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 上野駅前の自動販売機の前で、ユウスケは自分の財布を漁っていた。
「百円玉が一枚もねぇ」
 ユウスケは、渋々千円札を取り出すとそれを自動販売機へと吸い込ませ、二百円超のエナジードリンクのボタンを押した。
「ユウスケ、それ好きだよね」
 俺が、呟きながら隣の自販機でコーヒーを買っていると、隣のユウスケの後ろに春彦が並び、
「オレも何か飲もうかな」
 と、商品を吟味し始めた。
 ユウスケは、邪魔にならないようにと気を使ったのか、少し急いでお釣りの五百円玉その他の硬貨を掻き出し始めた。
 春彦は、そんなユウスケが離れるまで、何を買うか迷っていたが、ユウスケが退くとすぐにお茶のボタンを押した。
 春彦は、いつもお茶しか飲まない。ユウスケの気づかいに、迷っているフリで応じていたようにも見えた。
 飲み物を手に入れた俺たちは、のろのろ歩きで本日の目的地、東京国立博物館へと向かった。
 文学科の俺は、別にそこまで歴史に興味があるわけではないのだが、博物館は昔から嫌いではない。しかしこいつら二人は、一応史学科で一部の展示に興味があるらしかった。
 博物館は、そこまで距離が離れているわけではなく、地図アプリを駆使しながら歩きで向かった。
 ちなみに俺は、春彦とユウスケの後ろを付いて行っているだけで、アプリは開いていない。
「この階段登んの?」
 ユウスケは、春彦に正しい道の選択を迫った。
「うん。地図だと、ここをまっすぐだから」
「階段の下の道は違うん? 階段なんて載ってなくね?」
「下から行くと、そこで行き止まりだと思うから」
「なんで分かったん? 行き止まり見えないんだけど」
「階段から先に、下から行く人も、戻ってくる人も一人もいないんだよね。みんな階段を登ってる」
 へぇー、地図以外を見ないから俺はいつも迷うのだろうか。
 俺たちは階段を登って、少し高いところを歩き始めた。
「あ、ほんとに行き止まりあんじゃん」
 ユウスケは、感心したのか下の道を指さしていた。
 このような形で、結局春彦が全てナビゲートして進んでいた。
 しばらく歩くと、木のたくさん生えた道に着いた。
「あっシロナガスクジラだ。でけーなー」
 ユウスケがまた指をさす。
「もうすぐ着くよ」
 春彦の前を見ると、既に博物館らしき入り口が見えていた。
 入館ゲートまで来ると、入館料千二百円をピッタリ持っていたユウスケが先頭に立ち、学生証とチケットを持って進んでいった。ユウスケは、紙幣一枚と銀色の硬貨を二枚渡すと、すぐに敷地内へと入って行く。
 その後ろを春彦、俺と続いて敷地内に入った。
 すぐ目の前には、池とベンチが設置されていて、小さな公園のようであった。
 そしてその池の正面には、公立小学校のようなサイズの館が、左右には、それよりひとまわり小さなものが一つづつ建っていた。
 俺たちは、とりあえず正面にあった一番大きな建物から見ていくことにした。
 傘立ての脇を通り、ロッカーを抜けて中に入る。
 最初に目に付いたのは、石造りの大きな階段だったが、こちらは今日は封鎖されていたようで、階段右にある展示室へ進んだ。
 そこには、大きな仏像がたくさんあった。台座や、装飾まで当時の形を残しているのが貴重だとか、そんなことが書いてあったが、正直見てもよく分からなかった。
 何か俺の気にいるような展示は、無いのかと思い二人より少し早く先へ進んでみると、周囲より一段と小さな展示室へたどり着いた。
 この博物館は、展示室と展示室が廊下抜きで直結に繋がるような造りになっており、自然と順番に回れるような回路が出来ていたが、その小さな展示室は、通らなくても次の部屋に行けるような、そんな位置にあった。
