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 部下達が乱雑に金品を取っていくなか、シュトラフは一人態度を一変させ紳士的な素振りで家主フリードリヒに一礼した。
「フリードリヒさんよぉ。お前が【慧来具】持ってるって話を聞いたんだが……もしおとなしくそれをくれるなら盗む量を減らすかどうかを考えてやらなくもないぜ?」
 まぁ考えたとしても実際に減らすかは別の話だが。今もこうしてる間に団員達は金目のものを強奪している。いつ盗ったのかはわからないが、カノンの握り拳から金のチェーンがちらりと見えた。懐中時計かなにかだろうか。
「……あんまり考える時間はなさそうだぜ」
「わ、わかった! 教えるから慈悲を!! ……ワインセラーに隠し扉がある。その奥だ」
「嘘は……ついてなさそうだな」
 フリードリヒは観念した様子で、使用人の一人である執事に小さな鍵を渡した。
「お前ら、あらかた物を盗ったら大声で呼んでくれ」
「了解っす」「了解しました」
「さぁフリードリヒ……の執事さんよ。案内してもらおうか」
 シュトラフは愉快そうにくるくると銃を回した。カノンはその様子を見て真似でもしたくなったのか、頭部を外すと、人差し指に乗せて回して見せた。不気味だがそろそろ慣れてきてしまったのか、嫌悪感などは湧かない。フリードリヒ達は戦慄していたが。
 そんな二人を案内することになった執事は顔を蒼白させて、両手をあげながらワインセラーまでシュトラフを案内した。足音を響かせながら地下へと下り、大きな扉を開ける。その部屋は石煉瓦で造られていて、いくつも棚が並び、ワインが隙間無く置かれていた。紛れも無くワインセラーだろう。
 執事が数ある棚の一つを慎重にどかし、棚の背にあった石煉瓦の壁に手を触れると、驚くべきことにペラリと小さな音がして、壁の一部はたやすくめくれた。棚の背にあったと思われた石煉瓦の壁は壁ではなかったのだ。本物と区別が付かないほど精密に、正確に石煉瓦の壁を描いた紙が奥への道を隠していたのだ。
 紙はざらざらとした洋皮紙ではなく、触るとまるで金属のように冷たく滑らかだった。手で引き裂いてやろうと手に力を込めても決して破れることのない頑丈な紙。制紙技術も発展途上で紙がまだ安くないこの国で造れる代物ではない。紛れも無く【慧来具】だ。執事はすたすたと隠された道の奥を進み、金属で補強された頑強な扉に鍵を差し込んだ。
「……あの紙はこのカラクリが作った物です」
 執事は淡々と口を開くと、部屋の奥に置かれた全体的に四角い機械を指指した。シュトラフは猫のように好奇心に満ち溢れた瞳でその【慧来具】を見詰めると、真っ先に触れて見せた。冷たくもなければ熱くもない。金属とはまた別の何かで形造られたそれは、強めに叩いてもびくともしない頑強な物だった。
 複雑に入り組んでおり、開閉する蓋のような部位や紐のような部位などがあるのだが、一体これをどうすればあんな素晴らしい紙を造れるのかが分からない。スイッチのような物がいくつもあるのだが、機能を説明する文章の言語が違い分からない。文章の下にある点々の突起も意味不明だ。
「おい、これはどうやって使うんだ」
 シュトラフはしばらく熟考したが、分からないことが分かったという情けない結論に至り、露骨に苛立ちを示しながら執事に尋ねた。しかし答えたのはカノンだった。
「ワタシは心優しく高性能ですからね。無知なシュトラフ様に『特別に』お教え致しましょう」
 特別に、という台詞だけ異様に強調しながらも淡々と説明をし始める。
「それは【軍事用3Dプリンター】の一種です。2351年に発売。当時のお値段は9000$ほどです。こちらの世界ではおおよそ金貨90枚ほどでしょうか」
 随分と高価だが、あんな上質の紙……のような金属? を造れるのだったら妥当な値段だろうか。そんなことを考えていると、カノンは大丈夫ですかと言わんばかりにシュトラフに顔を近付け凝視した。
 ふわりと甘い香りが嗅覚を刺激し、シュトラフは我に返る。眼前にはまるで人形のように整った童顔が写り込んでいた。耳は寒さのためか微かに赤くなっている。底の見えない蒼い瞳と目があったときシュトラフは慌てて数歩後退した。危うく転倒するところをなんとか持ちこたえ、しどろもどろしながら口を開いた。
「いきなり顔を近付けられたらビビるだろ」
「正直になられたらどうです? ビビるのではなく照れるのではありませんか? 正直になれないのも照れてるからなんじゃないですか? これでワタシが14勝2敗なんじゃないですか?」
