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 放課後、校門で朽木と合流し児童公民館へ向かった。
 先ほどの体育で眠気も疲れも溜まり、今からピアノを運ぶと思うと足が重くなる。
 朽木は昨日の帰りと同じようにご機嫌だ。ピアノを運ぶのがどれだけ大変か分かっていない能天気め、その時になった朽木がどんな顔になるか想像できるな。
 ゆっくり歩いていたが、途中で寄り道もしなかったため、予想していた時間より早めに着いた。
「竹内先生っていらっしゃいますか?」
「ちょっと待っててね」
 朽木が聞くと、受付のおばさんは事務室の奥に行った。
 それと入れ替わるのように昨日の女性が出てきた。竹内さんだ。
「こんにちは」
「うん、こんにちは、遊びに来たんだよね?」
「ち、違いますよ! 運びに来たんです」
 慌てて言う朽木に対して竹内さんは目を逸らし?をかいた。
 その動作は何やら気まずそうで、表情も苦笑している。
「何か、問題でも?」
 もしかして、やっぱりダメになったとか? と期待していた反面にそう邪推してしまう。
 聞いてみると、竹内さんは子供達を指差す。
「運ぶにしてもこの時間は危ないからね、私はてっきり昨日と同じ時間に来ると思ってたからさ」
 なるほど、理解する。
 俺は時計を見る。時計の針は四時十分を指していた。
 昨日と同じ時間まで待つとすると、あと二時間近くはここにいなくてはならない。
「ピアノの掃除でもします?」
 朽木の提案に頷くしかなかった。
「私も行くよ、監視しとかないと何するかわからない二人だし」
 と、竹内さんもついてくる。
 物置部屋に子供が入らないようにか横の壁に立ち入り禁止の文字があった。
 たぶん昨日の俺たちが原因だろう。
 先に入っていった竹内さんは電気をつけた。 
「雑巾で拭く?」 
「ええ、でもその前に埃を落とさないと」
「乾拭きでいいのかな」
「優しくすれば大丈夫ですよ」
 どうやら竹内さんも手伝ってくれるらしい。
「私にも貸してください」
 二人が拭いている中、俺はこのあとの水拭きのためにバケツに水を汲んできた。
 贅沢を言えば、クリーナーや布も欲しいところだけど、さすがにここには置いていないだろう。
「水拭きします?」
「するけど、朽木はやめたほうがいいんじゃないか?」 
「どうしてです?」
 俺は雑巾を一枚バケツに入れてから朽木に持たせた。
「しぼってみろよ」
「え、はい」
 朽木は力一杯に絞り、俺はそれを受け取った。
 その雑巾は重く、まだ水が垂れてくる。これでピアノを拭くわけにはいかず、俺がさらに絞ってみると、バケツの水が少し増えるくらいに雑巾から水が出てきた。
 やっぱりな、朽木の力では無理だと思ったんだよ。
「なるほどね」
 竹内さんは納得したように顎に手を当てた。
「それじゃあ竹内さんと俺で」
「了解」
 手持ち無沙汰になった朽木には所々でバケツの水を変えるよう指示する。
 ピアノの掃除なんて本当に久しぶりだ。子供の頃は頻繁にやっていたことだが、触らなくなってからは家のピアノも放置の状態にあった。
 掃除のやり方なんて忘れてると思っていたが、意外と覚えていられるものなんだな。
 指が動かなくなってピアノを辞めてから、今こうして誰かと一緒に掃除するなんて思ってもいなかった。
「先輩何笑ってるんです?」
 朽木に言われてから自分の顔がにやけていたことに気づく。
 俺はすぐに真顔を作るが、それがおかしく見えたのか竹内さんに笑われてしまった。
「何考えてたの?」
 聞かれるが、言えない。こうして作業するのが嬉しいから、楽しいからなんて、気恥ずかしくて言えるわけないだろ。
「もしかして、エッチなことですか?」
 朽木に心外なことを言われ、俺が弁解する前に、
「男の子だねー」
 と竹内さんにも勘違いされてしまう。
 竹内さんは朽木を見つめてから、わっ、と口に手を当てた。
「まさか、おばさんをそんな目で??」
 確かに大きい胸だが俺は手を横に振る。
「いやいやいや! 違いますから!」
「でもこの子をそういう目で見ないでしょ? 見れないよね?」
 そう言われ少し戸惑う。
 いや、昨日そういう目で見れてしまいました。
「あの、おばさんって言いますけど、竹内先生っていくつなんですか?」
 それは俺も気になっていた。おばさんというわりには若く見える。
「私二十七歳なの」
 朽木の質問に竹内さんは苦笑しながら答えた。 
 その年齢はおばさんではないんじゃ? と思いながらも、本人からしたらそういうものなのだろうと口には出さなかった。
「全然若いですよ?」
「朽木ちゃん達からしたらおばさんだよ。若いっていいね! 二人を見てると羨ましくなっちゃうよ」
「そんなものですか」
「そうそう」
 それからも雑談を挟みながら作業をしていくこと十分ほどで、ピアノはものすごく綺麗になっていった。