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 同学年の友達である畑山が、腹痛で最寄のトイレに向かっている間、僕は一人のんびりと足湯に使っていた。
 目の端に映った渡月橋を見てみると、渡っているのは日本人よりも外国人の方が多い。
 それもそうだろう。この嵐山だけでなく、京都は日本でも屈指の観光名所で、一日で全て周りきるのは不可能と言われているくらいだ。
 そのため、多くの観光客は宿泊する日程を増やし、少しでも長く京都を満喫しようと奮闘するのだ。
 しかし、興味のない場所に長居などしたくはない。学校の行事で京都に訪れているが、さっさと東京に戻りたいと思っている。
 足から伝わる熱が身体を駆け、少し熱いと感じるくらい全身を温めた。九月になったとはいえ、まだ夏を感じさせる暑さに舌を巻いていたが、それでもここに居る以外やる事がないため、この場からは余程の事がない限り動くつもりはない。
 畑山を待つのも飽きてきた頃、自分のバックから持ってきた小説を読もうとした時だった。
「隣、空いてる?」
 突然、真横から女性特有のソプラノボイスが聞こえた。しかもそれは聞き覚えのある声で、誰が声をかけてきたなど、簡単に予想出来た。
「どうぞ」
 一声かけると、その人は右隣に座った。横目で確認すると、予想していた人物だった。
 栗色の髪を後ろで一つに束ね、雪のような白い肌は、化粧でもしているのか疑いたくなる程、美しく、誰もが見惚れてしまうことだろう。
 志藤怜悧、自分のクラスメイトで、人望が厚く、尚且つ、皆に優しい彼女は、学校で知らない人はいない。実際、後輩にも慕われて、先輩にも人気がある。僕とは真反対の人だ。
 そんな有名人だが、僕にしたら近くに居てほしくない人物、上位に位置する人だ。
 あまり目立ちたくない僕としては、彼女とは関わりたくないのが本音だ。彼女だって、何も取り柄のない僕の近くに居ては、退屈だろう。
 だからこそ疑問に思うのは、なぜ僕の直ぐ隣に腰を下ろしたかだ。
 他にも席が空いているのだから、隣ではなく、別の場所に座ればいいのに。
 しかし、僕の口からその言葉は、なぜか出てこなかった。
(まぁ、足湯に浸かってるだけだし、気にしなくても良いだろう)
 そう思って、手に取った小説を読み始めると――
「それ、何読んでるの?」
「え?」
 突然、志藤さんが話しかけてきたのだ。
 あまりに急なことに、少し脳がフリーズしかけたが、直ぐに動き出した。
「あー、小説だよ。タイトルは『矛盾螺旋』」
「へー、面白いの?」
「いや、僕も読み始めたばかりだから、まだ何とも」
「ふーん」
 今の会話で興味が失せてくれればいいのだが、どうやらその気はないらしく、彼女の瞳は真っ直ぐ僕を見据えていた。
「あの、何?」
「ううん、別に何でもないよー」
「何でもないのに、どうして僕を見てるのさ」
「うーん……面白いから?」
「ただ本を読んでる人のどこに面白味があると?」
「なんとなく!」
「……」
 いったい何が面白いのか、志藤さんは笑顔でずっと僕を見続けている。
 読書するのに集中出来なかった僕は、溜息を吐き、読んでいた小説を閉じた。
「あれ、もう読まないの?」
「そんなに見られてちゃ、気になって本なんて読めないよ」
 気分的に、これ以上ここに留まりたくないと判断し、僕は立ち上がる。
「もう出るの?」
「うん、君より長くここに浸かってたからね。もう充分だよ」
 バックからタオルを取り出し、足を拭く。
 畑山には悪いが、後で連絡して別の場所で落ち合おう。靴下を履き、靴に足を通そうとした時だ。
「じゃあ、私も出よーっと」
 後ろから、志藤さんの声が聞こえたと思うと、そそくさと足を拭き、靴下を履いて僕の隣へと来た。
「どうして、まだ入ったばっかりなのに……」
「だって、一人じゃつまらないでしょ」
「どの道、ここを出たら僕と別れるんだから、それともどこかで誰かと待ち合わせでもしてるの?」
「え、私は宮内君に付いて行くつもりだけど」
 キョトンっとした顔で、志藤さんは僕にそう言った。
 意味がわからない。なぜ彼女は僕と一緒に居たいのだろう。自分とは真逆の人と共にいても、つまらないだけなのに。
「どうして、僕なんかと居ても、楽しくないなのに……」
 目を伏せ、こんな自分に付き合うと言っている、志藤さんに申し訳なく思った。
 しかし、志藤さんは僕の心情など全く気にしないような、屈託のない笑顔を見せて、僕の手を握った。
「楽しいか楽しくないかは、私が決める。私は君と一緒にいると楽しいし、落ち着くの」
 手を握る力が強くなった。さっきまで足湯に浸かっていた所為か、ほんのりと温かい。
 そして、その温かさが、自分の冷めた心まで包んでいくように、広がっていく。
「本当につまらないかもしれないよ?」
「君になら、裏切られてもいいよ」
 志藤さんは、そっと手を放す。彼女の温もりに名残惜しさを少々感じたが、誰かに見られては、その後が煩くなるので、我慢した。
「それじゃ、行こう。ちゃんとエスコートしてよね!」
「勝手に付いて来るなら、別にしなくてもいいでしょ」
「ノリ悪いなー、気分も大事だよ」
 隣を歩く志藤さんは、楽しそうに笑った。この時、僕はどんな顔していたかはわからないけど、ほんの少し、悪くないと思った。