翌日の昼休み、教室で朽木に持ってきてもらった参加証を受け取り、裏に書いてある概要を読んでいく。
曲の選択は年齢関係なしに統一で、練習曲から。滝は条件に当てはまっている。
なんだよ、小学生の時と変わらないじゃないか。
だが、予選の日時のところで目が止まり、驚愕した。
「今週の土曜??」
「ええ、そうですね」
自分は知っていましたよ、と朽木は淡々と弁当を広げる。
小学生の頃の予選日が五月下旬だったため、高校生も同じだと思っていたが違った。
背中が熱くなり焦りを感じる。
今日は母が早起きして弁当を作ってくれたが、胃が痛くなりそれを食べている余裕はない。
練習できるのは今日合わせて三日、放課後ギリギリまで練習したところで、予選を通過できるかわからないぞ。
いや、瞳の話を聞く限り不可能に近い。
「おい、音楽室に行くぞ」
とにかく一秒でも多く練習をしなければならない。
「え、今からですか?」
朽木は箸を止め眉をひそめた。
「開いてますかね?」
「土日だって丸一日開いてたんだから、たぶん大丈夫だろ」
朽木が弁当を閉じるのを待ち音楽室へ向かった。
予想通り音楽室は開いており、俺たちは遠慮なく入っていく。
「練習するぞ」
「はい」
朽木を椅子に座らせピアノに向かせ、鍵盤に手を置いたところで大雑把なアドバイスを言った。
「左手意識して、右手は体に弾かせろ」
「体に?」
「弾いていけば大丈夫だ、左手だけ気にして」
細かい教えよりも全体の改善点を正した方がまず良いだろう。
「そう、そのまま、右手は意識するな」
完璧な演奏にするには無理があるため、独自の完璧を完成させた方が審査員も点をつけるはずだ。
朽木にとってのそれは、右手のリズムに左手のメロディを自然に合わせることだ。
だが右手を意識されると左手が下手なこいつの演奏はひどくなる。
左手に意識を向けていけば、そのうち体で覚えて自然と弾けるようになるはずだ。
……そのうちじゃダメなんだった。
いや、俺が求める演奏はこの三日間でできるわけないし、それはいつかでいいんだけど、今年の本選に出たいという朽木は今弾けるようにしないとダメなんだ。
それにコンクールはこれからの逸材を見つけ出すのが目的だ。朽木の才能は(右手だけ)すごいものだし、こいつ次第だ。
「なんで今手をあげたんだよ! テンポが遅れただろ!」
「は、はい」
俺の足はいつの間にか細かく動いていた。
それはこの演奏のリズムに乗っているとかでなく、言っていることができない朽木に対してのいらだちからだった。
「肘を浮かすなって!」
「難しいんですよ!」
俺の声に負けないくらいの大きさで返され、演奏は止まった。
「なんでできないんだよ……」
ぽつりと、そう呟いてしまう。
違う、いま朽木には癖がついており、その弾き方になっている。そのせいでできないのだ。
「はぁ……悪い、急ぎすぎたな」
「……いえ」
何が、いえ、だよ。思いっきり涙目になって鍵盤から手、離れてるじゃん。そのくらいで弾く気失せるなよ。
そんな朽木に腹を立てている自分に、焦るな、そう言い聞かせる。
「昼はもういいから、放課後にまたな」
これ以上続けても仕方ないと思いそう言うと、
「……はぃ」
弱々しい声で返事をした朽木は、俺の顔を見ることなく音楽室を出て行った。
それを見送ったあとピアノ椅子に座り鍵盤を叩く。
なんとかなるなんて、もう自己暗示のようなものだった。
「どうすればいいんだよ……」
誰にも聞こえないように呟くその声は、自分だけを悩ませた。
午後の授業中、俺は手に持っているシャープペンを回しながら、放課後にどう教えるかを考えていた。
昼休みの教え方が朽木に合わないのは分かったが、それをふまえてやると絶対に間に合わない。
間に合わせるためにはどんなに厳しく急いでも、朽木が腐らずに練習をしてくれることが第一条件になる。が、出鼻は昼にくじかれてしまった。
あいつ、本当に予選を通る気あるのかよ。
ないならいいじゃないか、焦らず基礎からやって、初めて会った時の演奏を弾けるようになれば本選だってどこにだっていけるだろ。
あー、くそっ! 本当に……どうすればいいんだよ。
結局、放課後までの間に教え方など考えられず、音楽室へ来てしまった。