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ライトノベル作家養成講座
『モモ』 著:27
 
 
 あの日、ボクは見てしまった。
 化け物の死体と――血だらけの女の子を。
                            ◆
 自宅から山の方へ上ること、数十分。ようやく彼女の家が見えてくる。まともに手入れをされていないからか、あれから六年しかたっていないとは思えない。
「モモ、起きてるー?」
 玄関口でそう声をかけながら、お邪魔させてもらう。もう、あの死体はない。
 家の奥へと進み、突き当りのふすまを開ける。部屋の中央には囲炉裏があって、そのすぐ右手側に、着物の塊が転がっていた。
 ボクと部屋の間には、角材を格子状に組み合わせた仕切りが存在している。とても普通の人間の手ではやぶれそうにない。
「おーいモモ、もうお昼だよ。早く起きなよ」
 そう声を張ると、着物の塊がモゾモゾと動き――眠たげな少女の顔がこちらを覗く。
「……眠い、暑い、お腹減った」
 彼女は、ボクと同い年とは思えないほどに小柄で、どこか幼く見える。コレが本当に『年頃の女の子』なのか?
 ただ、そんなことよりも目を引くのは――彼女の髪と、瞳の色。髪は絹や米よりも真っ白く、瞳は囲炉裏の火よりも紅く光っている。
「今日もおにぎり持ってきたから。食べなよ」
 牢の隙間から竹皮の包みを差し出すと、手を伸ばしてくれる。少し前とは大違いだ。
「村の連中、ご飯もまともにくれないのか」
 おにぎりで口をいっぱいにするモモに、そんなことを言ってみる。しかし彼女は首を横に振った。
「しかた、ないよ」
 もう、何度も繰り返した会話だった。
 ……だとしても、納得はできない。モモの四肢はあまりにも細い。
「……あいつら、モモに死ねってのかな」
 彼女は、小さく頷いた。
 ――ここは座敷牢。彼女は、死ぬまでここに閉じ込められる。
                            ◆
 しばらくすると、モモが不意に顔を上げた。
「ねえ、もう、帰った方がいいよ」
「え、どうして」
 ボクが何かやらかしたのだろうか、と心配になる。けれど、彼女の表情はそんな様子ではなく、ボクは頷くしかない。
『またね』という言葉をいう暇もなく、追い返される。山を下り始めて少し経った頃、村の大人たちが山を登ってくるのとすれ違う。
 いやな予感がした。
 大人たちのあとを隠れながら追うと、やっぱり家へと入っていく。入っていこうとして……ふと、脳裏をなにかがよぎった。
 ボクになにができる? 頭がいいわけじゃあない。力が強いわけじゃあない。特別な力なんて持っていない。無駄だ。無理だ。
 屋敷の中から、大人の声がする。
「あの夫婦は、捨てられ身寄りのなかったお前を育ててくれたんだぞ」
「お前は仲間を呼んで、親を殺したんだ!」
 あの人たちは、なにを言っているのだろう。
 彼女が、どうして親を殺すんだ。そもそも、『化け物』も死んでいたんだぞ。すべてモモのせいにして、どうしたいんだ。
 頭がくらくらしてくる。けれど――ボクには、なにも、できない。
 気が付くと、ボクは玄関前でうずくまってしまっていた。少しして、誰かに声を掛けられる。あの大人たちだ。
「お前、アイツと会っていたのか?」
 もう、すべてが遅い――――。
 
 親や村で威張っている奴らに説教をされた。
 どれだけモモが危険なのかを説かれた。
 うるせぇ。もし、そういえたら。
 
 そして、モモの処刑が決まった。
『ボクをたぶらかしたから』らしい。
 ボクの、せいらしい。
                            ◆
 夜の山道を駆ける。
 家の周辺には見張りが立っていたけれど、スキを見て侵入する。
 裏口から座敷牢へとたどり着く。家の中に見張りはいなかった。ずさんというよりは、逃げ出すとは思っていないのかもしれない。
「モモ」
 格子奥に声をかける。返事は……あった。
「な、なにしに来たのっ?」
 そういわれて気が付く。ただ、このまま彼女と会えなくなるのが嫌で、それだけだった。
 だけど、じゃあ、もう一度会えたから満足なのか? ……そんなわけがなかった。だから思わず、口が滑る。
「――あのさ。この村、抜け出さない?」
 暗闇の中で、彼女の目が大きく見開かれたのがわかる。そして彼女の動きが止まり、けれど、すぐに返事がきた。
「――うん」
 ボクは牢の鍵を探し始める。が、モモが牢に手を伸ばして――次の瞬間、木材がバキバキと音を立ててへし折れていく。
 モモが少し恥ずかしそうに口を開いた。
「――私、鬼の子っていうのは、ホントみたいなんだよね……」
 
