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 夏休みも後半に迫った八月中旬。今年も異常気象で日本全国が猛暑だと新幹線の電光掲示板は告げていた。 
「おい春樹〈はるき〉、お前の番だぞ」
 三人用の座席から通路に頭を出していた春樹に、真ん中の席に座る隆二が声をかける。
「気分でも悪いのか?」
 窓側の席にいる健吾〈けんご〉が心配そうに春樹を見ていた。
「あ、ごめん」
「ほら、今、二枚出しの階段縛りでスペードとダイヤの6以外は出せないぞ」
「じゃあ、これで」
 春樹は座席のテーブルに置かれた自分の手札をさっと確認し、ダイヤの6とジョーカーを出した。
「は? お前がジョーカー持ってたのかよ!?」
「隆二、声が大きい」
「す、すまん」
「ほら次は健吾だぞ」
「僕はパスだね」
「じゃあ、流して、革命っと」
「はぁ~!? おまっ!」
「隆二、声」
 春樹に注意され、隆二は自ら立てていた作戦が無になった怒りを抑える。言うまでもないだろうが、革命とは大富豪のルールで、2が一番大きい数字で3が一番小さい数字となる通常のルールを反転し、2を一番小さくしてしまう。
「革命返しできる人?」
 盤面に出された数字は7が四枚。革命返しをするには、革命に必要な同じ数字を四枚手持ちにあり、かつ六以下の数字が必要だった。だが、現時点で3以外のすべての数字が一枚以上あり、スペードとダイヤの4から先ほど出したダイヤの6とジョーカーは見えている。春樹の手札は残り三枚。すでに勝ちを確信していた。
 すると、健吾は左手の手札からカードを四枚、右手で引き抜いた。
「じゃあ、革命返しさせてもらうよ」
 そう言って、彼が出したのは3のカードを四枚。
「嘘……だろ?」
「よし、健吾ナイス!」
 健吾は嬉しそうに笑みを浮かべた。そして、革命返しを聞くまでもないため、その場を流した。通常通りのルールに戻った大富豪が健吾の手番で再開される。
「よし、じゃあ10を二枚」
「おし、俺は13を二枚出しじゃ!」
「え?」
 隆二がKと書かれたカードを二枚出した瞬間、健吾の笑みが一瞬で崩れる。
「りゅ、隆二。お前、富豪だろ?」
 現在の隆二の手札は八枚。健吾は五枚。
「だって、これ以外の数字、強いの二枚持ってねぇし。それに春樹の手札じゃ二枚出しなんてできないだろ」
「だ、そうだ。あきらめたまえ、貧民の健吾君」
「まて、まだ2は三枚出ていない。俺の分は隆二に一枚上げて持ってない。そして隆二はKより上のカードを二枚以上持ってない。ということは」
「そういうことだ」
 春樹は自分の手札から2を二枚出す。そして何も聞かずに場を流して――
「というわけで上がりだな」
 残りの1枚であるクローバーの4を置いた。
「ぐわー都落ちだ!」
 隆二は、手札を持ちながら悔しそうに両手で顔を隠した。だが勝者である春樹は微塵も喜びはなかった。再び、新幹線の電子掲示板を見つめていた。健吾は春樹のそんな様子を心配そうに見つめていた。
「春樹――」
 健吾が何かを言おうとした時だった。新幹線内に木琴で奏でられたような音が鳴り響く。
『まもなく京都につきます』

 男子三人組が重たそうな荷物を持ちながら京都駅を降りる。そのままホームの階段へ向かうと、そこにはスーツケースを椅子代わりに座る同い年くらいの女子二人とその女子から荷物持ちにされている中年のおっさん一人が待っていた。
「あ、先生、男子組来ましたよ」
「おお、よかったよかった。迷子になったかと思ったよ」
 ロングヘアーにノースリーブのワンピースを着た静香〈しずか〉と先生は一安心したのか胸からそっとなでおろす。
「男子おっそーい!」
 ショートヘアーで活発そうな半袖短パンの美咲〈みさき〉が頬を膨らませながら怒る。すると、隆二がミサキの前に出る。
「うるせえ、お前たちのほうが階段に近かったんだから待つのは当然だろ」
「だってこれは先生が座席の予約を忘れたのが原因じゃん。それに男子のほうが体力あるんだし、当たり前でしょ」
