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 外出自粛明けにすぐさまデートをするなんて、我ながらどうかと思う。
 世間は新型ウイルスに脅え、更に言えば同調圧力という名の自粛警察に監視され、自由に行動できない日々が続いている。
 そのような状態の中、家で籠ることに我慢の限界を迎えていた彼女は、俺を連れて外出しようと言い出すのは当たり前の事のように感じる。
 ただ一つ。いつものミホと違ったのは、俺を財布代わりにも荷物係にもさせない場所へ出かけたいと言ったことだ。
 ミホの行きたい場所は上野動物園だった。
 彼女も彼女なりに考え、自宅からも近く、千葉の京成線で乗り換えをすることもなく行ける上野に決めたのかもしれない。
 俺はミホにその場で出ると言った。まだ朝の九時だ、今からでも出かけられる。
 男の俺の準備はすぐに終わった。ジーンズを履き、Tシャツを着て、その上に灰色のジャケットを羽織れば終わりだ。
 しかし、ミホは遅い。
 おそらく、三十分は家を出る為の準備をしている。
 この時期だ。どうせマスクをするんだから、化粧をする必要はないと言っても、そんな事は聞こえないという風に化粧をする。つまり、かなりの時間を俺は待たなければならない。
 この待つ時間が途方も無く長く感じられて、俺は化粧するミホを見て自分の顔に絵を描くのが上手いのだから、絵描きにでもなればいいと心で考える。ただ、それは心の内に秘めて置いた。そんな事を言ってしまえば、無職でプライドの高い彼女の就職は、より遠い未来になってしまう。
 ミホが外に出れるようになったのは、見立て通り三十分後だった。彼女との交際のコツは予定時間を三十分、前倒しすることだ。
 結局、顔の半分が隠れた彼女だが相変わらず可愛い。セミロングの黒髪をいじりながらピンクのセーターを萌え袖にし、黒いミニスカートと厚底の靴が華奢な彼女をより、幼い女の子のようにしている。今年でアラサーになる女性とは思えない、幼い可愛さである。
「じゃ、行くか」
「ん」
 彼女は不愛想な返事をして俺の手を握る。

 京成上野駅に着いたのは十一時手前だった。
 幼少期、親に連れてこられた時と印象が違い。
 現在の上野の印象は、丁度よく入り混じった都会と自然みたいな感じだ。
 上野動物園までの道中、神社を参拝する老人を見て微笑み、如何にもインスタ映えを狙って写真を撮る女子高生を馬鹿にして俺達は楽しんだ。
 そこまでは良かった。ミホも楽しそうにしていたし。ただ大きな誤算があったのだ。
『上野動物園。予約客のみ、受け付け』
 道の端に現れた看板を見つけた時の俺を誰も想像できまい。
 彼女は幸い看板に気づいていないようだが、あの看板の文字とそこに描かれた腹の立つパンダのイラストに気づくのも時間の問題だ。
 そこで咄嗟に俺は言った。
「ミホ。この近くにニノが映画で出てたとこあるよ」
「え!」
 『ニノ』はミホがお熱のアイドル。嵐の二宮くんの愛称だ。彼女はニノを推しているため、この名前を出せば、動物畜生への興味も削がれると考えたのだ。ちなみに、俺は千葉県出身者の相葉くん推しだ。
「ニノが映画で出てたとこ、行きたい!」
 俺は笑顔を浮かべ、ミホを導く。

 新しい目的地、東京国立博物館は日本で有数の博物館だ。
 日本の重要な文化財などを多く展示することを許された場所で、アイドルのニノが映画で見事なアクションシーンを演じた場所でもある。
 博物館が見え始め、ミホは声を上げないまでも感動していた。俺の右手を握るミホの手が、コインを握りしめるようになったからだ。
「どう? 立派な建物でしょ?」
 ミホは何も言わず頷く。
 彼女も日本人。大昔の人が建てた立派な建築物に見惚れていた。すぐ横にある上野動物園には目もくれず、ミホは博物館の方へと俺の手を引いて歩く。良かった。動物園には気づいていないようだ。
 やがて俺達は博物館の雄大な門の前に立っていた。
「大きい」
「ミホ、中に入るともっとすごいよ」
 流れるように券売機で大人二人分を買い、入館した。
 最初に入った建物は大きな門から視界のど真ん中に見えていた、一番大きい建物だった。
 建物へ足を踏み込むとすぐさま大きい階段が見える。
 明らかに高価な石をふんだんに使われた大きい石造りの階段は、大理石で作られているのか滑らかで美しく、俺達は展示物ですらない高級な階段に目を奪われた。
 そして階段を見つめたミホは言う。
「すごい、綺麗だね」
「うん」
 動物園に行けなかったのは、これを見る為だったのかもしれない。そう思った。
 かつて数々の偉人達が歩いたであろう階段。立ち入りを禁止する、赤くて高級そうなロープの仕切り。そのすべてに目を引き付けるものがある。そこはニノが映画で立っていた場所だった。
 しかし、ミホの目は既に階段を捉えておらず、俺がニノの演じていた場所を言うよりも前に、展示物の順路へと歩を進める。
 ミホは歴史的な美需品に心を奪われていた。
 最初の展示物は明らかに古い仏像の数々だった。
 木から彫られているとは思えない仏。その厳かで優しい雰囲気のある空間に数々の仏像が並べられている。
 彼女はその一角にあった、三十センチ程の大きさの『阿吽の呼吸』のようなポーズをした阿修羅像をミホは食い入るように見ていた。
「この像すごいね」
 厳格な空気を壊さないため、周りの来館者への配慮のために囁くように言った彼女。
 確かに、阿修羅像は美術品に興味のない俺でも目を引くような仏像だった。
 歴史を感じさせられる出で立ち、見事なまでに完成された体躯、細部にまで装飾された王冠のような物、すべてが木彫りとは考えられない程に素晴らしい。
 だが、俺が目を引かれたのはそこでは無かった。
 ミホが周りに気を使うような声を出したのが意外だったのだ。
 自己中心的な彼女は普段、絶対にそんな事をしない。周りに臆せず、好きな事を好きな声量で言う。それが彼女だ。
 それをしないという事は彼女の中で何かが変わったという事であり、変えたのはこの阿修羅像だという事は容易に想像できた。彼氏である自分ではなく、仏像によって何かの影響を彼女が受けたと考えると少し悔しかった。
「うん、すごいね」
 俺は少し遅れて彼女に返答し、ミホは阿修羅像を見たまま頷く。
 彼女は三十分間、ずっと阿修羅像を見ていた。
                                      了