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サマーセミナー
『古ノ都デ君ヲ探ス』 著:すずき さんしろう

 

「はい、チーズ」
 僕は今、八月の太陽に照らされ輝く金閣寺をバックに父さんと写真を撮っていた。というか、近くの観光客の人に携帯で撮ってもらっている。
「これでいいですか?」
 父さんは取ってくれた人から携帯を受け取り、数秒眺めた後に「大丈夫です。ありがとうございます」と丁寧に頭を下げた。
 父さんはほんの少しくたびれた中折れ帽と赤のポロシャツ、白の長ズボンを。僕は緑のTシャツにベージュの半ズボンを着ている。簿記らの後ろには金色に光る金閣寺、そしてそのさらに後ろには深い緑の木々が映っていた。

 先日、父が商店街のくじ引きで一等を出した。内容は京都旅行のペアチケット。父は「日ごろの行いがいいんだ」とか言いながら笑っていた。
「京助、京都に行こう」
 その日の晩、リビングでテレビを見ていたところに、父が某鉄道会社のPR文句みたいな言い方で誘ってきた。手にはチケットが二枚握られていた。
「いいところだぞー、京都は」
 僕はチケットを一枚見せてもらった。
 チケットには『京都一泊二日旅行ペアチケット』とあった。
「行くとして、何日に行くの?」
「そうだな、八月九日あたりだろう」
 正直な話、僕は暇だった。
 夏休みの宿題はもう終わっていたし、逆に周りの友達はまだ終わっていなかったから予定が合わなかった。だから京都に行くのはやぶさかではなかったし、興味がないわけではなかった。 
 

「どうだ? 金閣寺」
 父さんが感想を聞いてきた。
「……金ぴかだね」
「ハハハ、なんだそりゃ」
 歴史の教科書で見たことがあったから特別驚くことは無かった。だから見たままの感想を言ってみたのだが、笑われた。
「父さんはどう? これが初めての金閣寺じゃないでしょ?」
 僕はムッとしたので父にも感想を求めてみた。
「そうだなぁ。見ていて何か感じないか?」
「まあ、感じるね」 
 確かに、言葉にはできない何かが胸の内にあった。
「金って今でも貴重なものだけど、それをこんな風に惜しみなく使うってのはさ……思い切ったことだよね」
「まあ、そうだね」
 僕と父さんは顔を見合せることなく、金閣寺を見つめたまま話している。
「でも、そうやって思い切ったことをすると、こうして何かが残るんだよ。それはたとえ足利なにがしだろうと京介だろうと一緒さ」
 かつての将軍と僕みたいな一中学生を並べるところは父さんらしいな。
「だから京介も何かにチャレンジするときは思いっきりやりなさい。お前ならやれるさ」
「うん……」
 やっぱり、父さんは偉大だ。

 僕らはそのあと、石仏の投げ銭で十円玉を投げたり、不動堂で賽銭を投げたりした後、金閣寺を後にした。
「次はどこ行くの?」
 京都行のバスにはちょうど二人分の空席があり、そこに座って一段落した後、次の行き先を聞いた。
「次はな、清水寺だ」
 清水寺。金閣寺に次ぐ日本を代表する観光名所だ。
「少し歩くけど大丈夫か?」
「うん、多分大丈夫」
 今は八月中旬なのでもちろん暑い。金閣寺では日光だけでなく、照り返しもきつかった。
『次は、京都です』
 ピンポーンというチャイムと共に運転手からアナウンスが流れた。
「お、着いた。降りようか」
 僕らは東京と違って後払いの運賃を機械に入れて、バスを降りた。

 

