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基礎文章作法
テーマ「回想シーン」
『ニンゲン、クウ』著:梶拓未

 目の前に人が死んでいる。一般人である私から見ても、脈を測ったりしなくても、目の前の人は死んでいると言える。
 なぜなら、首をはねられているからだ。
 頭部は血だまりの中心。首から下は倒れている。
 視界の悪さでも隠しきれず、目に焼き付けられた光景から逃れようと目を閉じ、数分前の記憶に逃げ込む。

 夜八時頃、やっと蚊やその他諸々のうっとうしい虫から解放されて喜んでいた私をあざ笑うかのように、スズムシの声がどこからか聞こえてくる。
 夜道を一人歩く、高二女子の私は犯罪者や暗闇への恐怖などなく、ただ季節の変わり目による寒暖差を気にしていた。
(着てくる服間違えたな。明日の学校は冬服で行こうかな)
 そんなことを考えていたときだった。
 特に意識することもなかった私の先を歩くサラリーマンが叫び声を上げだした。
 その瞬間、私の心臓の音がサラリーマンの叫び声やスズムシの声をかき消す。ひとまず落ち着こうとした私は反射的に電柱でサラリーマンから姿を隠すようにした。
(こんなところで不審者に会うなんて……どうしよう)
 今となってしまえば、この心配は的外れのものだった。
 叫び声が変な感じで途切れたかと思うと、聞いたことはないけど、なぜだか嫌悪感を覚える音が一瞬聞こえてきた。その正体を確かめるべく、私は電柱から顔を少し出した。
「はぁ」
 私が見たのは、サラリーマンの死んだ姿……。

 吐き気がする。足が動かない。
 目を閉じていても死んだ姿が思い浮かび、先に進めば実物がある。そもそも私は原因不明の脅威から逃げ出さなくてはいけないのに、まるで動けない。
 まただ。また聞いたこともないけど、嫌悪感のある音が聞こえてきた。ただ、少し心当たりがある。これは肉を食う音と骨が砕ける音だ。
「まずは、はしたない姿を晒してしまい、すいませんでした。しかし、私は乾いてしまう前にこの血だまりも飲まなければいけませんので」
 前方から女性の声が聞こえてきた。しかし、発言内容からして、まともでないことは明らかだ。
 人の声で誘い出し、襲う妖怪はどこかで見たことがあるけど、近くに居るあいつは正体を隠す気なんて全く感じられない。おびき出すための罠だとしても、認知されている以上は終わっている。
 自暴自棄にも近い思いで、私は再び前方を確認する。
 あいつは小袋に入ったゼリーを吸うみたいに、サラリーマンの首から下を吸いきった。食い切った。声質相応の姿、女であることが余計に気持ち悪い。
「これについてはお気になさらず。この人は人生が終わることを頭の片隅で望んでいましたから」
 私のことを見ることもなく話しかけてきたあいつは掴んでいたスーツを投げ出すと、四つん這いになり、血だまりを犬みたいに舐め始めた。
 私は吐く。
「あ! 抹茶ケーキを食べたのですか! デザートとして頂きますから、そのままにしておいてくださいね」

(了)