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基礎文章作法
テーマ「学園もの」
『演技と本音』著:水瀬浪

 ほのかに橙がかった階段に足音が響く。花の高校時代、それも文化祭などという一大イベントの日に男一人、こうして屋上に向かっているのは気恥ずかしさによる部分が大きい。
 体育館からここまで、五分と経たずにやって来た。階段の一番上。屋上へと続く、固く閉ざされた鉄扉。今日は確か鍵が開いているはずだ。ほら、やっぱり。ああいや、心配しないでいただきたい。別にフェンスを乗り越えて地面と熱い抱擁を交わしたいとかそんな気持ちは全くない。無性に風に当たりたくなっただけなのだ。それも、地面に縛られた風じゃなくて建物の上を自由に吹き抜ける風を。
 フェンスに背を預け、そのままずり落ちるように座り込む。ああ、やっぱり風はいいな。地面に向けていた視線の中に誰かの足が入って来た。ひょっとして彼女だろうか? わずかな期待とともに視線を上へ。まったく、期待外れだな。
「やあ、今日のヒーロー」
 小柄でやや細身、黒のくせ毛。ふっくらと、しかし太ってはいない中性的な丸顔。隣のクラスのアイドル。確か名前は――
「何か用事か? 立花」
「いや、大したことじゃないんだけどね。僕に真っ向から張り合ってきた優秀な主役のことが気になってさ」
 立花が俺の隣に腰を下ろす。許可した覚えはないんだが。
「届かなかったけどな」
 つい五分前まで行われていた演劇発表会。俺たちのクラスは優秀賞。つまり二位だった。もちろん結果には満足している。演劇部のいない俺たちとしては最高の結果といっていいだろう。
「それは仕方ないよ。うちのクラス、演劇部多いし。それに僕がいるからね」
「自信家だな」
「まあ、僕は天才だからね」
「それを自信家というんだ」
 だが実際、この自身には裏付けがあるのだろう。演技を見て、はっきりと認識した。こいつは努力を欠かさないタイプの天才だ。
 ほんの少し声のトーンを下げて立花は言う。
「さっきの君のセリフ、あれ本心だろう?」
「何のことかな?」
「さっきの告白のシーンさ。あれを見てなかったら、僕はわざわざここまで来てないよ」
「気付いたのか?」
「どんだけ演技見てきたと思ってるんだい? 本心と演技の見分けくらいつくよ」
 俺たちが発表した演劇、そのクライマックス。俺はヒロイン役の一夏に告白した。劇中のセリフ通りに、劇中のヒロインじゃない一夏に向けて。
「後悔はしてるよ。まさかあんな公衆の面前で本心が出てくるなんて思わなかった。あいつの顔、見たか? 驚いて声もセリフも出ねえって顔してたぜ」
「でもオッケーもらったじゃない」
「いや、あれはあくまで台本上の話だろ?」
「ふーん……じゃあ、あそこにいるのは誰だろうね?」
 立花が指さした先、屋上の入口に立っていたのは紛れもなく一夏だった。俺はよろよろと立ち上がり、立花の方を見た。
「僕の出番はここまでだね。あとはヒーローとヒロインに任せるよ」
 立花はすっと立ち上がり一夏とすれ違うようにして屋上を後にした。
 まっすぐに一夏と向き合う。風になびく彼女の髪が、夕焼けを受けていっそう輝く。まぶしいのは西日のせいか、それともこの胸の高鳴りのせいなのだろうか。
「あの告白、ちゃんと受け取ったわけじゃないから」
 耳まで赤く染め、恥ずかしそうにしながら透き通った声で言葉を紡ぐ。もうずいぶん長くこいつの友達をやっているが、間違いなくこんな表情は見たことがない。
「さっきのは台本のセリフ借りたでしょ? 今度は悠斗の言葉で聞かせて欲しいの」
 ひょっとすると心臓の位置は胸ではなく頭の中なんじゃなかろうか? そう思うほどに心音が近くで鳴っている。息が詰まり、一夏から目が離せない。組み立てろ。俺の感情を言葉にするんだ。ああだめだ。シンプルな言葉しか出てこない。
「好きだ、一夏。ずっと好きだった。俺と付き合ってくれ」
 この時の彼女の顔を、俺は今生忘れないだろう。
「……はい!」
 俺たちはこの日、晴れて幼馴染を卒業し、恋人同士になった。

(了)