 展示品は、冬木小袖。三百年ほど前に光琳という人が秋草の模様を描いた着物と説明があった。秋草というのは、どのような植物なのかと着物を見てみたが、キクやススキなど複数の花が、生け花を生けるように描かれており、秋に咲く植物群をまとめて秋草と呼んでいるだけということに気が付いた。
 白地に青や紫の花が咲いた涼しさを感じさせる、静かな着物だ。
 そしてそこには、冬木小袖を折れる点線付きの折り紙と募金箱が設置されており、一枚百円から募金することで、折り紙が買えるようになっている。その募金で、冬木小袖を修復しようというプロジェクトらしかった。
 募金箱は、透明で中がよく見えた。一枚百円からということは、値段は、払いたいだけ払ってもいいということであり、太っ腹な人がたくさんいたのか中には一万円札がそれなりの枚数入っていた。
 しかし、中には十円玉や一円玉がかなり多くあり、百円に少し上乗せして払う人が多いようだ。
 俺は、百円玉一枚と十円玉一枚を入れて、横に置いてあった折り紙の山から一枚めくり取り、更に折り方の紙も一枚貰っておいた。
 折り紙を手にした俺は、部屋の端にあった机に荷物を置き、椅子へと腰を下ろした。
 早速折り紙で遊んでみたが、折る箇所が少ないのに意外と難しかしい。
 苦戦している間に、ユウスケと春彦が俺に追いついてしまった。
「おもしろそうだね」
 春彦は、財布から銀色の硬貨と銅色の硬貨を一枚取り出し、募金箱へ落とした。
 ユウスケも、それに続き銀色の硬貨を一枚落とす。
 二人とも、そのまますぐに折り紙を手に取り、机を囲んだ。
「多分そこ谷折りだよ」
 後から来た春彦に教わりながら、俺は冬木小袖を折った。
 だが、意外なことに最初に完成したのはユウスケだった。
「できた〜」
 しかし、そこにあったのは折り線のガイドを全部無視して作られた鶴だった。ユウスケらしいと言えばそうなのかもしれない。
 遅れて俺たち二人も折り紙を完成させた。
「いい休憩になったわ」
 俺は、そう漏らして席を立った。二人も俺に続いて席を立ち、次の展示室へと歩き出す。
 そのときだった。
 春彦がユウスケを止めた。
「ユウスケ、お金払っておきなよ」
「あ、さっきユウスケも払ってたから大丈夫だよ」
 俺は、春彦が勘違いしているのだと思った。しかし、
「いや、ユウスケは、払ってないよ」
「え、でも確かにさっき一枚硬貨を入れるのを見たよ」
「俺も見たよ、銀色の硬貨を一枚入れたのをね」
「じゃあ、なんで?」
「ユウスケが入れたのは、多分一円玉か五十円玉だよ」
 ここでユウスケは、挑戦的な笑みを浮かべていた。正直こいつは、やってそうだが一応認めるまでは、俺が弁護しておこう。
「見間違えじゃない? それに、ユウスケが払ったっていうその一円玉も、もうどれだか分からないしさ、実際どうだったのかなんて分からないよ」
「いや、見ただけじゃ気付けなかったんだよ」
「じゃあなんで? 」
 春彦は、折り紙をカバンにしまいながら、
「最初の自販機で、ユウスケは百円玉を持っていなかった。でもそこで、千円札を入れて二百円超のエナジードリンクを買ったとき、お釣りで五百円玉が見えたから、百円玉は多くても二枚しか出ていない。そして入館のときに、その百円玉を二枚をピッタリ使いきってる。だから、百円玉を持っていないユウスケは、銀色の硬貨一枚で百円を払うことは出来なかったはずだよ」
 怖いよ。何でそこまで覚えてるんだ。
 ユウスケは、ついに観念したのか
「いやー、すげーな。参ったわ、また負けたかー」
 と笑みを浮かべ、財布から五十円玉をハッキリ見えるように取り出して、募金箱へ入れた。
 それは潔く、不正を認めたユウスケが示す答え合わせだった。
 俺は、胸をなでおろし、今度こそ先へ進む。
「じゃあ、ユウスケが最初に入れたのは五十円玉だったんだ」
「さぁ? 覚えてねえ」
 多分こいつは、あと四十九円払った方がいい。