 京都駅から七条通りに出て北に歩き、七条大橋を渡り東山七条を左折して東大路通りを直進し続け、五条坂に入り進むこと一時間。清水寺の西門前に着いた。この炎天下の中一時間ちょっと歩き続けるのはさすがに酷だったが、中学生の体力に助けられたように思う。父もうまい具合に水分補給であったり、塩飴を舐めたりして体調管理をしていた。
「ちょっと写真撮るわ」
 父は右ポケットから携帯を出すと、石段の上にある朱い門に向かってシャッターを切った。周りは国内外問わず多くの観光客で賑わっていた。
「じゃあ、本堂に行こうか」
 父は携帯をしまうと、再び歩き始めた。自撮りをするカップルを後目に石段を登り切った。足が……疲れた。父もハンカチで顔の汗を拭いながら大きく呼吸している。僕はポケットから携帯を出すと、父が先ほどやったように門を撮影した。
 そのまま進むと、先の方に金閣寺と似たような受付があった。幸いにも受付は空いていた。「中学生一人、大人一人ください」
「六百円になります」
 金閣寺と同じようなやりとりをした後、父は受付に六百円ちょうどを出した。
「どうぞー」
 父は受付の人から――ちょうど本に挟むしおりくらいの大きさの紙を受け取っていた。
「これ拝観チケットな。これもとっとけ」
 チケットには清水の舞台と三重塔の絵が描かれている。裏には短歌が書かれていた。
「じゃあ行くか」
 僕は父と共に再び舞台のほうに歩き始めた。
「お清めの仕方はわかるか?」 
「えっと……」
 どうやるんだっけ。なんかいろいろやるような気がする。
「まずは柄杓で水をすくって左手を洗う。次に右手。今度は左手にすくった水を少しだけ貯めて口に含む。これは飲んでもいいとか飲まない方がいいとかいろいろ言われてるけど……まあお前の好きなようにするといい。最後に持っていたところを洗って、すくうところを下にして置く」
 なかなか面倒だと感じた。でもこれも経験の内だし、ちゃんとやっておこう。
「ちなみにだけど、これはみたらしって言うぞ。御手洗いって書いてみたらしだ。覚えとけ」
 みたらし。おいしそう。
「じゃあ、やってみようか」
 僕はポケットにチケットを突っ込み、御手洗の淵に立って言われた通りにお清めをした。口に含んだ際の水は……飲んだ。一応。
「あ、蝉が御手洗に張り付いてらぁ」
「ほんとだ」
 御手洗の外側に蝉が張り付いていた。ミンミンゼミだった。
「じゃあ、入るか」
 父は蝉をあまり気にしていなかった。
 父と共にハンカチで手を拭きながら、門をくぐると……目の前に無数の風鈴が掛けてあった。
 ――ジリリリリリリリリ
 僕と父は並んでその風鈴を潜り抜けた。潜っている途中、少しうっとうしく感じた。なんだか蝉の合唱みたいに聞こえたからだ。こういうのは一つで十分だと思うけど、何か意味があるんだろう。
 父は振り返るといつものように携帯で写真を撮った。
「ちょっとうるせえな」
 父は笑いながら僕と同じようなことを言った。僕も一緒に笑いながら首を縦に振った。

 薄暗い本堂に入ると、正面に……像……? があった。小槌を持ち、微笑を顔に張り付けている。左の看板には『出世大黒天』とあった。
「参拝していきなよ。成績伸びるかもよ?」
 父はそう言いながら僕に十円を手渡してきた。
 どうやら参拝すると出世ができるという、いわゆるパワースポット的なやつだった。
「じゃあお言葉に甘えて」
 僕は賽銭箱に十円を放り、手を合わせた。
(成績アップ……お願いします!)
 よし、これで完璧だ。
「成績上がるといいな」
 父さんは少し遠い目をしていた。
「じゃ、進むぞー」
 父は間の抜けたような声で奥に進んだ。
 そして――舞台に出た。
「「おぉ……」」
 僕と父は壮大な景色に一瞬言葉を失った。
 目下にある深緑の木々たちは青空とよく合っていて、その間には古の都、京都が広がっていた。少し左には京都タワーが見えた。
「……母さんとも来たかったな」
「…………うん」
 確かにそうだ。できれば、母さんと三人で来たかったな……。
「まさか……な」
「うん……」
 まさか――僕らとの旅行よりサロン巡りの方がいいだなんて……僕らが帰ってくる頃には、肌がつやつやになってるんだろうなぁ……ちょっと高めの飲食店とかもネットで調べてたし。
「父さん的にはどうなの? 母さんが来なかったこと」
「うーん。正直寂しいけど……」
 僕は「けど?」と続きを聞いた。
「母さんが綺麗になる分には構わないかなぁ」
 父の顔には恍惚ともいやらしいニヤケ顔ともとれない表情が張り付いていた。
 このスケベが。

