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 火曜日の授業には最後の時間に体育がある。本当に勘弁してほしい。
 別に運動ができないというわけではないが、疲れがたまっている最後の時間に一番疲れる体育が来ることに億劫になる。
 それにこの後は児童公民館でピアノも運ばなければならない。運ぶとなったら朽木では戦力にならないため、九割は俺の力で運ぶことになる。
「今日って何やるんだ?」
「外でサッカーだってよ」
 クラスメイトの会話を聞き少し目眩がした。
 体操着に着替えグラウンドに行くと、教師が来てないのにも関わらずクラスの男子共はサッカーボールを蹴って試合を開始していた。
 そう、目眩がした理由はこれだ。
「瀬川も参加だぞ、これで人数ぴったりだな!」
 うちのクラスはとにかく運動が好きな奴が多いため男子は強制参加させられる。
 だがこいつらは人数が揃えば満足するわけではなく、運動をあまりしない人間にもプレイを求める迷惑な奴らだ。
「早く入れって!」
 俺は歩きながら軽く準備運動をすませコートに入った。
「また暇なポジションに来たな」
 人が少ない自軍のゴール前に行くと、ゴールキーパーをやっているガタイの良い村上に声をかけられた。
 暇でいいんだよ、と思いながら適当に返事をすると、
「あ、もしかして俺の名前わからない?」
 と何故か不安そうに聞いてくる。
「いや、村上だろ?」
「そうそう! クラス全員には名前覚えててもらいたかったからさ、良かった良かった」 
 安心したように息を下すと、今度は、
「ボールこないから暇だな」
 とボヤいてくる。
 暇でもいい俺は前でボールを追っている男子を眺めていると、村上がゴールから離れてそばに来た。
「そういえばさー」
 暇なのは分かるのだが、それで俺に絡んでくるのだけは勘弁してほしい。
「なんだよ」
 無視するわけにもいかず話の続きを聞く。
「瀬川って先週の日曜に学校来てたよな、どうして? 部活とかやってないよな」
「え、なんで知ってるんだ?」
「見かけたんだよ、俺部活だったし、ずいぶん早くから来てたよな」
 素直に話すか迷ったが、別に隠すことでもないだろうと思い、
「ピアノ弾いてるんだよ」
 と答えると、村上は、ほえ~、と変な声を出す。
「今度聴きに行ってもいいか? お礼に茶道室でもてなすぜ」
「なんで茶道室?」
「俺、茶道部だし」
 その体つきで茶道部かよ。
「まあいいけど、たぶん聴いたらがっかりするよ」
「どうして?」
「……いや、あんまり上手くないからさ」
 左手のことを話そうとしたが、変に気を使われてもと思い、そう誤魔化した。
 村上は軽快に笑い、
「弾けるだけでもすごいもんなんだよ、弾けない人からしたらよ」
「そんなものなのか?」
「楽器問わずそんなもんさ、いや楽器に限らず、自分ができないことを他人がしてたらすごいと思うだろ?」
 これは村上なりに気を使ってくれたのだろう。
「……そんなものか」
「そうそう、あいつには彼女いるのに俺にはいない、いいなーとかな」
「それは違うだろ」
 俺が呆れながらツッコミを入れると、村上は手を叩きながら笑い始める。
 だが、笑い終えた村上は肩を落とし、
「彼女か」
 遠い目で空を見上げた。
「瀬川は好きな奴とかいるのか?」 
「いるけど」
 村上の質問に何も考えずに答えると、
「え! 誰、誰、誰だ!」
 興奮して前のめりになってくる村上に思わず後ずさる。
 男子でもこういう話題が好きな奴はいるのに、後を考えずにいると答えてしまった自分を恨んだ。
「だ、誰でもいいだろ」
「いやいや、気になるじゃんか」
「お、ボール相手に取られたぞ、元の位置に戻れよ」
 すぐに相手はハーフコートまでボールを運んでいた。
「後でまた聞くからな、絶対だぞ」
 そう言い残してゴールまで戻る村上。
 しかし、村上は恋愛よりスポーツのほうが好きなのだろうか守りが終わった後は満足そうに今の守備について語り出し、その後は茶道の奥深さを丁寧に説明し始めた。
 それがなかなか、村上の話し方もあるだろうが面白く感じられた。
 いかにもそこに茶碗があるように作法を見せる村上に冗談で「落語家になれるぞ」と言ってみると、
「あーだめだめ、俺あれで笑った事ないからさ」
「向いてると思うけど」
「向いてたって面白くないものはできっこないって。まあ、今はまだそんな事言ってられるけど、いつかは嫌な事もやらなきゃならなくなるんだよなぁ」
 村上は自分で言って落ち込み始めた。
「随分大人っぽい事言うな」
「いや、最近感じたことを話しただけなんだけどな」
「何かあったのか?」
「茶道部の先輩がさ、そろそろ受験勉強しなきゃいけないって言って、昨日部活辞めてったんだよ」
 そうか、もう三年生は受験前だし、部活も引退か。
 一応、うちの高校は全員が全員そこそこの大学に行ける程度の学力は持っているが、やはり受験勉強は欠かせないものになる。
「呑気に部活できるのもあと一年って思うと、なんだか感慨深くてよ」
 顔に似合わず感傷に浸っている村上を見てつい笑ってしまった。 それを見て村上は少しムッと睨んでくる。
「なんだよ、何がおかしい」
「べ、別に?」
 俺はなんとか笑わないように軽く唇をかんだ。
 村上はため息を吐いてから、
「たぶんだけど、ここ出たらもう茶道やる機会なんてないと思うんだ」
 と、また感傷的になりながら話を続ける。
「今やれることはやっとかないと、後悔したくないからな」 
 村上は俺の肩を軽く叩いたあと、ゴールキーパーの位置へと戻っていった。
 こんな話、ほぼ初対面の俺にしてくるあたり、誰でもいいから話しがしたかったのだろう。
 その話を聞いた身にもなれよな。体育が始まる前はピアノの事考えてたのに、受験の事とか考えさせられるだろ。
「集中しろよ!」
 後ろから聞こえる村上の声に、はいはい、と心の中で呟きながら、俺はたまにくるボールを適当に蹴り返しながら体育の時間を終えた。