「んだとっ!?」
 いきなり、場の空気が凍り付く。先生は咄嗟に二人の間に割り込んだ。
「こらお前ら、こんなところまで喧嘩するなよ」
「うるせぇ! 悪いのはこいつだろ!?」
「ほんと、あんたはいつでも野蛮ね! 反吐が出るわ」
 隆二と美咲は犬猿の仲だ。美咲は思ったことをすぐ口にしてしまう癖があり、隆二は他人に差別されることが嫌いだった。健吾はこの不穏な空気を換えようとその場で考えた。静香は怖がって、スーツケースに隠れてしまう。その様子に春樹は今にも喧嘩しそうな二人の後ろで両手を強く合わせて、注意を向けさせた。
「お前ら、先生もその件は最初に謝ったろ。何しに京都に来たのか忘れたか?」
「そうだったな。今回は春樹に免じて許すわ」
「そうね。私もいいすぎたわ。ごめん」
 春樹の仲裁のおかげでことが起きずに済んだ。すると、春樹は後ろにいた健吾の方へ振りかえる。
「ごめんな、健吾。あんまりこういうことは言いたくなかったんだけどな」
「いいよ。俺のためにみんなでこんな企画を考えてくれただけでも嬉しいから」
「そうか、ならこれからめっちゃ楽しもうな」
 春樹は笑顔でそう言った。
「ああ、みんなもありがとうな」
「別にどうってことはねぇさ。レッケン最後の部長の門出を祝うって時に喧嘩してごめんな」
 レッケンとは彼らが所属している歴史研究部の略称である。部員は彼ら五人のみで、顧問も先生一人。健吾が部長で、彼の幼馴染である春樹が副部長をしている。活動内容は歴史研究という名目で色んな所へ旅行するか、部室として利用している会議室で自由に遊んでるくらいだった。
「門出って程じゃないんだけどね」
 健吾は恥ずかしそうに言った。
「よし、一通り終わったみたいだしそろそろ行こうか」
 先生がそう言い、一同は京都駅を出た。

 一同は京都駅であらかじめ予約を取っていたファミリーカータイプのタクシーに乗車した。一行はそのまま金閣寺や京都御所などの観光地を巡る。そして夕刻が近づく頃に、清水寺へ向かう。
 座席は前の席に先生、真ん中の列に左から健吾、春樹、隆二、後部座席は左から美咲、静香となっている。
 春樹は観光地では普段と変わらず部員たちとだいぶ燥いでいた。だが、タクシーに乗ると春樹は終始窓辺で黄昏るように、通り過ぎる京都の街並みを眺めていた。健吾はそんな彼の様子を気にしていた。
「今にしてみれば、私たちの出会いってなんかすごかったよね。一年の時、私たちの担任だった先生が帰宅部の私たちに『青春しようぜ』とか言ってきたんだっけ」
 と美咲が話し始める。
「そうだな。あんときは別に帰っても親とかが面倒だったし、進学になんかしらプラスになればな程度の考えだったからな」
 と隆二。
「でも、春樹くんと健吾くんは意外だったよね。二人ともスポーツ神経がいいのにどこの部活も入らなかったから」
 と静香。
「うんうん。でも、うちの学校は運動部は強くないからな。てっきりどこかのクラブとかでやるのかなって思ってたんだがな」
 と先生。
「別に俺たちは塾とかあって、部活はいいかなって思ってたほうなので」
「塾ない日とかは健吾の家でゲームとか、俺んちの猫なでたりとか。テスト期間とか塾の帰りでも俺んちに入り浸ってたよな」
 春樹がそういうと、健吾は顔を真っ赤になる。
「ばかっ! それは言わない約束」
「へ~、健吾君てそんな可愛らしいとこあるんだ」
「静香さん、これは違っ!? くっ、卑怯だぞ春樹」
 あからさまに動揺している健吾を見て春樹は爆笑していた。
「わりい、でも、みんな知りたがってたからさ」
「え?」
 春樹の言葉に唖然とする健吾。
「そりゃあ、この前のテスト期間中に、二人して制服にあれだけ猫の毛を付けてきたら、どっちかの家で猫飼ってんだっておもうよな」
「私は一年の時に春樹君の制服に同じ色の毛がついてたところを見てたからね。春樹くんちで勉強でもしてたのかなって」
「で、副部長に問いただしたら、京都で教えるっていうからさ。別に、それが理由でここまで来たんじゃないからね」
