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「ビバ! 国立博物館!」
 道路に面した、大きな正門前で両手を広げる変人、もとい俺の恋人。
 一体何がそんなに嬉しいのか、上野駅を出てからこっち、ずっとこの調子だった。俺だって、恋人とデートとくればテンションも上がるものだが、正直このテンションにはついて行けそうにない。どう考えても浦安か舞浜でしか見ないテンションだ。というかそれ同じ場所か。
「おい、あんまはしゃぐな恥ずかしい。それ春キャンきたJKのテンションだから」
「えー、TDLじゃここまではしゃがないかな」
 まさかのTDL超え。さすがは国立。
「てか、マキがこういうとこ好きだとは思わなかった」
「私としてはタイセイ君が消極的な方が意外だなぁ。歴史嫌いじゃなかったよね?」
「勉強するのはな。でもなんていうか、博物館とか美術館とか、動きが少ないのは苦手だ」
 展示品を見るのは良いが、いつまでそうしていればいいのかわからないのだ。学校の行事で行った際は、毎回そればかりが気になって仕方がなかった。
 それならば、上野公園内にもある動物園の方が幾分かタイミングも掴みやすくていい。
「そういうもの?」
「そういうものだ。でも人と一緒の場合はいい。付いて行けばいいだけだからな」
「うわ、かっこ悪い……」
 余計なお世話だ。
 当初、博物館に行きたいと言われて真剣に悩んだ俺がこうしてここにいる。その事実をこそ評価してほしい。といっても、口には出していなかったので、その事実も知られてないのだが。
「まぁ、なんでもいいから、さっさとチケット買って入ろうぜ」
「うん、そうだね。わくわく」
「わくわくって音声にするものじゃなくね」
 というツッコミも華麗にスルーし、マキはとてとてとチケット売り場へ向かっていく。その背中を追うように見れば、なんと高校生以下は無料らしい。それならば、一度くらい高校時代に来てみれば良かったか。
「はい、チケット買っておいたよ」
「サンキュ」
 それでも、大学生は四百円台とお財布には優しい。さすがは国立。
 そして、俺とマキは国立博物館の散策を開始した。
 国立博物館は広い敷地に、複数の建物があり、そのどれもがまた大きい。西洋美術館がそうであるように、この建物自体も、文化財の一つであるのだろう。中は当然展示室になっていて、決して派手ではないものの、世界史専攻の俺でも楽しめるものが十分にあった。
 意外にも博物館が好きだというマキは、展示品の一つ一つにうーんとか、ふーんとか言っていた。俺の主観では、博物館や美術館であのような態度を取る人間のほとんどが何も理解していないと思っているのだが、マキはどうやら違うらしい。
 興味のあるものはじっくりと、逆に興味のないものは流し見る程度で、ほとんど素通りのものすらあった。だが、だからこそ、しっかりものを見ているのだということが伝わってくる。ちなみに、興味がない筆頭は戦国時代のようで、刀や甲冑が並んでいるエリアでは展示品より俺の顔を見ている時間のが長かったほどだ。別に惚気とかそういうのではなく、俺の顔色を伺い、もう行ってもいいか確認していたのだろう。
 さて、本館、東洋館の見学を終えた俺たちは、平成館へとやって来た。ここの一階では、縄文から弥生時代の土器土偶といった遺物が展示されているらしい。
「おー、銅鐸。デカいなー」
「なんか、さっきより楽しそうだね?」
「まぁな。文字とか絵よりは、こっちの方が見てて楽しい」
 芸術的な観点が混じったものと、単純な道具との違いだろうか。こちらの方が、作られたものというより、残ったものという印象を受ける。よりありのまま歴史を感じる、と言っても良いかもしれない。
「お、この土偶、これは教科書で見たことあるな」
 ふと、たくさん並べられた中の、一体の土偶に目を留める。
 片足のない、コーヒー豆みたいな大きな目が特徴の土偶だ。
「遮光器土偶だね」
「この土偶の名前?」
「というより、このタイプの土偶の、かな。固有名じゃないと思うよ」
 確かに、教科書で見たものはこの片足のないものだが、同じようなコーヒー豆の目をした土偶もいくつか見受けられる。それに、これだけの数に一つ一つ名前を付けるのも手間だろう。
「遮光器の形に似てるから遮光器土偶。呼び方なんて大した問題じゃないんだと思うよ」
「ふーん、そんなもんか」
「そんなもんだね」
 納得はいく。呼び方はわかりやすいに越したことはない。だが、そうなると気になる問題が一つ。
「……遮光器ってなんだ?」
「光を……、遮るもの?」
「それは読めばわかる。光を遮るものってなんだよ」
「カーテン、とか?」
「どう頑張ったらこの土偶がカーテンに見えるだよ……」
 薄くもないし、ひらひらもしていない。俺だって光を遮るものと言われればまずカーテンを思い浮かべるが、到底そうは見えない。
 そして、気になりだしたら止まらないのが世の常。俺もマキもそのままうんうん唸りだしてしまった。
「器ってことは、うつわなのかな?」
「いや、たぶん石器の器だろ。道具全般を指すものと見た」
「じゃああとは、日傘とか?」
 日傘にも、もちろん見えない。そもそも日傘なら、わざわざ遮光器などという呼び方をする必要はない。
「なら、やっぱりカタカナだね」
「カタカナ語が一般的で、日本語名は浸透してないもの、ってことだな」
「あ、私気付いちゃったかも。サングラス! ねぇ、これじゃない!?」
「サングラス、か。確かに日本語での呼び方は知らないな」
 それに、あの特徴的な目の形にも当てはまる。サングラスに見えると言われれば見えなくもない、という程度だが、カーテンや日傘よりはマシだ。というか、土偶のモデルは人間なのだから、始めから全体像の話はしてなかったのだ。そして一部を切り取るとしたら、間違いなくあの目。これはもう間違いないのではないだろうか。
「って、おい。解説ついてるじゃねぇか」
「あ、ほんとだ。なんで気付かなかったんだろ」
「えーと、なになに……」
 要約するとこうだ。イヌイットが雪中行動をする際に使用する遮光器に似ていることからこの名が付けられた。
「つまり……?」
「サングラスではないな」
 あえて言い換えるならスノーゴーグル、が最も近いだろうか。だが、イヌイットの使用するゴーグルなど見たこともない。というか光を遮るものですらない。
「そりゃ、知らないわけだ」
「うーん、わかりやすい呼び方ってわけじゃなかったね……」
「今の時間返してほしい」
「そう? 私は考えてるの楽しかったけど」
 確かに、それは否定しない。
 だが、少し腹立たしいのも事実で。
「よし、出たらコーヒー飲みに行こう」
「お、良いね、賛成。粗挽きと言わず徹底的にすり潰しちゃおう」
 全く、変なところで気の合う彼女だ。それが何より心地よくもあり、挽き立てのコーヒーの香りとともに、一風変わったデートの幕は閉じたのだった。