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 高校二年の夏休み。私は京都にある祖父母の家に遊びに来ている。年に二度ほどしか来ない土地に遊び相手など居ない。兄弟が欲しかったと思いながら、一人っ子の私はスマホとにらめっこしていた。壁に身を任せ、だらだらとしている。どこに居たって習慣は変えられない。エアコンの効いた涼しい部屋の中、扇風機の風が時折私の前髪に悪戯をする。
「たずー」
 台所の方から私を呼ぶ母の声がした。先ほど食べた昼食の食器を洗っているのだろうか。流れる水の音で声が聞き取りにくい。 
「何?」
 私は不機嫌に返事をした。
「外に出なさい」
「え?」 
 母はタオルで手を拭きながら、こちらに向かってきた。
「ゲームは禁止」
「なぜ?」
「外、遊んできなさい」
 私はスマホを取り上げられた。突然の出来事に戸惑いながらも、言われた通りに外に出る事にした。母は一度決めたことは絶対に曲げない。逆らう事は無駄なのだ。
 セミの声がうるさい。太陽が照りつける道を歩く。ふと、赤い鳥居が目に入ってきた。住宅街に歴史を感じるものが突如現れる。音も気温もほとんど変わらないのに見えるものは全く違う。伏見稲荷大社。観光客に人気な場所で、たくさんの人が訪れる。引き返そうかと思ったが、母に何か言われそうなのでやめた。外国人と着物姿の人が目立つ。何回か来たことがあり、建物に興味はなかった。変わらないものよりも、変わるものの方が面白い。楽しいことが落ちていないか耳を立てながら、人の波を泳ぐ。
 千本鳥居のところまでやってきた。奥へ進むにつれ人が減っていく。しまいには私しか居なくなった。道に迷ったのかと思い辺りを見渡す。森の中で、よく分からないが迷う所はなかったはずだ。鼻に冷たい何かを感じた。それは頭や頬も濡らした。雨だ。日の光が消えていない。
「狐の嫁入り」
 いつか本で読んだ知識を口に出す。
「キミもねーさんのお祝いに来たの?」
 高い声が聞こえた。声の主は見えない。辺りは赤い鳥居と緑の自然だけだ。
「トキ、あれは人間」
「えー、でも今」
「違うんだって」
 声は後ろの茂みからするようだった。恐る恐る近づく。
「多い方が楽しいよ」
「そうかもしれないけど」
 そこには二匹の狐が居た。しかも人間の言葉を喋っている。悪い夢を見ているのかと考え、ほっぺたをつねったが痛かった。夢ではないらしい。 
「あ、あの」
 勇気を出して声をかける。
「え?」
 二匹の声がそろった。と同時に白い煙が上がり、私と同じ年くらいの人間の男の子が現れる。右側の子が赤、左側の子が紫の着物を着ていた。金髪に白い肌、整った顔立ち。綺麗、美しいと色々な言葉が思い浮かぶが神秘的が一番合っている気がした。
「あなた達は?」
「オレはね。トキ」
「ボクはキヨです」
「私は佐々木鶴葉です」
 右の子がトキ。左の子がキヨ。名前が知りたかったわけではないが覚えた。流れで私も名乗る。聞き方が良くなかったのだろう。ストレートに質問することにした。
「きみ達は狐?」
 彼らは顔を合わせた。私がじっと見つめていると、彼らはまた煙に巻かれた。今度は小学四年生くらいの背丈に狐の耳と尻尾がついた姿だった。
「ばれてたか」
 トキが呟く。キヨは呆れながら笑った。一度、狐の姿を見られたのに騙し続ける事ができると思ったのだろうか。
「人間に化けておいたほうがいいよね」
 私とトキの目が合う。彼は私に微笑む。耳と尻尾が明らかに人と違う。この状態は人間に化けているといっていいのだろうか。疑問に感じながら、首を縦に動かした。
「良かった。これが一番楽だからね」
 キヨは安心した様子だった。
 風が勢いよく吹く。雨の勢いが強くなってきた。先ほどまであった日の光はなくなり、空は雲で覆われている。私は急いで屋根がある所へ走った。そこにたどり着いたときにはもう彼らの姿はなかった。
 