 清水の舞台を抜けた先には、二つの道があった。一つは音羽の滝に続く下りの階段と、もう一つは地主神社に続く登りの階段だ。
「地主神社……行きたい」
「うーん……どっちでもいいけど、ここはどういう神社なの?」
 父は、人が何かを思い出すときによくやる左上を見る仕草をすると、「ああ」と思い出したようにポンと手を打った。漫画かよ。
「ここはな、縁結び。要するに恋愛だな」
「あ、じゃあいいや」
 今の僕にはあまり縁のないジャンルだな。
「そ、そうか? じゃあ音羽の滝に行くか」
「そうしよう」
 僕らは再び歩き出した。

 

 予想していたことではあったが、音羽の滝には長い列ができていた。今からこの長蛇の列に並ぶと考えると少し憂鬱な気分になった。僕らは列に並び順番が来るのを待った。
(そういえば、音羽の滝って三つとも意味があったよな。調べておこう)
 僕は携帯の検索アプリで『音羽の滝 意味』と打ち込み、検索してみた。
 …………。
 なるほど。一番右が延命長寿、真ん中が恋愛成就、一番左が学業成就か。じゃあ一番左かな。夏休み明けにテストもあるし。
「父さんはどれ飲むの?」
 僕は気になって父に聞いてみた。やっぱり延命成就だろうか。
「あー。どれでもいいかなぁ。これ源流は一緒だから変わらないんだよね」
 は? 僕のワクワクを返せよ。
「お、そろそろだぞ」
 少しずつ前に進みながら会話していたから気づかなかったが、もう自分たちの番がすぐそこまで来ていた。
 音羽の滝。まず目に留まったのは神社のような屋根の下から伸びている三つの雨どいのようなものだった。それらからそれぞれ水が出ていて、下の四角形の水溜に落ちている。ここでも周りの観光客はカメラを取り出して写真や動画を撮っていた。僕らは石段を数段登り、赤外線なんちゃらという装置から金属の柄杓を取った。
 僕は予定通りに一番左の水に柄杓の先端を伸ばした。
 ――バチチチチ
 水を汲んで初めて分かったことだが意外と勢いあるなこれ。
 ――バチチチチチョチョチョ
 どんどん水が溜まっていく。
(こんなもんだろ)
 柄杓を引っ込めて、例の作法をやる。持ち手が長いので少し苦労したが、なんとかやり遂げた。
 父は真ん中を選んでいた。恋愛って……。
 僕と同じように父も例の作法をしていた。
 僕と父はお清めを終えた後、赤外線なんちゃらに柄杓を戻した。

 

「どうだった。人生初の音羽の水は」
「別に……水だなって」
 お清めの場所を抜けた道中、父が感想を求めてきた。
「ハハハ、そりゃそうだな」
 それ以外に言い様なくない……? 特別美味いものでもないし……。
「で、次はどこ行くの?」 
「そうだな……六道珍皇寺あたりにでも行くか」
 僕は聞いたことのない一つの名詞に対して、どういったものなのだろうと興味が湧いた。
「それはどういう場所なの?」
 尋ねると、父はニヤリとしながら答えた。
「心霊スポットさ」

 

