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「たーつーみー」
 出入り口に向かうと、すでに来ていた母が手を振りながら近寄り、満面の笑みを浮かべながら、
「えへへ、お待たせ」
 と言い俺の手を握ってくる。 
 閉館時間でこの出入り口を通って帰っていく子供達に見られていくのが本当に恥ずかしくて、俺は握られた手を振りほどいた。
 すると、母はムッと顔をしかめ、もう一度手を握ってくる。母の力は強く、今度も振りほどこうとしたが無駄に終わった。
「や、やめろって」 
 俺は諦め口で言うが、それでも離してはくれない。
 見るからに不機嫌な母は手を握ったまま中に進んでいき、俺は引っ張られるかたちとなった。
「ピアノってどこ?」
「あ、二階だけど」
 このまま行くのか? と思いながらも今の母の対して迂闊に発言できないため黙ってついていくしかなかった。 
 階段を上ったところで、竹内さんと朽木の姿が見えた。
「こんばんは?」
 母が二人に挨拶をすると、
「え、若っ」
 竹内さんが声を漏らし、朽木は口を開けたまま固まってしまった。
「さあ、案内して?」
「あ、こちらです」
 竹内さんは母を置くの物置部屋へ案内をし、ようやく手が離された。見ると握られている跡が赤く残っている。
 固まっている朽木に一声かけ、俺たちも部屋に入った。
「竹内先生から聞いたんですけど、先輩のお母さんなんですよね」
「そうなるな」
 正直恥ずかしくて、違うよ? と言いたくなったが、母が目の前にいるのに小声でもそんなことは言えない。
「グランドピアノね、どこに運ぶの?」 
 そういえば、それを聞いていなかったと竹内さんの方に振り返ると、
「と、隣の部屋のに置く許可取ってるから、そこに」
 母がいるからか緊張しているような口調で竹内さんはそう言った。
「とりあえず脚外すから、巽、手伝いなさい」
「分かった」
 母の指示通りに脚やペダルを外していく。
「本当だったら台車とか紐とか欲しいけど、隣の部屋なら大丈夫かな」
「え、危なくないですか?」
 朽木が心配そうに聞くと、母は笑顔でサムズアップする。
「任せて! 運んだことあるしさ!」
 そう、俺が母を呼んだのはそれが理由だ。
 力がある母は知り合いの引越しの手伝いなどに行くことがあり、そこでグランドピアノを運んだことがあると聞いた事を俺は忘れていなかった。
 顔に似合わないのは歳だけじゃない、末恐ろしい母だ。
「さ、運びましょう、巽は手、気をつけてね」
「分かってる」
 本当に母の力はすごく、男の俺が逆に支えられるほどで、朽木と二人で運ぼうなんて考えていたのがどんなに無謀だったのか思い知った。
「後は部品を付け直して終わりね」
 ピアノを運んだ部屋は特に置かれている物もなく、壁に折り紙で作られた星や花が付けられていた。
 竹内さんが言うにはお遊戯会の部屋らしく、月に一度やる程度なのでここに許可をもらったとのこと。
 完璧にピアノを置き終え、改めて母に礼を言うと、
「いいよ、来たときは巽の態度が気に食わなかったから帰ってやろうと思ったけどね、照れてるだけって分かったから、許したげる」
 別に照れたわけじゃないが、まあいいだろう。
「あの、本当にありがとうございました」
 朽木も母に礼を言い頭をさげた。
 そんな朽木をじっと母は見つめると、
「あなた……どこかで会った事ある?」
 と、そんな事を言った。
「いえ、初めてだと思いますけど」
「あっ!」
 母は目を大きく見開き朽木の手を取ったが、何故かすぐに離した。 
 その意味不明な行動に朽木は戸惑い、母から一歩後ろに下がる。
 それはそうだ、初めて会った人に手を握られて、かと思ったら離す謎の行動をされれば警戒もする。 
「あはは、気のせいじゃった、ごめんなー?」
「い、いえ」
「じゃ、うち帰るな?」
「あ、うん」
 母は逃げるように階段を降りて行った。それを見送った後、竹内さんがいない事に気づき朽木に聞くと、俺たちが運んでいる間に一階に戻ったとの事だった。
「お礼、言わないと」
 俺と朽木は事務室に向かったが、外から見ると誰かがいる様子はない。事務室ではないのだろうか。
「どこに行ったんでしょう?」
「ここで待てばそのうち来るだろ」
 すると、俺と朽木しかいない静寂の中にある音がした。 
 それは間違いなくピアノの音だったのだが、何度も聴いたことがある懐かしい音だ。
 これって、もしかして。
 音がしたのは事務室からで、俺と朽木が中に入り奥に行くと、ソファに竹内さんが座っていた。
 竹内さんの視線の先にはテレビが置いてあり、そこに映っていたのはピアノを弾いている小学生の頃の俺だった。
「お、本人の登場だね」
「それ、コンクールの」
「そうだよ、小学五年生って書いてあったから、その時のかな」
 弾いているのはソナチネ、本選の時の曲だ。
 こんなビデオがここに置いてあるのは気になるが、俺の隣の朽木が目を輝かせて画面を見ている事はもっと気になる。
「こ、ここ、ここで弾きたいんです!」
 朽木はこちらを見ながら画面に指を向ける。
「この会場で?」
 聞くと朽木は何度か首を縦に振り、わぁ、と感動の声を出す。まるでホールに来ているような反応だ。 
 なるほど、だから本選に出たいって言っていたのか。
「だけど、高校生はこの会場じゃないだろ」
「ええ??」
 と驚く朽木に俺は戸惑う。
「ちょ、ちょっと待てよ、そんな事も知らないのか?」 
「でもでも、私が見たときは高校生も弾いてましたよ」
「それ、たぶん大学生だ」
 前にもこんな事があったのを思い出した。もしかして、最悪な事が起きてるんじゃ……。
「お前、本当に応募したか?」
「しましたよ、しっかり参加証も届きました」
 それを聞いて安心した。
 これで応募してません、参加できませんなんて言われたら発狂していただろう。
「明日その参加賞もってこい、もしかしたら偽物かもしれない」
「いや、本物ですって」
「二人はあれかい? 兄妹かな?」
 俺たちのやりとりを見ていた竹内さんは微笑みながらそう言った。
「えー、私が妹なんですかー」
 俺からしたらお前と血縁関係にあると勘違いされたのがショックだよ。
「これ、全員分撮ってあるんですね」
 俺のソナチネが終わると今度は赤髪男子がピアノの前に立った。
「うわ、この人不良ですよ」
「え、誰だこいつ」
 こんな奴いたかな。いや、いたんだろうけど、覚えてない。
 たぶん、これほど目立つ髪型なら忘れなさそうだけど、当時の俺はよっぽど他の人に興味がなかったのか。
「もう瀬川君の終わったし、帰ろっか?」
 竹内さんは他の演奏には興味がないのか俺たちの返事を聞かずビデオを止めていた。
「今日はありがとうございました」
 俺が頭を下げ礼を言うと、朽木も続けて頭を下げる。
「いいんだって、最初は手伝う気なかったけど、ノリでやっただけだからさ」
 竹内さんは笑いながら?をかく。
「それより、貸すんだから頑張ってよね」
「はい」
「もちろんです」