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 七里ヶ浜から江ノ島を眺める。平日の昼間。本来、高校生の僕は学校にいないといけない時間だ。今日は特別な休みでもない。ただのサボりである。一応、制服を着て学校に向かう気持ちがあったが、途中で電車を降りてしまった。僕が学校を休むのは日常の事で、誰も何も言わない。
「何をしてるの?」
 えっ? 後ろから女性の声が聞こえて振り返る。歳は同じくらいで、水色のワンピースを着ている。袖は短く、この季節には少し寒い気がした。
「いや、特に」
「学校は?」
「えっ」 
 そうだよな。聞かれるよな。僕が答えづらそうに黙っていると、
「まあ、いいや。この後暇?」
 僕が学校に行っていない理由は興味なかったようで、話題はがらりと変わる。
「まあ」
「じゃ、付き合ってよ」
「え?」
 いきなりの告白?
「あっ、恋人になろうって意味じゃないよ」
 はいはい。そんな事は、
「分かってるよ」
「でも、顔真っ赤だよ?」
「えっ?」
 そんな事は、慌てて頬を触って熱を確かめる。
「嘘だよ」
 彼女はいたずらに笑う。騙されたか……。
「悪趣味だね」
「怒った? ごめんね。キミ、面白いから」
「怒るよ」
「ごめんごめん」
 彼女は、全然反省している様子ではなかった。
「まあ。いいけど」
「じゃ、水族館言ってくれるんだね」 
「水族館?」
 そんな話してたかな? 
「うん! 海の仲間達がたくさんいるの! 行こう!」
 目を輝かせながら、彼女は訴えかける。水族館は嫌いじゃないから行ってもいいか。
 新江ノ島水族館に着く。
「うあー。広いね」
 彼女はパンフレットを広げる。
「来たの初めて?」
「そうだよ!」
 意外だ。てっきり、常連かと思った。
「イルカショー観に行こう」
 最初に向かったのはイルカショーだった。ショーの時間がちょうど良かったというが一番の理由だろう。人の流れについていき、ショーの場所にたどり着く。係りの人の指示に従って座る。前の席は恋人同士のようで、手を繋ぎ、肩を寄せ合っていた。ふと、周りを見ると男女ペアに座っている事が多い。僕達もカップルにみえるのだろうか。これって、デートと言われるやつなのではないか。急に恥ずかしくなる。そんな事を考えていたので、イルカショーの内容は全く覚えていない。

 イルカショーの次はクラゲコーナーだった。
「クラゲのファンタジーホールだって!」
 彼女はとても嬉しそうだった。
「クラゲ好きなの?」
「うん。そうだよ。キミは好き?」
 自分から質問した内容なのに、咄嗟に答えられなかった。クラゲは好きか。考えた事なかった。嫌いじゃないから、好きかな。
「うん。好き」
「そっか」
 彼女は驚いたように目を開く。少し顔が赤く見えたけど、それは照明のせいかも知れない。
「クラゲさんが、たくさんいるね」
 彼女は水槽に手を当てた。
「そうだね」
「ミズクラゲ、タコクラゲ、ビゼンクラゲ、色々いるね」
「うん」
「ちゃんと見てる?」
 僕の生返事がおきに召さなかったのか、彼女は強めの口調で、こちらを見る。
「え? うん」
「じゃ、何クラゲが一番好きだった?」
 そんな質問されるとは思ってなかった。ちゃんと見ていても、名前まで覚えている人はいないのではないだろうと思ったが、口に出せなかった。
「ハナガサクラゲかな?」
 彼女の後ろに展示してある水槽の説明欄をカンニングした。
「そうなんだ」
 僕の回答が返ってくるのを期待してなかったのだろう。とても驚いた顔をしていた。仕返しにと思って、「何クラゲが好き?」と尋ねたら、「アカクラゲかな」と普通に答えられてしまった。
「次はこっち」
 彼女は僕の腕を引いた。僕に決定権はない。着いたのは太平洋の海と書かれた展示スペースだった。
 水槽の中を楽しそうに眺める彼女。ガラスごしに表情が見える。
「みてみて、この魚可愛い」
「うん。そうだね」 
 いつの間にか、僕の視線の先は魚から彼女に変わっていて、返事はしたけど、どの魚が可愛いのか分からなかった。
「次はこっち」
 次は彼女に連れられてウミガメとカピバラを見た。両方とも、じっとしているので面白くはない気がするが、彼女は数分間、ずっとニコニコしながら見ていた。よほど好きなんだろうと、関心する。
 最後にお土産コーナーを一通りみて、終わりにした。ぬいぐるみの一つや二つ買うのかなと思ったけど、彼女は何も買わなかった。
 水族館は思った以上に、長い時間楽しむ事が出来た。帰ろうと出口を出た頃には、日が沈みかけていて驚いた。もっと早く帰る予定だったのに、こんな時間になってしまったら、同級生に会う可能性がある。嫌だが、電車を使わずに帰る方法はない。覚悟を決めて、駅に向かう。案の定、帰宅ラッシュで高校生はたくさんいた。しかし、僕に話しかけてくる人はいなかったし、僕も彼女と話していたせいか気にならなかった。
 最初に出会った場所に戻ってくる。
「今日は楽しかったね」
 浜辺に着くと、先を歩く彼女が振り返り、微笑んだ。僕は無言で頷く。
「じゃ、またね」
 彼女の進む方向は海しかなかった。
「どこ行くの?」
「え?」
「いや、そっちは海だよ」
「だから?」
 不思議そうに首を傾げられると、僕の感覚がおかしいのかと錯覚する。そんなはずはない。海は海だ。
「海に帰るって事?」
 よく分からない事を聞いた。
「そうだよ。海にかえるんだよ」
 よく分からない答えが返ってくる。その後に返す言葉が見つからない。
ドーン。
 僕が悩んでいると、遠くで大きな音がした。音の方を見ると、赤と青の花火が夜空に上がる。
「綺麗だね」
 僕が再び彼女の方に視線を戻すと、そこには誰もいなかった。