 道中、僕はその六道珍皇寺についてネットで調べた。公式サイトらしきところにはこうあった。
『六道とは仏教の教義である地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人道・天道の六種の冥界をいい、人は因果応報により、死後はこの六道を輪廻転生するという。 この六道の分岐点で、いわゆるこの世とあの世の境の辻が、古来より当寺の境内あたりであるといわれ、冥界への入口とも信じられてきた』
 僕は続きを黙読した。
『このような伝説が生じたのは、当寺が平安京の東の墓所であった鳥辺野に至る道筋にあたり、この地で野辺の送りをされたことより、ここがいわば、人の世の無常とはかなさを感じる場所であったことと、小野篁が夜毎冥府通いのため、当寺の本堂裏庭にある井戸をその入口に使っていたことによるものであろう。この六道の辻の名称は、古くは古事談にもみえることよりこの地が中世以来より冥土への通路として世に知られていたことがうかがえる』
 要するに、ここは冥界との出入口になってた、ってことでいいのかな?
「お、ここだ」
 僕は携帯をしまい、顔を上げた。
 まず目に飛び込んできたのは赤い門だった。それは地面に敷き詰められた白い石畳のお陰でさらに鮮やかに見えた。まるで、新幹線の中から見た青空と雲のようだ。左手には石碑が立っていて、「六道の辻」とある。
「意外と普通の場所にあるんだね」
 正直言って意外だった。なんせ同心霊スポットって言われてるくらいだから、もう少し不気味な場所にあるのかと思ったけど……。
「そうだな」
 父もやはり同じことを思っていたようで、同意してくれた。僕らはそんな第一印象を抱きながらも、門を潜り抜けた。足元一面に広がる砂利を踏みしめながら、正面にある建物に近づいた。立て看板には「冥土通いの井戸 冥土への入り口の井戸」と書いてあった。立て看板が指す方向には、木の階段が数段と木の扉があった。「履物をお脱ぎください」とあったので、僕らは靴を脱いでその階段を昇り、扉の前まで来た。
「このちっさい穴から覗くんだ」
 扉には確かに四角い窓のようになっているところがあり、向こう側が見えるようになっていた。向こう側は庭のようになっておりにはの真ん中には井戸があった。あれが例の井戸だろうか。
 確かに、少し不気味な感じがしなくもない。これは僕個人の感想だけど……なんとなく空気が重く感じられる。やはり不思議な場所っていうのは不思議な雰囲気が付き物なのだろうか。
 僕は窓から顔を離した。覗き穴の左には木の板が壁に掛けられており、何かが書いてあった。だが、字が細かすぎて読みづらかったことと、あまりここには長居したくなかったこともあり、それを読まずに僕は父に言った。
「もう行かない?」
「……そうだな、行くか」
 父は何かを察したのか僕の移動の提案をあっさりと受け入れてくれた。

 

 寺から京都五条沿いにあるホテルへチェックインした僕らは、そのまま夜を迎えた。このホテルには夕食のサービスは無かったが、ルームサービスはあったので、それを頼んで夕飯とした。その後、僕らは風呂に入り自由時間となったが、僕も父も歩き疲れていたのですぐに寝てしまった。

 