「カノンは本当にウザイな。それで? なんでいきなり顔を近付けたんだ? 俺の顔が素晴らしいから間近で見たくなっちゃったのか? 正直に言ってみたらどうだ?」
「ワタシが顔を覗いていたのはシュトラフ様が思考にふけって説明の続きを聞き逃さないために我に返させただけでございます」
「……普通に声を掛ければ良かったんじゃ」
 シュトラフの発言を、カノンは軽く無視して【軍事用3Dプリンター】なる物の操作説明をし始めた。
「この機械は設計図があれば立体的な物を、材質は限定されますが簡単に造ることができます。普通のプリンターとしても使うことが可能です。備え付けにカメラもありますし、物は試しですね」
 カノンがプリンターなる物に付属していた黒い物体をいじると、パシャリという独自の音が鳴ると共に閃光が何度もほとばしった。その数秒後、【軍事用3Dプリンター】から何枚もの絵がすらすらと作られ、地面に落ちた。
「おぉ! カノンの絵がこんなに!」
 絵にはカノンが描かれていた。絵の中の彼女は匂いや質感こそは違えどその容姿端麗な姿はそのままだ。喋らない分むしろこっちのほうが愛らしく思える。シュトラフはまじまじとその絵を眺めていると、カノンが顔を隠すように俯いた。
「あまりジロジロとワタシを見ないで貰えますか? 絵であろうと同じです。その絵は現実の光景を一寸の狂いもなく再現したものですから、あなたがその絵の腿(もも)を凝視することは現実のワタシを舐め回すような目で見ているのと同じです。えぇ間違いなく」
「照れてるのか?」
「現実ではワタシへの恋情は叶わぬからと、絵に逃げているように見えて滝のような涙が出そうなほど憐れんでるだけです」
「その言い方だとまるで俺がカノンに恋してるみたいじゃあないか」
「違うのですか? もし告白されたらすぐさま返事の蹴りを返せるように脚に力を込めて準備しておりますよ?」
「残念だがそれは無駄足だな。蹴りだけに。お前なんかに告白する気持は全くない。自意識過剰なんじゃないか? ……ところで俺さっき凄い上手い事言わなかったか?」
「上手いことを言ったとしても掘り返して上手いかどうかを尋ねるのはどうなんですか?」
「いや、でも実際上手かっただろ」
「はいはいウマイデス。スゴイデス」
「フハッハッハッハッハッハ!! ソウダロ。ソウダロ!」
 シュトラフは棒読みで褒められたので棒読みで嬉しがりながら、冷静に全ての絵を懐に納める。その数十秒後、上から呼び掛ける声が響いた。
「シュトラフさんー! あらかた回収完了しましたよー!」
「了解だー! んじゃ、家燃やしたら帰るか。どうせ自分の土地に城持ってるだろうし。フリードリヒ様々とかを庭に移動させてくれ! こっちは酒を辺りにぶちまける作業をするから!」
 今回は派手な犯行を行うと決意していたシュトラフは、セラーからワインやら蒸留酒を拝借するなり周囲一帯に垂れ流した。地下室はもちろんのこと、一階の廊下や朝食室、本を盗られて何もかもが無くなった書斎などにも鼻歌混じりにぶちまけていく。赤い液体が果物やらアルコールやらのツンとした香りを漂わせ、絨毯に染み込んでいくのを見て、シュトラフはどうしようもないくらいに恍惚とした。
「あぁ……。こりゃ泣き喚くのを通り越して、釣られて桶に入れられたウナギみたいな顔をするんだろうなぁ。人生詰んだって感じの顔だ。楽しみだと思わないか? カノン」
「ワタシに振らないでください。悪趣味ですね、嫌ではありませんが。それと顔の例えがいまいち理解しかねます。……それに本当に人生詰ませることはしないのでしょう?」
「まぁな。しばらくすればまたプリンとか去勢鶏を食べれるだろ。貴族っていう称号のおかげで土地があるからな。それでもしばらくはひもじいかもしれんが、それは知らん」
「贅沢は素敵から敵になるわけですね」
「そういうこった。……そろそろ酒も充分に染み込んだか。全員庭で待ってるだろうしそろそろ俺らも外に出るか」
「そうですね」
 二人は玄関まで酒を流すとその辺に瓶を投げ捨てた。ガシャンと派手な音が鳴り響くと、フリードリヒは小動物のように驚き怯えた。
「シュトラフさん。それが今回ゲットした【慧来具】ですか?」
 フェイはナイフをしまいながらとてとてとシュトラフの元へ駆け寄った。シュトラフは巨大魚でも釣り上げたかのごとく誇らしげに口を開いた。
