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 あれは、東京国立博物館に行った時のこと。フィールドワークがあったその日、ペアを組んで行動していた俺と真岡さんは、身の毛もよだつ体験をしたのだった。

「最初ここでいい?」
 そういって真岡さんが指さしたのは東洋館。装飾された文字とは裏腹に、建物はモダンで質素な作りだった。
「うん」
 言葉少なに同意を告げた俺は、「よし」と頷いて歩を進める彼についていった。
 館内に入ると、外気で流した汗を乾かすように冷風を受けた。
 すぐに汗が引くほどの温度ではなかったため、非常に快適だった。恐らく展示物の管理に一貫なのだろう。
「どっちから行く?」
 展示室は大きく左右に分かれていた。今入ってきた受付のある中央、そして展示内容すら知らない左右。一応、受付の左側に地下へと続いていそうな階段があったが、選択肢には含まれていなかった。
「パンフレットとかないかな。流石に、何がどっちにあるのかもわからなくちゃ選びようが」
「確かに」
 二人揃って館内を見回す。すぐに、受付の職員に聞けば一発で解決するのでは? と思ったが、探しもせずに聞くのは如何なものかと思い直した。
「あったよー」
 小声気味ではあったが、客が少なかったのが災いしいささか響いた。ちらりと受付の方を見たが、職員はなんら気にした様子はなかった。
 日常茶飯事なのだろうが、少しばかり申し訳なくなった。
 気持ち駆け足で真岡さんも元へ向かうと、壁に架けられたパンフレットが目に入る。
「これじゃね? 種類あるけど」
 真岡さんが言ったように、パンフレットは数種類あった。しかしよく見てみると複数の言語で書かれているだけで、全て同じようだった。
「真岡さん、全部同じですよ」
 日本語で書かれたパンフレットを手に取り見せる。
 彼と二、三言交わし、向かって左側の空間が展示室でも何でもない、階段の空間であることを確認し、右側の展示室へ行くことにした。

 展示物は野ざらしの状態で展示されていた。つまり、ガラス枠などで囲われていなかった。だから触ろうなどとは思わないが、セキュリティ面は大丈夫なのだろうか?
「上行ってみる?」
 この展示室は五階層で作られている。彼が言っているのは二階以降のことを言っているのだろう。
「そうですね。せっかくだし行きましょうか」
 一つあたりの幅が大きくとられている階段を上り、二階へ。
 一階にあった中国仏像は見分けがつかなかったが、この階に展示されているインド系の展示はまさに個々様々だった。そもサイズが違う。胴体部分だけの物、壁画、古代の小物まで。一階では頭部ばかりだったので、いよいよ“博物館”という感が増した。
 そして一通りを回り終え、三階へ行こうかという時、俺たちは気付いた。
「こっち側回ってなくね」
 そこは展示室の奥の方、中央で四角く螺旋を描く階段とは反対方向にあった。
 展示室に比べると暗がりが際立つそこには、階段があった。
 しかし訪客が使うわけではないのが一目瞭然、明かりという明かりが一切なかったのだ。
「うっわ……雰囲気あるな」
 普段は大人みたいな落ち着いたオーラを纏っている真岡さんも、これは堪えたようだった。
「これは撮ったらワンチャンうつるのでは?」
 俺がそういうと、真岡さんはこちらを見た。
 この目は知っている。お前がやれという目だ。
「じゃん負けにしません?」
 正直俺が撮っても良かったのだが、少しばかり賭博心が沸いたのだ。
「いーよ」
 かくして行われたじゃんけん。
 持ちかけた俺はしかし、予定調和の如く負けた。
 気分が落ち込みつつも、スマホのカメラを起動する。上下につながる件の階段をフレームに収め、シャッターボタンを押す。
「どうだ?」
 何がどうだ? だ。こちとら恐怖耐性ゼロやぞ。
 万が一写っていようものなら即削除を決めていた俺は、おそるおそる画面を覗く。
「…………」
 画面には何も写っていなかった。もちろん階段は写っていた。最低限度の光度をもって辛うじて形が分かる。
「一応下も撮っといたら?」
 同じく画面を覗き込んだ真岡さんは、結果が不満だったのか、更なる要望を言い出した。
「他人事だと思ってぇ……」
 無視すればねちねち言われそうだったので、従うことにした。
 恥ずかしながら高所恐怖症のきらいがあった俺は、手すりの部分にスマホを乗せ、落ちない程度に階下を収める。
 カシャッ、と申し訳程度の寄せた電子音が響き、ジェイペグ保存される。
「よっしいくぞ」
 画面を見ても“らしい”ものは写っていなかった。ただ奈落へ落ちるように、深々と暗闇が広がっていた。
 満足したのか、真岡さんは三階へ向けて歩を進める。
 俺はやれやれと思いつつ、彼についていった。

 五階まで見て回り、いざ最後、地下へ行った。
 地下には二階で見た以上の規模の壁画が展示されていた。横長のものや正方形に近いもの。小物に芸術品など。
 ある意味の『探検』は、つつがなく幕を下ろした。

 帰宅後、ラインで真岡さんと会話をしていた。
『今日撮った写真、課題で参考にするから送っといて』
『了解』
 真岡さんからの要望に応え、今日撮った写真を送る。
 撮影許可がされた展示物や、例の階段。
 一枚、また一枚と写真がアップロードされ、同時につく既読。
 順番に挙げられた写真を全て送り終えたところで、アルバムを作ればよかったか、と後悔する。
 さっそく制作に取り掛かろうとしたところで、真岡さんから通知が来た。
『階段の写真消したほうがいいかもしんない』
 心がざわついた。
『なんでですか?』
 消したくないわけじゃない。ただ理由が気になった。
『下撮った時の写真見てみ』
 その言葉に従い、カメラロールを見る。
 撮影直後に確認した時と同じ、螺旋階段が延々と続き、奈落のように暗闇が包む。
『なんも写ってなくないっすか?』
 既読の文字はすぐついた。しかし返信が来ない。見間違いかと見直しているのだろう。
 返信が来るまでの間アルバム制作をしようと思い。ページを変遷する。しかしまた、作ろうと思ったところで返信が来た。
『地下行った時のこと覚えてる?』
『はい』
『あん時さ、下に続く階段なくなかった?』
 俺はすぐにスマホに保存してある階段の写真を消した。
 辻褄合わせの言い訳はいくらでも思いつくが、怖かったのだ。