読書設定

文字サイズ

背景色

フォント

方向

 目の前には、雑誌やら何やらで散らかった机。舞が時計を確認すると、時刻は十二時十分前になったところだ。ひとまず、机上にとっ散らかったそれらを近くの棚に突っ込み、片付けと言えるのかわからない片付けを終える。綺麗になった机にお菓子の入ったカゴを置き、勉強道具も用意すれば、これで完了。十二時にやって来る友人を出迎える準備は整った。
 今年最後の期末テストを来週に控えた舞は、今日、友人の綾を呼び、自宅で勉強会を開くことなっている。勉強会とは言うものの、日頃から真面目な綾に舞が教えて貰うだけの、テスト前の恒例行事だ。
「舞、もうすぐ綾ちゃん来るんじゃないの? 準備できた?」
「バッチリだよ!」
「綾ちゃんにはいつも申し訳ないわね。舞、あなた普段からもうちょっとちゃんと」
「あーもう綾来ちゃうから!」
 その時、インターホンが鳴った。
「ほらもう来たから! お母さんは二階行ってて!」
「はいはい」
 母がリビングを出ていくと、舞は玄関に向かう。そしてドアを開けると、綾が立っていた。
「おはよう綾! 来てくれてありがとう!」
「おはよう舞ちゃん。今日は頑張ろうね」
 綾をリビングに招き入れると、寒かったーと電子ストーブの前で暖をとる綾。そんな綾と暫し談笑しつつ、二人は今日の目的である勉強へとりかかった。

 勉強会が始まって1時間近くが経過しようとした頃、舞は何度目かわからないヘルプを出した。
「助けて綾……」
「どこ?」
「ここです……」
 舞が指差した問題を見た綾はすぐに、ここをこうしてと解説を始めた。
「おお、なるほど! ありがとう綾!」
 拝むように手を合わせる舞に、綾は苦笑しつつ言った。
「公式さえ覚えちゃえば、数学はそんなに難しくないよ」
「公式は覚えられないことはないんだけど、どの問題で使えばいいのかわかんなくなっちゃう……」
「それも覚えるしかないね」
 笑顔で言う綾に、舞はですよねーと笑うしかなかった。そしてふと時計を見て、開始から一時間が過ぎていることに気づいた舞は、休憩を切り出した。そうだねと綾も同意し、舞はシャーペンを机に置いた。
「ああー疲れたー!」
「おつかれさま、舞ちゃん」
「慣れないことした頭が糖分を欲してるよー」
 舞はチョコレートの包みに手を伸ばし、一口分のそれを口に放り込む。綾も、いただきますとクッキーを食べ、二人は束の間の休憩を楽しんだ。すると、リビングのドアが開いて、誰かが入ってきた。
「あら、二人とも休憩中?」
 そう言ってリビングにやって来たのは、二階にいた舞の母だ。
「そうだよ。一時間頑張ったからね!」
「おばさん、お邪魔してます」
「いらっしゃい綾ちゃん。いつも面倒見てもらってごめんね」
「いえ、自分の勉強にもなりますから」
「舞あんた、綾ちゃんみたいな友だちがいることに感謝しなさいよ?」
「もう十分してますう!」
 そんな親子の会話を少し笑いながら見ていた綾は、異変に気づいた。
「なんか今、揺れてませんか?」
 綾の指摘で、舞と母親も気付く。少しだが、揺れを感じるのだ。
「あら、地震?」
「みたいですね」
「まあすぐにおさまるよ!」
 舞の言葉に、綾も母親もそうねと頷く。日本という地震大国では、そんなに珍しい事象でもない。舞の言った通り、大体はすぐにおさまるし、慌てることでもない。三人はそう思っていたのだが、だんだん様子がおかしいことに気づく。
 三人の不安がピークに達した時、それは決定的なものになった。それまで段階的に強さを増していた揺れが、突如、その威力を破壊的なものにしたのだ。
「うわわわわわわ!?」
「きゃああああ!!」
「二人とも、机の下に入って!!」
 舞の母親は素早く二人に言うと、電子ストーブを消し、自らも近くのクッションを頭に乗せて屈んだ。舞と綾はすぐに机の下に潜り、机の脚を掴んでじっと耐えた。一度、ゴンという鈍い音とともに頭をぶつけた舞だが、その痛みを気にする余裕などなかった。何かが割れたような音も聞こえたが、もはやどうでもいい。とにかく早くこの揺れが終わってくれと、ただただ祈るしかなかった。
 
 時間にして一分ほど。体感ではもっとずっと長く感じられたが、ようやく揺れがおさまった。暫し沈黙が訪れたが、
「二人とも、大丈夫?」
 舞の母親の声に、なんとか二人は机の下から出てきた。
「びっくりした……」
「すごい揺れだったわね」
「うん、頭ぶつけちゃったよ。綾は大丈夫?」
「私は大丈夫だけど、コップが」
 そう言って綾が指差した場所には、ガラスの破片が散らばっていた。中身を飲み干していたおかげで、辺りが水浸しになることはなかったが、コップとしての原型はもうない。
「あー、これが割れた音だったんだ」
「目の前に落ちてきて、びっくりしたよ」
「綾ちゃん大丈夫? 破片で怪我してない?」
「あ、はい。大丈夫です」
「よかった。ちょっと二階見てくるから、二人とも破片に触らないでね。戻ったら片づけるから」
 舞の母親がリビングを出ていくと、二人は同時にため息をついた。
「すごい大きかったね。あんなの初めてだよ」
「そうだね。怖かった……。舞ちゃんは大丈夫? 頭痛くない?」
「うん、平気! 揺れてる間は気にする暇もなかったよ」
「私も、コップが落ちてきてからずっと目瞑ってた」
 二人が話していると、舞の母親が戻ってきた。
「あ、お母さん、二階どうだった?」
「まあ、棚が倒れたりはしてなかったんだけど、物が結構落ちてたわ。とりあえずこの破片片付けちゃうから、舞はこの部屋片付けちゃって。割れ物は触らないでね」
 はーいと返事をして、舞が部屋を見回してみると、本や置物などが落ちている他、ミニ観葉植物の鉢も倒れ、土がこぼれていた。
「綾ちゃんは、一回お母さんに連絡したほうがいいわね。きっと心配してるだろうし」
「そうですね、ちょっとかけてみます」
 綾はスマホを取り出し、舞は部屋の片付けを始める。
 元あった場所に物を戻しながら、舞は、阪神淡路大震災や、関東大震災のことを思い出した。舞自身が経験したわけではないが、その被害の様子は、度々テレビで特番が組まれ、後世に語り継がれる記憶となっている。それらをテレビで見たとき、怖いなあという気持ちはあった。しかし、結局あくまで他人事、自分には関係ない話だと信じきっていた。
 それを今日、自分で体験し、本当の意味で恐怖した。よくあるし、大したことはない。その認識が間違っていたことに、ようやく気づかされた。地震は、誰かが意図的に起こすものではない。自然現象だからこそ、常日頃からの意識が大事なのだ。
(今日は頭をぶつけただけだけど、こんなのが頭に落ちてきてたらどうなってたんだろう)
 大きな置き時計を戻しながら、舞は自分の意識を変え始めていた。