっと俺達はまだまだって事だな」
「そうかもね」
 きっと俺達はこれかも、すれ違うかもしれない。でも、きっともう大丈夫だろう。俺達は夫婦なのだから。
「もう一度告白して。あの時と同じ言葉で」
 あの時、つまり中学時代の俺がした告白の事だよな。何だか、物凄く恥ずかしい気がしてきた。
「……わ、分かった」
 ふぅ~ッと息を吐き、心を落ち着かせる。何とか覚悟を決めた。
「『君を絶対に一生幸せにします!』」
 あの時と一字一句違えないセリフ。中学時代の自分を呪いたくなってきた。
「『幸せにしなかったら許さないから』」
 こちらもまた、あの時と同じ言葉。照れ臭そうな顔も昔と変わらない。
 一度は破ってしまった、一生幸せにするという約束。次は絶対に守ってみせる。
「はぁ、疲れちゃった。早くホテルに行ってお酒が呑みたいわ」
 疲れたと言うが、まだまだ元気なようだ。
「な、なぁ何時もは誰と呑んでいるんだ?」
 ずっと気になってはいたが聞けなかった質問を遂に聞けた。
「ただの女友達よ。それに私、誠としか付き合った事ないのよ。今さら他の男との付き合い方なんて知らないわよ」
「そ、そうか。良かった」
「そんなことより、早く行くわよ。明日の予定も立てないと」
 飛鳥に連れられ俺は京のまちを歩いていく。