 目が覚めた。どこかの大通りに、僕は一人立っていた。
「ここは……?」
 僕は頭上にある看板を見た。「京都五条」とあった。
 ここで僕は一つおかしな点に気が付いた。周りに誰もいない。歩道を歩く人影もなく、車道を走る車もなかった。街頭は点いたままだったが、まるでこの京都から僕以外の人間が消え去ってしまったかのような静けさだった。この時点で僕はこれが夢だとわかった。これが明晰夢というやつだろうか。
 ――ガシャン、ガシャン
 その時、背後から聞き慣れない音が聞こえた。なぜだか、それは足音のように感じた。
「…………」
 僕は意を決して振り返った。
「…………」
 音の主は……ありえないものだった。
 体を鎧で着込んだ身長二メートルほどの何かが十メートル後方に立っていた。まるで……戦国武将のような出で立ちだった。だが、明らかにおかしいのはすぐにわかった。この時代に鎧を着こむような人間はいないし、いたとしてもコスプレか何かだろう。しかしこの何かは違った。
 顔が、というか頭部が丸々すべて腐っていた。まるでゲームのゾンビのように。頭に兜を被っていなかったからすぐにわかったが、髪は側頭部にほんの少ししか残っておらず、ところどころ傷なのかわからないが血が出ていた。顔面は何かに斬られたように右眉から口元まで切り傷があった。
 鎧の表面は教科書で見たような鮮やかな赤色とは程遠く、土と血で汚れていて赤茶色になっていた。右のわき腹には矢が刺さっていたが、なぜか血は出ていなかった。
 左腰には日本刀を差しており、種類はわからなかったが、それも同じように赤茶色になっていた。
 恐怖と……驚愕で……動けない。
「ア……ア……ワレコソハ……」
 何かが……喋り始めた。まるで地の底から響くような、低く、おどろおどろしい声だった。
「ワレコソハ…………ソ……ダ……ナリ……」
 ――カシャン。
 何かが一歩、足を踏み出した。そして、腰の日本刀を抜いた。刀身は先が折れてなくなっていて、元の刀身は何センチだったかわからないが三十センチほどしかなかった。
「カ……ヲ……ゲ……ヨ……」
 ――カシャン。
 また一歩。
 何かはその日本刀を両手で持ち、野球選手のように半身になり、顔の右横に持ってきた。
「オオオオ……イ……ゾ……」
 ――カシャン。
 また一歩。
「アアアアアアア!!」
 来る……!
「うわあああああああ!!」
 僕は振り返り、大通りを逆走するように逃げた。
 怖い、怖い、怖い!
「〝ア〝ア〝ア〝ア〝ア〝ア〝ア!!」
 背後から鎧を揺らしながら迫る足音が聞こえた。
 僕は走った。相手は鎧を着ていたから何とか距離を離すことはできた。だが、僕は自分の身体能力を呪った。息がすぐに切れ、足を何かに引っ掛けて転んでしまった。
「うっ!」
 僕はアスファルトに思いっきり上半身、顔面を打ち付けた。痛みと焦り、そして視界が揺れ、立てなくなってしまった。
 うつ伏せのまま顔を上げて振り返ると、ゆっくりと歩きながら、すぐそこまで来ていた。目測で……五メートル。
「オオオオオオオオ……」
 口を大きく開け、獣のような唸り声をあげながら近づいてくる。
 僕は涙目になりながら、なんとか仰向けの体勢になり、後ずさった。
「オオオオオ……」
 もう二メートルくらいまで来た。血塗られた刀が街頭に照らされて鈍く光っていた。
「だれか……たすけ……」
 助けを誰かに求める前に、それは刀を振り下ろそうとした。
 ああ、僕はここで死ぬんだ。

