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 鳩時計がパッポウと控えめに鳴いた。
 木造で古いこの家は隙間風があちこちから吹き抜けていく。夏ならちょうどいいくらいなのだが、この時期はとても寒い。
 こたつの周りを僕ら家族と春香が囲む。春香の背中を、ストーブが温める。
 僕の背中も温めてほしいが、ぎこちない空気が流れている今、さすがに場所を交代してほしいなんてことは言えない。もし、背中をさすって温めてほしいなんて言ったら、多分外に放り出されて、氷点下の中で夜を明かすことになる。明日にはこの心臓も止まっていることだろう。
 だから僕は、何も言わない。
「それで、春香ちゃんはどうしてこんなお兄ちゃんに声をかけたの?」
 こんなと言われて腹が立ったが、僕は大人だから声を出して反論はしない。目線だけで抗議する。
「……」
 うつむいたまま何も話そうとしない春香に、母も父も、もちろん僕ら兄弟も困り果てていた。
「ちゃんと話してくれるって言っただろ? 教えてくれよ」
 兄は責めるように言った。
「そんな強く言わなくてもいいだろ」
「元はと言えば、全部お前が悪いんだからな。冬の海になんか連れて行けって言わなければ……」
「何でだよ、最初は賛成してたじゃん」
「海辺をドライブするくらいかと思ったら、浜辺まで降りやがって」
 お互いの不満を口に出したら止まらなくなるのが兄弟ってものだと思う。放っておけば三時間くらいは兄への不満を言い続けられる自信がある。
「あんたたち黙りなさい! あんたたちの話を聞きたいんじゃないの」
「ご、ごめん……」
 みっともない言い合いは、母の雷のような言葉で静まり返った。
 加えて、母の怒声は僕らの身体を支配する力も持っているようで、知らず知らずのうちに僕と兄は正座をしていた。ここへ来てからずっと正座をしていた春香は身を固くした。
「迷子になったの? 家は? 送って行ってあげるから。この馬鹿兄弟が」
「馬鹿じゃ……すみません」
 優しく語り掛ける言葉の中のやけに力の入った馬鹿という言葉に反論しようと思っても、般若のような形相で睨まれてしまえば誰でも素直に謝ることしかできまい。
 そんなやりとりをうつむいて聞いていた春香は、切りそろえられた前髪の下から大きな瞳をゆっくりと僕らに向けた。少し濡れているようにも見える。
「今は、花倉町にあります。でも、前の家に帰りたい……」
 一瞬の静寂が居間に広がった。と同時に、ある考えが頭をよぎった。
「もしかして、家出してきた?」
 僕たちが遊びに行った海岸があるのは花倉町の隣町。背負っていたリュックサックの中身はわからないが、見ただけでもかなり詰め込まれているのがわかる。着替えでも入っているのかもしれない。
 うなずいた春香の目から、一粒涙が零れ落ちた。その雫を筆頭に、次から次へと涙が零れていく。
「私のママもパパも、死んじゃった……でも、新しいママと、パパができて……」
 その言葉は涙とともに苦しそうに吐き出された。
 母はティッシュペーパーを差し出した。
「里親か」
 今まで黙っていた父がボソッと呟いた。
「里親?」
「里親制度なら聞いたことがある」
 様々な理由で家庭で暮らすことのできなくなった子供を、要件を満たした里親が自分の家庭に迎え入れること。それが里親制度である。
 兄はそう簡潔に言った。
「そうなの?」
「うん……」
「そっか……」
 僕が掛ける言葉に悩んでいると、母が言った。
「春香ちゃんは今のお家に行く前に、施設かどこかにいたことはある?」
「うん。桃落市の、柏木園」
「そこに行ってみるっていうのは? ほら、お友達もいるでしょ?」
 春香は大きくうなずいた。
「馬鹿兄弟。明日、春香ちゃんを送って行ってあげな」
 母は吐き捨てるように言った。
 どうしてこうも春香と僕らでは声音が違うのだろう。
 玄関で聞いた優しい声はどこに行ったんだ。
「返事は!?」
「は、はい……」
 僕たちは怯えた声で綺麗なハーモニーを奏でた。僕がテノール、兄がバス。しかし、そこに触れる者は誰もいなかった。
 蛇に睨まれた蛙とは、このことではないだろうか。

 僕らはあの後、交代で風呂に入った。
 やはりリュックサックの中には着替えが入っていて、春香は花柄のパジャマを取り出して着た。
「そのパジャマ、可愛いね」
「うん。これね、今のママとパパが買ってくれたんだ。前着てたのが、ちっちゃくなっちゃったから……」
 春香はパジャマの袖を強く握ってうつむいた。
 春香を抱き上げた僕は、一緒に布団に入った。僕と兄の間に春香を挟むようにして寝転がる。
「サンドイッチみたい」
 くすくすと春香が笑う。
 温かい笑い方だった。春の温かさのような、そんな笑い方。
「静かなんだね」
 ここの地域の冬はとても静かだと思う。時折、鳥か何かが羽ばたく音が不気味に聞こえてくるだけで、それ以外の音はしない。
 雪が降れば鳥の羽ばたく音さえもなく、家族の寝息や寝言もどこか居心地悪そうに感じるくらい、静かになる。
「でも、夏になるともっといろんな音が聞こえるんだよ。騒がしいくらいにね」
「へえ、そうなんだ……」
 春香は何かを言いかけたけれど、口をつぐんだ。
 兄はもう眠りについたらしい。
「もう寝ようか。夜も遅いし」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
 僕は春香の温もりを左側に感じながら、眠りについた。