 雨は上がり、次の日は雲が一つもない晴れた日だった。
「どこに行くの」
 靴を履く私の手は、母の声に止められた。
「遊びに行くんだよ」
 私は当然の事のように話す。昨日のまで家に引きこもっていた私が自ら外に出かけるのが珍しいのだろう。母の顔は、鳩が豆鉄砲を食らったようだった。
「いってらっしゃい」
「うん」
 引き止められる理由がある訳がない。暑い日差しの中に私は飛び出す。行き先は決まっていた。狐達に会った場所。上り坂を勢いよく登る途中。鳥居と鳥居の間。木の元で休む一匹の狐を見た。
「おーい」
 狐に向かい声を上げる。私の事をちらちら見ながら人が先を行く。狐の居る所にちょうど日の光があたっていた。
「聞きたいことがあるの。起きて」
 私は懲りずに声をかける。高校生にもなって狐に全力で話しかけるとは、思いもしなかった。
「きつねさーん」
 大きな声をだした。
「こっち」
 聞き覚えのある声。私の手は何かに引っ張られ。一気に人がいないところに着く。
「キヨって意外に強引だよね」
「うるさ」
 私をここまで連れてきたのはキヨの方らしい。笑うトキと汗だくのキヨが目に映る。
「また会えた」
 昨日の出来事は夢ではなかった。

「ここはどこ」
 色鮮やかな場所だ。
「くくり猿だよ」
 トキが楽しげに答える。人前に出るときは、不完全な化け方ではなく完璧な人間の姿だ。
 彼らと出会ってから数日。私は毎日外に出て、彼らと一緒に過ごした。私は彼らが稲荷大社から出られないものだと思っていたが違ったようだ。今までに色々な名所を巡った。観光ではなく探検に近いが。
「お願い事を書くの」
 キヨが補足をした。それにしても、ざっくりした説明だ。分かったふりをしたが、疑問が残る。八坂庚申堂と表記された門をくぐる。後で調べようと頭で記憶した。
 カラフルなお手玉のようなものが、たくさん連なっている。着物をまとった観光客が多く。写真映えが良さそうな素敵な場所だ。京都には何度か訪れたことがあったが、この場所は知らなかった。そもそも帰省なので観光はしっかりとした事がない。有名な場所以外は全く知らなかった。
「何色がいい?」
 トキの突然の質問に驚く。
「くくり猿の色だよ」
 再びキヨが指を指しながら少し説明をしてくれる。そこには、さまざま色の布で作られたものがあった。
「お猿さんが手足をくくられているみたいでしょ」
「確かに」
 そういう風に見えなくもない。
「自由に動けない。欲を我慢する事に例えているんだよ」
 なるほど。キヨの説明は分かりやすい。
「緑にする」
 私が声を上げると、トキが緑色のくくり猿を手渡してくれた。
「ありがとう」
 お礼を言うと、トキは照れくさそうにして着物と同じ赤のくくり猿を手に取る。キヨも身にまとう色、紫のくくり猿を選ぶ。
 くくり猿には、日付と名前。そして願い事を書く。たくさんあるのだ本名を書いたって問題ないだろう。願い事も具体的に。「伊坂君と結婚したい 佐々木鶴葉 八月十六日」三行に分けて書いた。
「何かいたの?」
 トキが私の手元を覗く。
「ひみつ」
 私は急いで、自分のくくり猿を大勢の中にくくった。見られるのは恥ずかしい。急に体温が上がる。我ながら大胆なことを書いた。他の人はどんな事を書いているのか、チラッと見たら私とあまり変わらなく安堵した。
「トキとキヨは何かいたの?」
 彼らの方へ振り返る。トキは口をとがらせていた。
「ひみつ」
 口を開いたのはキヨだった。彼はそう微笑んで、くくり猿を結ぶ。仕返しされたと思った。 

 翌日。祖父母の家にいるのはあと三日。彼らと会えるのもあと三日。この時間が永遠に続けばいい。それくらい楽しい日々を過ごしている。
 気持ちを沈ませながら、いつも彼らと会う場所に向かう。初めて出会った所。
「鶴葉の好きな人の写真見せて」
「え?」
 地面を向いていた顔が正面に上がる。今日は人間と狐が交じった姿だ。
「写真ないの」
 キヨが首をかしげる。昨日の願いごと見られていたのか。頬が熱くなるのが分かる。
「うーん、今日は何して遊ぶ?」
 話題を変えようとする。
「鶴葉の告白予行練習」
 トキが叫ぶ。何が起こったのか理解できない。
「どういうこと」
「そのまんまだよ。ね、トキ」 
「うん」
 二人は楽しそうにお互いの顔を見た。

