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 第二幕:機巧少女は扱いづらい

 

 

 衝撃によって気絶してしまったシュトラフが目を覚ましたのは、爽やかなまでに凍てつく澄んだ空気が頭を冷やした早朝の頃だった。
 シュトラフは小さくうめき声を上げると、目を閉じたまま頭を抑えた。
 ……頭が痛い。というより全身が痛い。体を捻らせると背中や肘、肩などからバキボキと軽快な音が鳴り響いていく。音が鳴らなくなるまで体を伸ばし、曲げてストレッチを終えると、大きく口を開け欠伸と共に目を開けた。
 ――――直後、シュトラフは目を大きく見開いて硬直した。寝惚けていた頭がその瞬間に覚醒した。
「おはようございます。脆弱でひ弱な人間であるシュトラフ様に対して行う攻撃だったにも関わらず、少々強くし過ぎてしまいました。大丈夫でございましょうかか? 頭とか」
 どうやらベッドに寝かされていたらしい。起きるのを待ってくれていたのかベッドのすぐ隣に木製の椅子を置いて、カノンはそこに座っていた。シュトラフは苦笑いを浮かべて若干大袈裟に背中を抑えた。
「頭は平気だが大丈夫ではない。全身が痛い」
「それはよかったです」
 カノンはそんなことを言いながらもどことなく心配げな表情を浮かべ、憎たらしいくらい柔らかそうな童顔を目と鼻の先にまで近づけると、こちらの顔を深く覗き込んだ。
 水に濡れたかのように艶のある美しい銀の髪がふわりと揺れてシュトラフの頬や首に触れる。髪は上質な絹よりも柔らかくきめ細かで、その一本一本が触覚を刺激し優しげな香りが嗅覚を扇いだ。
 こういうのを卑怯と言うんだ。向こうは恥じらいも年頃の少女のような純心も、低俗だと断言してどこかに投げ捨てたのかもしれないが、こっちはそんな馬鹿なことはしていない。硬直してしまうくらい頬を紅潮させ、どうしようもなくカノンのことをじっと見詰めること以外何も出来なくなってしまった。言葉が出ない。決してこんな人間モドキのカラクリを好きになったということはないが、照れてしまった以上、下手に言葉をかけるのが恥ずかしいかった。なんでもいいから何か言ってくれればこの奇妙な拮抗状態を抜け出せるのだが、喋って欲しいときに限ってカノンは瞬き一つせずにこちらを見てくるのだ。
 数分は沈黙の時間が続いただろうか。口を開けば人のことを発情した狼扱いしてくるが、黙っているカノンはやはり可愛いく思えた。しばし人形のようなカノンを無言で見詰め合っていたかったのだが、我を忘れた思考も段々とクールになっていき、あることに気付いてしまった。
 ……投げ飛ばされて気絶したのは深夜。ついさきほど目覚めて、今は早朝だ。体が芯から冷えて歯がガチガチと鳴っている。けれど、そんなことは対した問題ではない。
 一番の問題は…………カノンが白くきめ細かな肌を晒していること。つまりはいまだに服を着ていないことだ。か弱い少女の姿をしたその体は依然、肩から細い腹部さらには臀部まで全て露わとなっていた。よく見るとご丁寧にへそやうなじ、鎖骨でさえ綺麗に作り込まれている。人間でいう尾てい骨がある場所から、シッポのような何かはぴょろりと生えていた。普通ならばいますぐにでもしゃがみ込み、両腕で体を隠すのだが、彼女は一切恥らう様子もなければ隠そうと努力する様子もない。残念なくらい平然としてシュトラフのことを覗いていた。
 シュトラフは酷く冷めた様子で口を開いた。
「……本当に全く恥ずかしがらないんだな」
 カノンは刹那、邪悪な笑みをニヤリと浮かべるも、すぐに無愛想で硬い表情へ切り替えて流暢に答えた。
「あら? もし恥ずかしがったらシュトラフ様は平気でしょうか? きっと衝動的な欲求に理性が負けてしまうでしょう。綺麗で可愛いというのは罪なものですね。イドをエゴで抑えられない哀れな野蛮人を生み出してしまうのですから」
 口を開けばすぐこれだ。確実に舐められている。……せっかく流暢に喋る【慧来具】なのだから、こんな生意気でうざい奴じゃなくて、素直で健気であってほしかった。
「……こんなに馬鹿にされたのは初めてだぜ。無性に腹が立つ。カノン、お前はどうすれば俺を馬鹿にしなくなるんだ?」
「申し訳ございません。答えが見つかりませんでした」
 馬鹿にしないのが不可能だと言いたいのか。あまりにも理不尽……というか失礼だ。シュトラフは呆れ混じりの溜め息をついた。
「ははっ。なら誰に聞けばいんだよ」
「自分の胸に聞いてみるのはどうです? ワタシにときめいて無駄に脈動する心臓に。それかあなたのお仲間さんに聞いてみてはどうです? 昨夜ワタシのパーツを運んでいた少女とか、銀の食器を慎重に運んでいた部下達とかにでも」
 部下達という言葉を耳にしたシュトラフはあることを思い出し、大慌てで立ち上がった。
「……ヤバイ! まずいぞ。もうすぐ金をばら撒き終える時間じゃねえか。皆が戻ってくる! ……この状況を見られたら間違いなく勘違いされる」
 急いでカノンに最低限の服を着せなければ、いくら【慧来具】といえど少女の見た目をしているのだ。全裸の状態で話をさせているところを見られたらどう思われるかは想像もしたくない。
 シュトラフはすぐに起き上がると、近くにあった古臭い木製棚を片っ端から開けて服を探した。が、彼女に着せられるようなものは存在しなかった。そもそも服のほとんどがこの拠点には無い上に、僅かに存在する服も野郎が着ていた泥に汚れたもので、酷い悪臭がするのだ。だからカノンは全裸だったのかもしれない。だが無理矢理にでも着せてしまえば誤解はされないだろう。
 しかし、下手な服を着せればまた野蛮人扱いされるに違いない。ここはきちんとした服を着せ、少しは良いところを見せるべきだ。
「……もっと女の子らしい服はないのか? くそっ!!」
 悪態を付いて部屋中探し回るも洗っていない男用の服しか見つからない。これ以上とやかく言われないためにも、カノンの前では可能な限り格好良く、紳士的な立ち振る舞いをしていたかったが、恥じるべきことにそんな余裕はなかった。思考を巡らせ何か無いかと考えながら部屋を右往左往していると、カノンは見かねて助言を与えた。
「その男の服を着せたくないのであれば、ワタシのパーツを運んでくれた少女にお願いするなり、他の誰かに直接頼んではいかがでしょうか? 正直な話、ワタシもそれは着たくありません。臭いです」
「そうだそれだ!! フェイは男装してるから、酒場のウェイトレスに頼もう! ナイスアイディアだぜ! この部屋で待っててくれ。すぐに服を取ってくるからよ」
 シュトラフは善は急げとばかりに部屋を飛び出していった。一人残されたカノンは開けっ放しの扉を閉めると、近くの椅子に腰を下ろし、機械的な声で一人呟いた。
「【致命的なエラー】あの男に対しての模範的な対応が不明です。前の所有者とはだいぶ違うようです」