「やめなさい!」

 ――ドンッ。
「オオオオオ!」
 どこからか女の人の声がした、と思った刹那、目の前にいたそれが左に吹き飛んでいった。
「大丈夫?」 
 右に、声の主であろう女の……子がいた。見た目は十三歳~十五歳ほどに見える。僕と同じくらいの歳だろうか。
 身長は僕と同じくらいで、百六十センチ前後。ツヤのある黒髪は腰まで伸びていた。顔は人形のように整っていて 特に唇は薄いピンクで瑞々しかった。肌は半紙のように白く、透き通りすぎて逆に少し不気味な雰囲気を漂わせていた。
 彼女の顔と同じくらい目を引いたのは彼女の服装だった。
 端的に言えば、死に装束だった。
 ホテルにいたはずなのに、気が付けば京都五条にいて、いきなり落ち武者に襲われて、死ぬ寸前で助けてくれたのは死に装束を着た女の子。僕の頭はパンク寸前だった。
「ねえ、大丈夫? 立てる?」
 女の子は心配そうに僕の顔を覗き込んできた。
「う、うん」
 彼女は僕に手を差し伸べてくれた。その手を借りて立ち上がると、矢継ぎ早に僕に話しかけてきた。
「じゃあ、下がってて。あれをやっつけるから」
 僕は彼女が指を差した方を見た。すると、あの落ち武者が吹っ飛ばされたところから復帰しつつあった。
「ヌウウウウウウウ……」
 相変わらず奴は唸り続けていた。
「やっつけるって……どうやって!?」
「いいから、下がってて」
 彼女の圧に負けて、僕は後ろに二、三歩下がった。
「この子は関係ないでしょ。危害を加えるのはやめなさい」
 彼女は落ち武者に言葉を投げかけた。
「アアアアアアア……」
 どう見てもコミュニケーションが取れるような相手には見えないが……。
「はあ……全く」 
 彼女は呆れたような、うんざりしたようなため息を漏らすと――。
「ハァッ!」
 勢いよく落ち武者に詰め寄った!
 ――ドゴォ!
 その勢いのまま、彼女は落ち武者の右頬に右ストレートを見舞った。
「ウウウウウゥゥゥ……」
 落ち武者は彼女のパンチを食らってよろけていた。
 彼女は手を止めることなく、もう一度距離を詰めて今度は左足のミドルキックを繰り出した。彼女の白い足は落ち武者の腹部にヒットし、鈍い音を奏でた。
「グゥゥゥゥゥ……」
 もう一度落ち武者がよろけた。手から日本刀が零れ落ち、アスファルトに当たって金属音を響かせた。彼女はとどめと言わんばかりに今度は右足の裏で飛び蹴りのようなキックを繰り出した。
「オオオオオ!」
 当たる、と思った瞬間、落ち武者が右手で彼女の足を掴み――地面に叩きつけた!
「うっ!」
 彼女は二回ほど地面をバウンドした。
「うううう……」
 彼女は苦しそうに四つん這いになって息を乱していた。落ち武者は彼女の右横まで来ると――彼女の右の腹を蹴り上げた。
 彼女の肢体が軽々と宙を舞った。
 ドスンという音と共に、彼女は再び地面に叩きつけられた。
「――!」
 仰向けに倒れた彼女は口から血を吐いていた。
 苦しそうに咳き込むたびに血が口から噴き出て、綺麗な白い顔と死に装束を赤く染めていく。
「オオオオオ!」
 落ち武者は彼女の上に跨ると……彼女の首を両手で絞め始めた……!
「ガ……ガハッ……」
 彼女は抵抗するが、落ち武者はお構いなしに手の力を強めていく。
 まずい、このままじゃ……!
 でも、どうすればいいんだ。あんなに戦えていた彼女ですら殺されそうになっているんだ。僕みたいなやつに何ができる。
「ううう……!」
 彼女の抵抗している手足から力が失われていく。
 早く……! 早く、なんとかしなきゃ!
 でも、もし失敗したら? 次は僕が……殺される? 
 彼女のように首を絞められるのか? 
 絞殺というのはどういう感覚なのだろう。
 苦しい? 痛い? 辛い? 怖い?
 そう考えると、足が竦んで動かなかった。
「う……ああ……」
 彼女の抵抗はもう抵抗と呼べるものではなかった。もう、ただ単に手足を力なくばたつかせているだけだ。
 僕は目を強く閉じた。
(僕には……できない……) 
 その時、頭に誰かの声が流れた。
『思い切ったことをすると、こうして何かが残るんだよ。それはたとえ足利なにがしだろうと京介だろうと一緒さ』
 これは、父の声だ。
『だから京介も何かにチャレンジするときは思いっきりやりなさい。お前ならやれるさ』
 これは……金閣寺の時だ。