 見張りの目をやり過ごし、山を下る。
 数年ぶりに外へ出たモモは、ときどき躓きながらもボクの右手をしっかりと握っていた。
「ねえ、どこへ行きたい?」
 そう尋ねてみると、「どこでもいい」なんて言葉が返ってくる。だったらいろんなところへ行ってやろう。
 食べ物も服も何もかもがないけれど、どうにかなる。どうにかする。
 だって、彼女は自由になったのだ。ボクも、この村を出るのだ。だから――と、その時。
 急に、モモが足を止めた。もうすぐ山のふもとだというのに。彼女の視線は、藪の方を見たまま固まってしまっている。
「……どうしたの?」
 返事はない。闇に目を凝らしてみと、そこにはただ雑草が……いや。なにかが動いていた。村の大人よりも二回り以上大きなナニカが、うずくまっている。アレは、多分。
「――鬼?」
 その瞬間、金色に光る瞳がこちらを向いた。
 咆哮。
 平衡感覚が失われそうなくらいの大きな雄たけびが、空気を、地面を震わせる。
 逃げなくちゃ。でも、足が動かない。
 鬼が近づいてくる。一歩、一歩、ゆっくりと。ボクらを喰らうべく。
 逃げろ、逃げろ、逃げろ――――無理だ。
 そもそも、村を抜け出すこと自体が無謀だったんだ。ボクはなにも持っていない。なにもできない。村を出たって行き倒れるだけ。願うだけ無意味だったんだよ。
 ついさっきまでボクを突き動かしていたものが、急激にしぼむ。
 その間も、鬼はボクらに向かって歩いてきていて――声が聞こえた。
 
「――大丈夫だよ」
 
 モモの声。そして、なにかが地面を揺らす。
 前を見ると、鬼は地面に倒れ――モモの着物は、血で真っ赤に染まっていた。その血は、彼女自身のものではない。
「私は、鬼だって殺せちゃうんだよ。君も、あの日見てたでしょ?」
 そういって、彼女は目を伏せる。ボクは、何もいえずにいた。
 遠くにたいまつの火が見えた。村人たちだ。
 この状況を見て、彼らはどうするだろうか? この場でモモを殺そうとするだろう。彼女は、それを受け入れてしまうかもしれない。
 そしてボクは、なにもできないゆえに『被害者』として扱われて……いやだ。そんなの、絶対にいやだった。だから――。
 その辺に落ちていた石に手を伸ばす。なるべく大きなものへ。
 そして、鬼の死体へと近づき、ボクは、石を振り下ろす。鬼の血が、肉が、ボクの服へ散る。それでいい。
「な、なにしてるの?」
 そういうモモに、「大丈夫」と返す。
 殴って殴って殴って殴る。大量の血で腕がドロドロになっていく。これでいい。ボクの姿が化け物に見えれば見えるほどいい。
 そして。
 村の人たちが到着した。そのころには、もうボクの姿も真っ赤で。
 ボクは、村の人たちを嗤う。
 
「あーあ、バレちゃった」
                            ◆
 腹の音が鳴る。そんなとき、ちょうど団子屋が目に入った。お金は少ないけれど――よし。
 団子を買い、再び歩き始める。村はもう見えなくなってしまった。
 アレから数日。ボクが『鬼を呼んでいた』本物の『鬼』ということになり、モモは騙されていた悲劇の少女ということに。もちろんその場で殺されそうになったけれど……どうしてかこうやって生きている。
 団子を口に放る。うまい。……これが最後の食事かもしれないけれど。
 不意に、誰かに背中を叩かれる。振り向くと、そこには白髪の少女が立っていた。
「その団子、おひとつ分けてくださいな?」
 
〈終〉