 三人の答えに健吾は驚きを隠せなかった。
「バレてたのか」
 健吾は両手で顔を隠した。一同は声を出して笑うが、春樹はまた外を眺め始める。
「お客さん、今日は観光かい?」
 みんなが楽しそうに会話していたからか、細目の運転手が混ぜてもらいたいくらいの勢いで尋ねる。
「部長のお別れ会と称して観光です」
 美咲がそう答えると運転手が意外そうな顔をしていた。
「そうかい、それは珍しい」
 運転手はにこやかな顔で言う。
「部長というのはどの子かな」
「あ、俺です」
「ああ、真ん中の君かい。いい友達を持ったね」
「はい。それだけはこれから先も遠くへ行っても、自慢できると思っています」
 健吾の言葉に細目の運転手は、大人びた発言にあっけを取られたのか両目を大きく見開いた。
「そうかい。なら、おじさんからも一つ君に言葉を贈ろう。遠くへ行っても、空はつながっている。とね」
 運転手の言葉に、春樹は運転手を見た。その顔は、何かを思い詰めていた様子だった。
「失礼を承知で聞きますが、運転手のおじさんにも、そんな思い出があったんですか?」
「春樹……?」
 突然の春樹の行動に一同は驚く。特に、健吾が一番驚いていた。
「あるよ。こういう仕事しているとね、色んな人に会うんだ。外国の人から君みたいな学生とかね。私にとっては、そういう人たちがまたいつか来てくれたらなって思ってるんだ。そう思うとまた会えそうな気がするからね」
「そう、ですか。すいません、ありがとうございます」
「いやいや。君も、何か言いたいことがあるなら、ぜひ行ってみなさい。それこそここの舞台から飛び降りる覚悟でね」
 運転手がそういうと、そこは清水寺の駐車場だった。
「さて、お客さん、着いたよ」
「すいません、ありがとうございました」
 春樹はそう言って、真っ先に車を降り、坂道を駆け上った。
「ちょっ!? 春樹!?」
 一同も急いで降りて、彼を追いかけた。まだ客も大勢おり、一人で先に行く春樹は人込みを縫うように移動しているが、後を追う組はそういうわけにもいかなかった。
「いきなりどうしたのよ、あいつ」
「朝の時から調子がおかしかったけど」
「まさか俺のせいか!? あいつが考えた計画をいきなり崩した」
「先生、今はそんなことを言っている場合じゃ」
 すると健吾は、立ち止まる。
「健吾どうした」
「皆、聞いてほしいことがある」
 健吾は真剣な表情でみんなを見た。
「春樹は皆に言えなかったことがあるんだ」
「ちょっと、まさかそれであんな行動をとったっていうの?」
「ああ。前々から言おうとして言い出せなかったからな」
「それで、その話って?」
「ああ、それは――」
 健吾の口から言われた言葉に一同は沈黙した。
 
 清水寺は丁度改修工事をしており、清水の舞台から景色を一望するには残念な気がしていた。一同は藤が植えられた休憩所にいた春樹のもとへ駆け寄る。
「ごめん、みんな」
「別に謝ることはないだろ」
 隆二は声をかける。
「あんたが思い詰めていたことぐらいわかってたわよ」
 美咲は優しい声で言う。
「春樹君、何を思い詰めてたのか教えて?」
 静香は彼の肩を押した。
「うん。おれ、俺も今回の旅行を期に引っ越すことになったんだ。母親の再婚ってやつ」
 春樹がそういうと一同は静かに聞いていた。
「でもさ、その相手が健吾の親父だったんだ。お互いに独り身だったし、幼稚園の時からの知り合いだったし。俺はうれしかったんだ。でもさ、皆にとってはなんか気持ち悪いだろ。知り合い同士の親が結婚するなんてさ。みんなが知ったら、避けられるんだろうなって思って。言えなかったんだ」
 春樹がそういうと、先に隆二が彼の頭に右手を乗せる。
「そんなことあるか。どんなことがあろうと、俺たちはお前を見捨てたりしない」
「そうよ、あんたがいなくなることを聞いて驚いたけど、あんた自身がよければそれで」
「うん、私もそう思うよ。」
 皆の言葉に春樹は涙をこぼす。すると、健吾は彼の前に出て手を差し出す。
「これからはよろしくな、兄貴」
 春樹はその手を握り返した。