 その後、私は二人の力に負けて恋バナをした。それとなく別れが近い話をしたら、いいもの見せてあげるから夜にまた会おうと言われた。寂しそうな顔をしていたが驚かれなかった。うすうす気づいていたのだろう。いいものって何だろう。午後七時。こっそりと家を出て、いつもの場所に向かう。夜だが観光客は昼ほどではないがたくさんいる。
 いつもの場所に人の姿が見える。それは一人だった。トキとキヨではなく、普通の人間かもしれない。どこに彼らがいるかきょろきょろしていると、先ほどの人の顔が光に当たる。幻。その顔は私の想い人、伊坂航だった。いや、他人の空似かもしれない。凝視する。
「おいで」
 左手が引っ張られて、茂みに入る。キヨだ。
「あれ、トキは?」
「あれ」
 キヨが指差したのは伊坂航に似た人物だった。意味が分からない。
「トキが鶴葉の好きな人に化けたの」
「告白練習」
 まだ続いていたのか。
「はい、頑張って」
 キヨが私の背中を軽く叩く。練習だとしても緊張する。心臓の音が聞こえる。練習練習。ここで拒んでもしょうがない。
「分かった」
 暗い茂みから、明かりがあるトキの方へ向かう。
「あの」
 トキが振り返る。あまりにも似ていて驚く。好きって早く言って終わらせようと考えていたが、ここまで本番に近いと難しいかもしれない。
「佐々木か」
 呼び方、声質。全てが伊坂君だ。
「伝えたいことがありまして」
「なに」
 少し下を向く私をトキは覗き込む。いたずらな表情にドキドキする。練習でトキに告白するのか。と今更なことが頭をよぎる。逆に恥ずかしがる事が恥ずかしい気がする。急に強気になった。夏の夜風が私の背中を押した。
「好きです」
 トキが元の姿に戻って笑う。やればできるじゃんと後ろからキヨが来る。これが私の大まかな予想だった。しかし現実は違った。
「俺も気になってた。付き合う?」
 トキが首をかしげる。どこまでやるの。私の緊張は切れていて、空を見上げ、深呼吸。
「いいの」
「うん」
 トキは頬を赤く染める。終わらない。というか、このままだと私、トキと付き合う流れなのか。焦りながら、キヨがいる茂みを見る。
「えっ」
 そこには二つの影があった。
「あなたは誰」
 目の前にいる人に質問する。
「伊坂だけど、佐々木さん分かってないの」
「えっ、ここ京都だよ」
 ここは地元ではない。伊坂君がいるのはおかしい。
「今日の夕方スーパーで偶然会ったじゃん。お互いに親の実家が近いんだねって」
 それは私じゃない。私はトキとキヨと別れてから家にずっといた。そもそも、京都に来てからスーパーに行ってない。
「いや、告白上手くいったから夢かと思って」
 適当に誤魔化す。
「佐々木は面白いな」
 私の大好きな伊坂君の笑顔があった。目の前にいるのはトキではなく、本当に伊坂君なのだろう。信じられないが、本人だと感じた。

 もう遅いからと帰ることになった。家まで送ると言われたが上手く断った。私には確かめたいことがある。
「トキ、キヨ」
 彼らの名前を呼ぶ。
「なになに」
 人間と狐の境目の姿。二人の声が重なる
「どういうこと」
 なにから聞けばいいのか分からない。
「今日はもう遅いからまた明日にしょう」
 トキが提案する。確かにそうだ。時刻は七時半過ぎ。いつ私が家にいないのがバレるか分からない。
「そうだね」
 モヤモヤを残したまま帰宅した。

 あと二日。明日の昼にはここを出る。一日いられるのは今日だけだ。寂しい気持ちと同時に昨夜の出来事がよみがえる。
「鶴葉、おはよ」
 二人の声は、ほとんどハモる。
「おはよう」
 私は返事をする。
「びっくりしたでしょ」
「あれは誰なの」
 笑うトキに私はくい気味で問いかけた。
「伊坂航、本人だよ。本当に偶然京都にいたから鶴葉の代わりに」
「ちょっと」
 スラスラと話すキヨを止める。
「私の代わり?」
「そう。ボクが化けたの」
 キヨが嬉しそうに言う。
 それから最後の冒険をして、家に戻った。帰りたくない。

 最後の日。
「今までありがとう」
 少しおしゃべりをして別れの時間になる。私はお礼を告げた。
「鶴葉についていこうかな」
 トキが呟く。
「そうできたら嬉しいけどね」
 私は泣きそうな気持ちを抑える。
「できなくもないけどね」
 キヨがボソッと言った。そんな事ができるのか。
「でもね、オレたちはここが好きだから離れない。ごめんね」
 申し訳なさそうなトキ。わがままは言えない。
「また遊びに来るよ」
 頑張って笑い、帰路に向く。
「待ってる」
 二人の声が同時に聞こえる。振り返ると、人の姿はなく二匹の狐がこちらを見ていた。セミの声がうるさい真夏の出来事。