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 東京神田神保町、「世界一の本の街」とも言われているこの街は、様々な本が集まっている。新作の本から古本、外国の本まで取り揃えられている本屋が並ぶこの通りは、神保町古書店街と呼ばれており、お年寄りや本好きの人が行き来するようになっていた。
 そんな通りの一角に、『坂口書店』と言う古本屋がある。最寄りの駅から少し離れた場所に位置しており、奥まで歩かなきゃ辿り着くことはできない。
「ただいまー」
 少年が一人、古本屋『坂口書店』の裏口から中に入った。どうやらそこは少年の実家らしく、通っている学校から帰ってきたようだ。
「お帰り、遼ちゃん。今日はちょっと遅かったねぇ」
「もう直ぐ体育祭だしね。俺実行委員だから、準備とかしてたんだよ」
「そうかい、大変だねぇ」
 少年、遼太郎に話しかけてきたのは、遼太郎の祖母で『坂口書店』の店長、坂口梅子だ。元々夫と二人で営んできた書店だが、数年前に夫を亡くし、今は梅子一人で経営している。
 偶に遼太郎も手伝いをするのだが、やる事と言ったら店の留守番をしたり、はたきで本の埃を払ったりするくらいだ。
「もう晩御飯にするから、ちょっと待っててねぇ」
「うん、わかったよ」
 遼太郎は祖母と二人で暮らしている。親がいないという訳ではない。両親二人とも海外で仕事をしており、忙しく中々日本に帰ってこられない。海外で一緒に暮らしても良かったのだが、遼太郎の中では海外で暮らすのはハードルが高く、一人だけ日本に残ることにしたのだ。
 しかし、まだ中学生の遼太郎を一人暮らしさせるのを心配した両親は、梅子に遼太郎を中学生の間預かってもらうことにした。梅子は大歓迎し、遼太郎と共に暮らす事となった。
「さて、俺も手伝いをするか」
 二階にある自室に戻った遼太郎は、学生服を脱ぎ、『坂口書店』のエプロンを付けて一階に降りた。
 梅子が夕飯を作っている間は、遼太郎が店の手伝いをすることになっている。
 暫く、レジ近くの椅子に腰をかけていると、梅子が台所から顔を出した。
「ごめんねぇ遼ちゃん。お豆腐きらしちゃったから、ちょっと買ってくるから」
「この時間に? 俺が行こうか?」
「いいよいいよ、遼ちゃんは留守番してて、直ぐ帰ってくるから」
 そう言って梅子は買い物に出かけた。一人残された遼太郎は、静かになった店内を見渡す。
 誰もいない書店の中は、雰囲気が変わり若干寒くもあった。
「取り敢えず、閉店時間まで留守番するか」
 特にやる事のない遼太郎は、手元にあった小説を読み始めた。

 

 

 梅子が買い物に出かけてから、三十分くらい経っただろうか。遼太郎は壁時計を見て確認する。時刻は午後七時を回ったところ。梅子ももう直ぐ帰ってくるだろう。
 そう見越した遼太郎は立ち上がり、閉店をするため外に並べてある本を店内に運び始めた。見ただけでも百冊は超えているこの量を、梅子は毎朝一人で外に出している。そう思うと遼太郎は、お年寄りと言っても梅子はまだまだ現役でやっていけるし、何より力作業ができるお年寄りは、少しカッコ良く見える。
 外に置いてあった大半の本を店内に入れている時、遼太郎はふと一冊の本に目が向いた。
 見た目はボロボロで、年期を感じさせる物だ。
「随分古い本だな……」
 遼太郎は手に取ってその本を眺めた。本のタイトルや、作者名は字が薄れていて読めなかった。本文は日本語だったが、字が掠れており所々読めない部分もあった。
 速読で目を通し、辛うじて読むことができた遼太郎は、満足に読めないこの本は処分した方がいいだろうかと考えている時だ。

『捨てないでください!』

 店内に凛とした声が響いた。
 今まで聞いたことのない声に、遼太郎は辺りを見回す。しかし、今この書店にいるのは自分だけ、梅子はまだ帰ってきていない。
「えっと、どなたですか?」
 一応、大きな声で返事をしてみる。もしかしたら、自分が気づかない内にお客さんが来たのかもしれない。そう思い店内を回ってみるが、そんな人物は見当たらない。外を覗いても歩いているのは、会社帰りのサラリーマンや、部活帰りの学生だけ。それも坂口書店を見向きもしない人たちばかり。
「うーん……気のせいだったのか?」
 遼太郎は頭を掻きながら店の中に戻り、入り口の扉に鍵をかけた。
 エプロンを外しながら居間に向かおとすると――――
「ん?」
 遼太郎はその場で振り返る。どこからかこちらを見ている視線を感じたのだ。
 しかし、そこには誰もいない。
(ま、まさか、幽霊……?)
 遼太郎に冷や汗が流れる。さっきの声と言い、この店には何かがいる。
 遼太郎は辺りを警戒する。そしてその場にあった箒を手に持つと、店内通路や本棚の間を注意深く覗き始める。
 しかし、怪しい場所は殆ど見たが何もなく、変わっている所もなかった。
 遼太郎は安堵の息を吐く。その時だった。

『きゃあ!』

 いきなりの事に遼太郎は驚いた。本が落ちる音と共に、誰かの小さな悲鳴が聞こえたのだ。
 遼太郎は手に持った箒を握りしめ、声が聞こえた方向に向かう。
 そこは本が一冊、ページを開きながら落ちていた。それだけだったら良かったのだが、なんとその本は、独りでに上がったり下がったりしていたのだ。まるで本の下に何かがいて、本を持ち上げようとしているかのように。
(何あれ……)
 遼太郎は不安に駆られながら、落ちている本の所へ向かう。遼太郎の足音が聞こえのか、本に下敷きにされているものは、ピタリと動かなくなった。
 恐る恐る、遼太郎は本を手に取った。
「ッ!?」
 息が詰まる。自分の目を疑った。見つけたのがネズミとかだったら、まだ現実味があっただろう。しかし、見つけたのは全く違うものだった。
 大きさは親指サイズのものであり、綺麗な着物を羽織っていた。

「こ、小人……?」

 この日、坂口遼太郎は、古本屋の妖精に出会った。