「ふあああ。お客さん、全然こないよ~」
そうぼやくこのカフェの店主であり俺の幼馴染の琴音は、俺以外は誰もいない店のテーブルに突っ伏す。
「お前、こういうだらけているときに限って客って来るもんだからな」
そう手に持っていたメニューの角で小突きながら言えば、琴音は小さな口を尖らせた。
「来ませんよー。昨日も一昨日も来なかったんだから! 亮ちゃんも知ってるでしょ!」
そう言われれば、反論のしようもない。
三日前から鎌倉にオープンしたこのカフェは、未だに客がゼロだ。
開店前から客が入るかは微妙だと思っていたのだが、流石に三日でゼロ人は想定外だった。
「何でなのかなー。わかる? 亮ちゃん」
「……場所が悪いんじゃね?」
ずっと思っていたことだが、あたかも今思いつきましたって感じで口に出す。
「えー。そうかなあ?」
琴音はそう思っていないようで、首をひねる。
いや、逆に何でわからないんだよ。
「ここって鎌倉じゃん?」
「そうだよ。鎌倉駅、目と鼻の先にあるじゃん」
「鎌倉っていえば、古きを大事にって感じじゃん?」
「そうだね。ここの通りも、古い店多いもん」
そう。この鎌倉駅付近、このカフェがある小町通りは、古い店が多い。
例えば絵葉書の店、例えば便箋の店、例えば硝子細工の店などなど。
最近の日本では珍しくなった品々の専門店がズラリと並ぶ。
そして、客はそんな古き良きものを求めて訪れる人間が多いのだ。
「だから、ここまで来て新しいカフェに入ろうとは思わないんじゃね?」
そう言えば、琴音は驚いたようでボカンと口を開ける。
「で、でも、うちの料理だって美味しいよ? 他のお店みたいにシラスを使った丼物とかパスタとか、それから鎌倉野菜に鎌倉プリンって郷土愛溢れる食べ物いっぱいだよ?」
「でも、観光地料金で割高じゃん」
「それは他の店もそうじゃん!」
「他の店は古い分、伝統を食っているみたいだから損したとは思わないんじゃねえの?」
自分の反論にすぐに言い返す俺に嫌気がさしたのか、琴音は口を尖らせたまま立ち上がり、「外で呼び込みしてくる」と言って外に出て行ってしまった。
俺はそれを見送り、それから店内を見渡す。
ピンクを基調とした可愛らしい内装はやはり、鎌倉とは思えない。
でも、用意した食材やあいつの料理の腕は確かだし、幼馴染の夢を応援したいと俺は思うわけで。
(前途多難すぎるけど、俺には応援することしかできないからな……)
琴音と違って自分の夢を持っていない俺は、大学卒業後も行く当てがなくて、そんな俺にこのカフェのウエイターを頼んできたのがあいつだった。
『亮ちゃん、やることないなら私の夢を応援してよ。昔みたいに、私を助けてよ』
笑顔でそんなことを持ちかけてきたあいつは、俺と違っていつでも夢に向かって走っている。
それに比べて、俺は……。
「亮ちゃん! お客さん!」
ハッとして声のした方を見れば、元気よく入ってきた琴音と、その後ろには少しぽやっとした髪の長い女性が一人。
「お客さん?」
「そう! 一名様ご案内ってことで、亮ちゃんはお冷だして! 私、料理を作り始めるから! あっ、大丈夫! 注文は外で聞いてきた!」
よっぽど嬉しいのか客前とは思えないせわしなさで準備を始めていく琴音。
俺は言われた通り、用意していたミネラルウォーターと氷がたっぷり入った容器から水をくみ、お盆に乗せてお客様へと運ぶ。
「どうぞ。お冷です」
「ご丁寧にありがとうございます」
ペコリとお辞儀した彼女は、琴音の姿をカウンター越しから楽しそうに眺めている。
「あの、どうしてうちに?」
「はい?」
「いえ、ちょっとした好奇心というか、なんというか」
聞いてから、お客様に失礼だったのではないかと思い、慌てて撤回しようとしたが、彼女は幸いにも機嫌を損ねたようではなかった。
「私、一人でしょう? 女性で一人だと、どうも古いお店には入りにくいんですよ。でも、せっかくの鎌倉ですし、シラスを使ったお料理が食べたくて。そうしたら、ここなら入れるかもと思ったんですよ」
笑って答える彼女に、そういう考え方もあるのかと意外に思った。
鎌倉に来てまで入る店ではないと思っていたが、女性の一人客には良い店なのかもしれない。
「楽しみですね。私、ここに来るまでシラスが有名だって、知りませんでした」
「知らないで来たんですか?」
「ええ。鎌倉の大仏様を見たいなーって思って、それで来ましたから」
何とも計画性のない人だ。
そう思ったが、お客様に流石にそんなことは言えないので黙っていると、「亮ちゃーん」と呼ぶ声がした。
「なんだ?」
「仕事! ランチできたから運んで!」
そういえば、仕事中だっけ。
他の職場だったらクビになっても文句を言えないようなことを思いながら、彼女の元にシラス丼と京野菜の天ぷら、鎌倉プリンのセットを持って行く。
「まあ。美味しそう」
それを見るや、にっこりと笑った彼女は、まず天ぷらを食べ始めた。
「天ぷら、おいしいですわ。抹茶塩によく合って!」
「えへへ。ありがとうございます」
初めてのお客様の言葉に顔をほころばせる琴音を横目に見ながら、彼女をまじまじと見つめる。
彼女は一人で来たわりに、おしゃべりが好きなようだ。
「シラスが名産というだけありますね。普段食べているものより味がとても濃いです」
とか、
「鎌倉プリンってねっとりしていますね! こんなに濃厚なもの、初めてです」
とか、一つ一つに感想を言って琴音を喜ばせていた。
「美味しかったです。今度は、お友達と来ますね」
彼女はそう笑い、お店を後にした。
「不思議な人だったな……」
「そう? そんなことはないと思うけど……」
まあ、初めてのお客様だから、あれが普通だと思うと言われればそんな気はしなくもないのだが。
「お客さん、増えるといいな」
「増えるよ! この店は一ヵ月後、満員御礼になるんだから!」
そう笑う琴音に、こっちもつられて笑ってしまう。
その笑顔と、さっきのお客様の笑顔を見れば、俺の夢を琴音の夢を応援することに変えてもいいかもしれない。
そんな風に思った。