西暦二○二九年、神帝(しんてい)十一年。紅葉舞う神無月。
この日、栄華を誇る京の都は荒れ狂う業火に包まれた。地上ではあらゆる場所で火の手が上がり、空は黒煙によって赤黒く染め上げられ、昼なのか夜なのかさえわからない。
すべての始まりは、たった一人の男によってもたらされた、神州最凶最悪の災禍である神の再臨。
その神の御名を――――大禍津日神(おおまがつひのかみ)。
かつて、この神州の地にて大災厄をたった一柱で巻き起こした、脅威の禍神(まがかみ)に他ならない。その力は存在するだけで怪異を生み、腕の一薙ぎですべてを紙屑のごとく吹き飛ばす。
人々は誰も彼もが悲鳴を上げ、我先にと逃げ惑う。しかし、逃げたところで端から無意味であり、死という必定の運命をほんの数秒先延ばしにするだけである。結果は変わらず、悪足掻きでしかなく、ただの徒労にしかならないのだ。
大禍津日神とはそういう存在で、そういう不条理が形を得たに等しいモノなのだ。
故に、訪れる光景は誰もが容易く想像できたもの。人々は怪異に喰われ、殴られ、斬られ、打ち捨てられる。命の灯火が消えた者たちが死屍累々と積み重なり、業火によってその亡骸が灰となって消えていく。
まさしく阿鼻叫喚の地獄絵図。その様を高みから眺め、哄笑を響かせるモノが一人と一柱。
「はははは、はははははははははは――!!」
「ふふふ、ははは、ははははははははは!!」
雄々しくも禍々しい哄笑を響かせるのは、親友のごとく並び立つ黒白(こくびゃく)の男たち。
片や、漆黒の軍服を纏う黒髪で碧眼の男。
片や、白い着物と黒い袴を纏う白髪の男。
彼らこそが、この地獄を容易く顕現させたすべての元凶であった。
即ち、護国軍の相(あい)沢(ざわ)正(まさ)隆(たか)少将と大禍津日神である。
「素晴らしいぞ、大禍津日神よ。人間に与えるべき試練としては、実に申し分ない」
「そうかそうか。それはなによりだ、相沢正隆。もっとも、この結果は貴様の判断があったからこそだぞ?」
神に対してあまりに不敬と言わざるを得ない相沢の口調に、大禍津日神は機嫌を損ねた様子を見せることなく応じる。
「京の都……なるほど、霊的地としては日光東照宮、霊峰富士以上によい場所だ」
大禍津日神がその真紅の双眸を、燃え上がる京の地へと向ける。
京都――それはいくつもの神社仏閣が建つ地であり、風水都市とまで呼ばれた神州の特異点とも言える場所なのだ。その霊的地を基点として復活した大禍津日神は、かつてないほどに充溢した力を有している。
結果、今の京都で起こっている程度のことなら、彼が持つ力を使うまでもなく簡単に引き起こせてしまうのだ。
「しかし、我が言えたことではないが、貴様もなかなかに狂っているな相沢正隆よ」
「そうかね? オレはオレが狂っているとは思っていないが?」
「狂人は皆そう言うだろう。いや、そもそも狂っている自覚などないのだ。狂っているが故に、狂っている己の在り方こそが当たり前だと認識しているのだからな」
「なるほど。では問わせてもらうが、いったいオレのどこが狂人のそれだと言うのだ?」
相沢は大禍津日神の言葉に不快感を示すことなく、いいやむしろいっそ楽しそうに、その両の瞼を閉じて、人々の叫びを聞きながら隣に経つモノへと尋ねた。
「決まっているだろう。……神州の民を愛しているが故に、その民が死にかねない――いや、確実に死ぬであろう試練を与えてまで、異国の者どもに劣らぬ存在へと成長してほしいなど。狂気以外の何物でもないだろうよ」
吹き抜ける風に、相沢の大外套と大禍津日神の白い長髪がなびく。
「くくく……あぁ、確かに。そう言われるとそうかもしれんな」
大禍津日神が口にしたことに、相沢は軽く肩を揺らした。
相沢自身、大禍津日神に言われたことを狂気の行いなのではと、疑問に思わなかったわけではない。しかし己自身を狂人と認める前に、己が成すことが間違いではないと思ったが故に、彼は迷わず正気のまま狂気の道を進んだのだ。
相沢正隆は神州の民を愛している。愛しているからこそ、異国の力に屈するような弱い存在であってほしくはない。それが揺るぎない相沢の願いであり、祈りであり、望みなのだ。
けれどその愛はあまりに重すぎた。彼の愛は強すぎるが故に、受け取る側はその試練を乗り越えられず、京都で起こった現在の惨状がその果てだ。そもそも、大禍津日神に勝てというのが酷な話であり、勝てる確率などほとんどないに等しいのだ。
だが、その光景を前に相沢は失望などしていなかった。
なぜなら――
「……来たか」
相沢正隆は、試練を乗り越えてくれる者が現れると、信じているから。
「待っていたぞ、オレの希望たる強者たちよ」
相沢は口の端を吊り上げて、閉じていた両の瞼を持ち上げた。そうして眼下へ目を向けた彼の前には、一人の少年と、その少年に付き従うかのような三人の少女がいた。
その中の少年――暁(あかつき)拡希(ひろき)は、屋根の上に立つ相沢たちを睨み返す。
「待たせたな。さあ、決着をつけよう」
拡希はそう言うと、大太刀をその手に顕現させる。彼の周りにいる少女たちも、各々が使う武器を手に取る。
彼らが最終決戦の地として選んだのは、広大な敷地を持つ平安神宮であった。蒼龍楼、白虎楼、そして大極殿は未だ健在であり、四人は大鳥居を潜って来た。
拡希たちのその姿を見て、相沢は喜びのあまり笑い声をこぼした。
「くくく、はははははははは! 素晴らしいぞ、それでこそ人間というものだ」
大禍津日神に勝てる確率はほぼ絶無。しかしそれを覆し、勝利の可能性を呼び寄せることができるとしてら、それは逃げるのではなく〝挑む〟こと。
〝死にたくない〟ではなく〝生きたい〟という想いの違い。
些細な差異であろうとも、その差は驚くほどに広く大きいものとなる。
「では、始めようか。我らの戦い、その最後の激突を!」
「言われるまでもないさ」
双方闘志は十分であり、その覚悟も想いも揺るぎはしない。
だからこそ、最後となるこの戦いにおいて決定打となるのは、想いの強さ。
そしてその戦いの火蓋が、ついに切って落とされた。
「「行くぞォォ――ッ?」」
重なり合う二つの咆哮が開戦の号砲となり、ここに空前絶後の激突が始まった。
戦いは初撃から熾烈を極め、どちらも互いに全身全霊の全力を注ぎ込んでいた。
だからこそ、勝利の天秤は秒刻みで傾く側を変え、訪れる結末は誰一人として予想できはしなかった。
果てして、勝つのはどちらか。
愛するが故に試練として立ち塞がる、揺るぎない救済の祈りか。
信じた道を大切な仲間と歩み続けた、未来(あす)を想う希望の祈りか。
どちらが勝ってもおかしくはなく、どちらが負けてもおかしくはない。だからこそ、結末は歩んできた道のりにこそ左右される。
そう、これはあくまで最終決戦。拡希たちが歩んできた物語の最後であり、これより語られるべきは現在に至るまでの過去。
故に、さあ振り返ろう。彼ら彼女らが紡いできたその物語を――