「あぁ! なんでも精密な絵を描いた頑丈で滑らかな紙を作成したり、カノンいわく小物なら立体でも作れるらしい。詳しくは拠点に帰って確かめて見ようぜ」
「凄い【慧来具】ですね!」
「だろう? 本当大収穫だぜ」
 シュトラフは仲間達と純粋に喜びを分かち合い笑顔を浮かべていたのだが、ふと視界にフリードリヒが入った直後、その笑顔は加虐的で邪悪な、漆黒の笑みへと変化した。
「収穫祭。って知ってるよなぁ?」
 フリードリヒは喋ることすら畏れ、こくこくと何度も頷いてみせた。
「祭の最後を盛り上げる方法ってなんだと思う」
「…………わからん」
「なら答えを見せてやるぜ」
「えっ……?」
 直後、シュトラフは銃口を地面に向け、躊躇なく引き金を引いた。銃口から激しい炎が噴出したと思うと炎は揺らめきながら酒の道しるべによって豪邸へと向かっていく。誰ももう止めることはできなかったし、しようとはしなかった。炎が荘厳な造りをした玄関まで伸びた直後、弾丸が爆ぜる音よりも巨大な爆発音と熱が、ビリビリと痺れるような波が空気を通して伝わった。炎は轟々と凄まじい音を上げながら、窓を割り、夜闇を眩いほどに照らした。代償として豪邸はどうしようもないほどに燃え朽ちていき、天高くまで黒煙をあげていく。
「あぁ! 家が! 家が! せっかくアドラーに許可を得て建てたのに!!」
 家主であるフリードリヒは半乱狂で泣き叫んだ。その様子を見たシュトラフはこの場にいる誰よりも邪悪な笑みを浮かべた。
「フハッハッハッハッハッ!! お前らはこれで貧乏人の気持ちがわかるだろうなぁ! それでも金貨はまだ充分なくらい残してあるんだ。これからはプリンやら去勢鶏やらは自重して、黒パンでも齧るんだな。ふわふわの小麦のパンと違って固いぜ。歯を折らないようになッ! さぁ帰るぞお前ら!!」
「了解っす」
 シュトラフ達は【慧来具】と多大な財宝の強奪に見事成功した。今頃、数百メートル離れても分かるほど盛大に燃え上がる炎のもとに夜警達はようやく集まっているだろう。
 シュトラフはご機嫌に鼻歌を歌い、【軍事用3Dプリンター】をがらがらと押しながらカノンに話しかけた。
「どうだった? いい思い出になってくれたか? 今回は久々に相当派手な犯行だったぜ」
「あなた達の普段の強盗がどのようなものなのか、まだ確実には分かりませんが、なかなか記憶に残る出来事でした。……一番深い思い出を刻んだのは、間違いなくフリードリヒ本人でしょうけど」
 カノンは改めて炎をジッと見詰めた。
「ははっ違いねえ。フハッハッハッハッハッハ!」
 シュトラフが盛大に馬鹿笑いするなか、カノンは小さな歩幅で歩み寄り、シュトラフの正面に立った。そしてジッとこちらを見詰め、微動だにもしなくなったかと思うと、不意に柔らかに微笑んだ。
「ワタシも決して忘れはしません。この記憶だけは忘れぬよう、しっかりとロックをかけました。えぇ……この馬鹿みたいに非常識な出来事を体験させてくださったことに対する最も適切な対応を今さきほどまで考えていましたが、浮かびました。…………ありがとう」
 抑揚のない声から一転し、その瞬間だけは年頃の少女のようなあどけない声を発し、純粋で柔らかな笑顔を浮かべた。
 ――――風が吹いていた。本当なら寒く、痛みすら伴うはずの風が心地よい涼しい風に感じれた。
 カノンが可愛いということは分かっている。髪は甘い香りがするし、肌はすべすべで柔らかそうで、顔も幼さが残っているが整っている。シッポだって小動物みたいで可愛らしい。それでも残念過ぎることに性格が捻れ曲がっていて、その点に関しては可愛くもなんともなかった。
 だからどうせ、こちらのリアクションを面白がるために自分が可愛いことを利用しているのだ。そうに違いない。そうでなければ困る。相変わらずズルイ奴だ。そう何度も言い聞かせないと体の緊張が取れそうになかった。……理解してしまったのだ。カノンが発した『ありがとう』という言葉と、添えられた笑顔はいままでのとは雰囲気が違った。人を嘲る様子もない……純粋たる仕草だったということを。
「…………どうされましたか? シュトラフ様」
「あ、いや! なんでもない。なんでもないぜ!! フハッハッハッハ!」
 シュトラフは自らを落ち着かせるために大袈裟に笑った。そうでもしなければ、直視できずに初心な少年のごとく顔を背けるほかなかった。それでもやはり、緊張と突然の不意打ちに高鳴る心臓は冷や汗のようなものを作り出し、馬鹿みたいに顔を強張らせてしまったかもしれない。
  ――――あぁ、負けたななんて思った。