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 秋、鮮やかな黄色や朱色が入り混じる貴船の山々を見て、俺の両親が感動している。無論俺もその光景に驚嘆していたし、流石は京都、秋の紅葉が似合うと思っていた。
 だが、それ以上に俺の目を釘付けにしたものがあった。
 それは、モミジの大樹の下にいる一人の少女。着物姿の少女はどうやら真っ赤に染まったモミジの葉がヒラヒラと舞い落ちる様を見ているようで、その顔は美しくも何やら悲しい表情をしているように見えた。
「綺麗だ……」
 気がついたら口にしていた言葉。俺の声が聴こえたようで、少女もこちらに視線を移した。
 俺と目が合って少女はにこりと微笑む。その瞬間、心臓が跳ね上がるような感覚がした。同時に顔も少しばかり熱くなったような気もする。
「あら、ホント。綺麗ね」
「えっ……」
 急に俺以外の声が隣から聴こえたため顔を横に向けてみると母さんが隣へ来ていた。
「き、聴こえてたの……?」
「ええ、本当に綺麗なモミジね」
「なんだ、そっちか……」
 てっきり俺は着物姿の少女のことを言っているのかと思った。
 女性を見て綺麗だなんて言葉を自分の知り合い、ましてや自分の家族に聞かれれば恥ずかしいことこの上ないのだが、どうやら母さんは俺がモミジを見て綺麗だと言っていると勘違いしているようだ。そのことに俺は少し安堵していた。
 再び視線を少女へと戻すと、いつの間にか少女はいなくなってしまっていた。
 周りを見渡しても少女らしい姿はない。それ以上に観光客の人数が多くこの中から探し出すのは骨が折れそうだ。
 俺は少女を探すのを諦め、さっきまで少女がいた場所へ足を運んだ。
 少女の真似事をするように上を見上げれば、その光景は先程まで横から見ていたものとは全く別の景色が広がっていた。
 大樹から伸びた枝が辺りを包み込むかのように横に広がり、紅色のモミジの葉が青空を塗り隠している。落葉するモミジはまるで雪のように儚く、辺りを赤く染め上げる光景を目の当たりにして、この場所だけは別世界なんだと思った。
「すげぇ……!」
 自分が住んでいた地域にはこんな景色を見れる場所なんてなかったため、思わず呟いてしまっていた。
 美しい情景に見惚れていると俺を呼ぶ母さんの声が聴こえた。
「誠、もう行くわよ!」
「わかった、今行くよ」
 俺は母さんに返事をしその場を後にする。だがこのまま帰るのは少し名残惜しいと思い、地面に落ちているモミジの中で一番綺麗な葉を拾い持ち帰った。
 
 今日の出来事を忘れないために。

 宿泊する旅館に戻った頃には、既に日が暮れていて夕食の時間となっていた。夕食を食べ終わり、温泉から上がった俺は浴衣に着替え、部屋にある椅子に座って寛いでいる。
 両親は温泉から出た途端お酒を購入。今頃、憩いの場で夫婦水入らずで仲良くお酒を飲んでいるだろう。絡まれると厄介なので俺は早々にその場を離脱し、この部屋に戻ってきたという訳だ。
「ふぅ……」
 俺は小さく息を吐く。大して疲れてはいないが、肺から空気を短く吐き出すことによって少しだけ体を楽にできた。
 ふと視線を下に落とす。手に持っているのは昼間、あの場所で拾ったモミジの葉だ。ここに来る間、傷つかないように大切に持っていた。
「そういえば、あの子はどうしたんだろう……」
 思うのは昼間に出会った着物姿の少女。俺が目を離した隙にいなくなってしまったのだが、考えればちょっと不思議だった。
 まず、母さんはあの少女が見えなかったのだろうか。母さんの言葉を思い出してもモミジのこと以外喋っていない。あの大樹の直下にいたのに見えないなんて普通ならありえないだろう。
 もう一つは目を離した一瞬で少女がいなくなったこと。今思えば着物を着ていたのはあの少女だけだった。周りの観光客はほとんどが洋服だったので着物は目立つはずだ。なのに誰にも気づかれずに姿を消したなんて考えられない。
「わからないなぁ……」
 俺は考えるのを止め窓から夜空を眺めた。どうやら今夜は満月のようでまん丸の月がちょうど俺がいる部屋を照らしている。
 下を覗けばこの旅館のシンボルであるモミジの木がライトアップされており、夜でも綺麗な紅葉が見られるようになっていた。
「また逢えないかな……」
 モミジを見つめながら俺は少女のことを思った。なぜここまで執着しているのか自分でもわからないが、ただもう一度会いたい。そう思わずにいられなかった。
 その時、モミジの木に誰かが近づいてくるのが足音が聞こえた。夜の闇でちゃんと確認できなかったが設置してあるライトによってその姿が露になる。
 その人物を見て、俺は目を見開いた。

 なぜならその人物は、昼間に見た着物姿の少女だったからだ。

 俺は急いで部屋を飛び出した。会って話がしたい。ただそれだけしか考えられなかった。
 外に出てモミジの木の場所へ行く。少女は立っていた。昼間と同じようにモミジの木の下に。
 着物姿の少女は振り向いて、あの時と同じようににこりと微笑む。
「――こんばんわ」
「こ、こんばんわ」
 緊張してそこから先の言葉が出ない。話したいと思ったのは自分なのに情けない。
「お昼ぶりね」
「憶えててくれたんだ」
「ええ、私もあなたと少しお話したくて」
 そう言われ少し照れくさくなった。同時に同じ気持ちだったことに喜びを感じる。
「そ、そうなんだ」
「ええ、だってあなたが初めてだもの」

「私を、見れたのは」

「えっ?」
 時が止まったかのようだった。少女が何を言っているのかわからない訳ではない。それは自分でも考えたことだ。だが、まさか本当に他の人には見えなかったとは思いもよらなかった。
「ふふっ、そんなに驚くなんて」
 少女は悪戯が上手くいった子供のように笑う。
「でも、それが当たり前なのよ。だって私がそういう存在なんだから」
「どういうこと? 君は、いったい……」
「もう行かなきゃ。時間が経つのは早いわね」
 少女は薄く笑いその場から離れていく。
「待ってくれ、君の名前は……」
 少女はこちらを振り向き言った。

「また逢いましょう。いつかまた、紅い葉の木の下で」

 今度は振り向かずそのまま去っていった。
 俺は去っていく少女の姿を見送ることしかできなかった。だが、あの子の言う通り、また逢えるような気がする。

 モミジの木の下で、今と同じ、この季節に。