 ……………………。

 僕は目を開けた。そして、さっき彼女の攻撃で落とした日本刀まで駆け寄り、手に持った。日本刀はずっしりとしていて、前に野球部の部員に持たせてもらったトンボに近かった。
 僕は刀を両手で何とか持ち上げると――。
「うおおおおお!!」 
 落ち武者の背後から思い切り突き刺した。
 ずぶずぶと肉を裂く、味わったことのない感触が刀を通して手に伝わってくる。
「オオオオオオオオ!!」
「ううううああああああああ!!!」
 耳をつんざく落ち武者の悲鳴をかき消すように、僕も雄叫びを上げた。
「オオオオ……オオ……オオォ……」
 僕は手から刀の柄を離した。
 落ち武者は左側に倒れた。やっぱり血は出なかった。
 落ち武者の亡骸を見つめていたが、ハッと気づいた。
「だ、大丈夫!?」
 僕は彼女を落ち武者の下から引きずりだした。
「ねえ! ねえ!」
 僕は肩を揺すった。すると、彼女は目を開け、苦しそうに咳き込んだ。
「ゲホッ! ゲホッ!」
「大丈夫!?」
 僕は彼女の背を擦ってあげた。
「うん……大丈夫よ」
 彼女は苦しそうにしながらも僕の問いかけに応じてくれた。
「その……ありがとう。助けてくれて」
 僕は彼女に礼を述べた。
「…………いいわよ」
 彼女は少し照れ臭そうに返してきた。
「それより、私からも礼を言うわ。ありがとう」
「そ、そんな。僕は何も……」
 僕は慌てて手を振った。本当に僕は何もしていない。
「ううん。あの状況で、よくやってくれたわ。怖かったでしょ?」
 彼女は僕の震える両手を彼女自身の両手で優しく包み込んでくれた。今になって気づいたが、手が震えていただけでなく、心臓の鼓動もうるさいくらいに鳴っていた。
「その……あれは?」
 僕は落ち武者の方に視線を向けた。
 落ち武者の体からは黒い灰のようなモノが出ていて、どんどん崩れ落ちていた。まるでたんぽぽの綿毛が風に飛ばされていくように。
「まあ、どこかで散っていった兵の亡霊よ。未練があって出てきちゃったのね」
「そう……なんだ」
 僕は納得するしかなかった。確かにあんなものは亡霊としか言いようがない。
「じゃあ、私は行くわ」
 彼女はスッと立ち上がると、僕を見下ろしながら笑顔で言った。
「行くって……どこへ?」
 彼女は優しく微笑んだ。
「あなたとは、違う世界よ。じゃあ、またね」
「あっ」
 彼女は早歩きで清水寺方面へ歩き出した。
 僕は彼女を追おうとしたが、強烈な眠気と共に意識を失ってしまった。

 

 翌朝、僕は起きた。父はいびきをかいて寝ていたので、体を揺すって起こした。
「んぁー……おふぁよーう」
 間抜けな父のおはようを聞きながら、僕はパジャマを脱いで着替えた。
「朝食行こうよ」
「おーう、ちょっとまってろー」
 まだ目が覚めきってない父を催促しながら、僕は昨日の夢について考えた。頭の中を整理するためだ。
 まず、あれは夢だったのだろうか。夢にしてはリアルすぎる。でも、現実にしては不可思議すぎる。
 僕の頭の中はごちゃごちゃになっっていた。
「よし、じゃあ行こうか」
「うん……」
 僕は父と共に一階のロビーに行った。

 

 ホテルには朝食のサービスもなかった。だから昨日の夜と同じようにルームサービスを取った。どうやら朝用のルームサービスがあるらしく、『モーニングセット』なるものを二人分頼んだ。十分ほど経った後、従業員が部屋に朝食を届けに来た。バター付きの食パンが三枚と、直径十センチほどの白い皿に乗ったスクランブルエッグが二皿と、サービスのコーヒーが二つ付いていた。僕はコーヒーが苦手なので、これは父に飲んでもらおう。
「じゃあ、食べようか。いただきます」
「……いただきます」
 僕はバターをパンに塗り、半分に折って口に運んだ。
 ……やっぱり、これは父に言おう。
「あのね……実は昨日……」
 僕は咀嚼を終えた後、父に昨日の出来事を包み隠さず伝えた。
「へー……不思議な夢だねぇ……」
 父は顎に手を添え、少し考えるような素振りを見せた。
「もしかしたら、水子さんたちが助けてくれたのかもしれないね」
「水子さん……って?」
 効くと、父はニコリと微笑んだ。
「ちょっと歩こうか」

 

 僕らは昨日訪れた六道珍皇寺にもう一度足を踏み入れた。父は正面入り口から見て左の方を向いた。
 そこには赤い提灯に黒い字で『水子地蔵尊』と書いてあった。上にはサッカーボールほどの鐘とそれを鳴らすための赤い布に、石でできた賽銭箱もあった。
 それらの奥には大きなお地蔵様みたいな像が佇んでいた。その像を囲むようにして小さな像がいくつも置いてあった。
「水子って知ってるか?」
「ううん」
 僕は父の質問に答えた。
「水子っていうのはな、簡単に言えば流産で亡くなった胎児の事なんだ。ここはその水子を供養してくれる寺でもあるんだ」
「そうなんだ……」
 賽銭箱の前まで歩み寄り、その像とその周りの小さな像を見つめた。
(この中のどれかが……僕を助けてくれたのかな……)
 僕はリュックから財布を出し、中から百円を摘まみ上げると、賽銭箱の中に放った。財布をポケットにしまい、手を合わせた。
(助けてくれて、ありがとうございます)
 僕は心の中で感謝を伝えた。この像になのか、この寺なのか、それとも彼女へなのかは自分でもわからなかった。でも、とにかく僕は感謝を伝えたかった。
(でも……もし叶うのなら、あの子に、直接お礼が言いたい)
 あの時、僕は気を失ってしまってきちんとお礼が言えなかった。だから、もう一度面と向かって「ありがとう」が言いたい。
「……もう、大丈夫か?」
 父は僕の長い合掌に何も言わなかった。いや、何も言わずにいてくれた。
「うん。もういいよ」
 父は僕に小さい頷きと笑みを向けた。
「じゃ、行こうか。新幹線の時間も近いしね」
「うん」
 僕は父と共に、六波羅珍皇寺を後にした。

 帰りの道中、いるはずもないあの子を探してみた。京都駅のホーム、新幹線の中、東京駅、家の近くにある神社。

 どこにもあの子はいなかった。

 そうして、ほんの少しの悔しさを抱えたまま夏休みが終わった。久々に教室に来ると、もうすでに何人か同級生がいた。
 いつものように並べられた椅子と机や、いつものようにやや白くなっている黒板はすぐに僕をうんざりさせた。床はどうやらワックスをかけたらしくピカピカになっていたが、僕からしたら心底どうでもよく、なんならいつもより滑るので危ないと感じた。僕は一番後列の一番左、窓際の席に座った。机横のフックに鞄を掛けると、窓の外をぼんやりと眺めた。
 僕はずっと、窓の外の校庭を見下ろしていた。
 ただ、ただ、ぼんやりと外を眺めていた。
 そんな僕を現実に引き戻すがごとく、朝のチャイムが教室に響いた。
「よーし、みんな席つけー」
 担任の男性教諭が入ってきた。みんな会話を中断して各々の席に着いた。
「今日はなー、転校生を紹介するぞー」
 クラスが少し騒めいた。
 そして、僕の心も騒めきだした。
「よし、入っていいぞー」
 開けっ放しの扉の向こうにいる誰かに先生が声を掛けた。
 身長は百六十センチほど。腰まで伸びている黒髪はツヤがある。整った顔立ちに白い肌と薄桃色の唇はまるで絵画のようだった。

 

 あの子だ。
 
 
 僕の心臓は高鳴った。驚きで目と口を馬鹿みたいに開けていた。
 彼女は白いチョークで黒板に何かを書き始めた。

『小野寺 京子』

 彼女の名前だった。僕と同じ『京』が入っていた。
「小野寺京子さんだ。京都から転校してきたぞー」
 僕は自分が息をしているかどうか不安になった。僕は彼女から目を離せなかった。
「よーし、じゃあ京子は……お、京介の隣が空いてるな」
 彼女はクラスのみんなから歓迎の拍手を受けながら、僕の方に近づいてくる。
 そして、僕の目の前まで来ると、一気に顔を近づけてきた。
 クラスのみんなが僕らを見ていた。
 真っ赤になった僕の顔を見ながら、彼女は口を開いた。

 

「京都って、興味ある?」

〈終〉