本日の京都の天気は予報通りの大雨。土砂降り。警報発令。続いて避難勧告発令。
「まるで今のあたしの心みたいだ……なんてね?」
「ふざけてないですることないなら荷物でもまとめててくれない?」
宿泊したホテルの一室、窓際に座って赤い前髪を払いキザぶっている真の言葉にそっけなく返事しながら、勝夜は狂ってしまった予定表とにらめっこしていた。参ったな、多少の雨なら想定済みで、雨天でも参拝しやすそうなルートを調べてきていたのに、まさかその予想を上回ってくるなんて。警報が出るなんて流石に予想外だった。
気温は昨日とは比べ物にならないほど下がり、朝から冷房も切ってしまった。結露した窓の傍はやはり少し冷えたのか、真は荷物の中からフルジップのパーカーを引っ張り出して肩に引っかけている。
「カツヤはなんというか……意外と融通が利かないというか、予定通りに事が進まないと納得できないタイプなんだなあ」
「……まあね。頑固者って、よく言われるよ」
「頑固者……ねえ……」
というよりは、昔からスポーツ一筋に生きてきたものだから、トレーニングのスケジュール遵守、分刻みの予定時間厳守の生活に身体が慣れきっているのだろう。だから、咄嗟の予定変更とか、予測不能の事態に弱かったりする。せっかく京都まで観光に来たのに、ホテルで過ごして一日無駄にするなんて馬鹿な真似はしたくない。帰りの新幹線だって準備済みなのだ。時間は無駄にできない。
「くそ……警報っていつ解除されるんだよ」
「あー、昼には大丈夫なんじゃないか?」
カリカリしている勝夜にそう答えれば、「なんだよ」と初めて真の方を向いた。
「神様ってそんなことも分かんの」
「!」
ようやく自分の方に興味を示してくれたことが嬉しくて仕方ないらしい。真は「ぱああ」という効果音が聞こえてきそうなほど瞳を輝かせ、
「まあな、あたしほどになれば、この先数時間の天気なんて手に取るように分かるぜ。どこの天気予報士よりも、アメダスよりも正確に把握してみせようじゃないか」
よっぽど有頂天らしく、ひとりでぺらぺらと喋りだした彼女――真は、先程述べた通り人間ではない。『元』神様だ。
正式名称は赤鳥真姫(アカキチョウノマコトヒメ)という。勝夜の生まれた家である赤鳥神社に祀られていた、赤鳥山の守り神。今様の姿を成して世に現る、本来ならば八の刀剣を携えた女神様だ。
――の筈なのだが、先日の勝夜と赤鳥家との戦いに勝夜側として加担し、あろうことかその神としての力のほとんどを勝夜に譲渡してしまった。神としての役職も投げ捨て、己の力の源でもある信仰心の供給まで絶ったその結果、今は受肉して人間と同じ生活を営むことになってしまっている。
「ようし、今日一日の天気は概ねわかったぞ」
しかしこのように、簡単な力ならまだ使えるようで、今は勝夜の目覚ましやらストップウォッチやらWi-Fiやら天気予報やらなどの便利グッズ扱いだ。
「なあ、勝夜、私はただでは教えないぞ――解っているだろう?」
まあ、見返りを求めてはくるのだけど。
勝夜は椅子を引いて立ち上がると、窓際でニヨニヨと笑っている真に歩み寄り、そのまま頬に手を添えた。唇を重ねる。最初は仲睦まじい幼子のように柔らかに――だんだん恋人のように深く――最後は、互いの呼気を奪い合う獣のように。
は、と短い息を吐き、くっつけ合っていた熱同士が、互いに熱を持ったまま離れていった。口の端を流れる唾液を袖で乱雑にぬぐい取りながら、真は勝夜を見上げる。赤いふたつの瞳が、爛々と輝いていた。
「昼から雨はだんだん小降りになるよ。一時過ぎには完全に止んで、曇になるだろう。警報はその頃には解除されてる。それでスケジュールを組みなおせばいい」
「……そう。ありがとう」
彼女は受肉によって大幅に力を落とした。神が「堕ちる」と「妖怪」になるらしい。そしてそれは、勝夜が生まれながらに有する「妖怪を使役する能力」によって確認済みだ。全ての妖怪を従える能力者「妖子」――真は今、その使い魔の一人にすぎない。だから、人の身を維持するためには、自身の仕える主である勝夜にこうしてときどき妖力を分けてもらう必要があった。
「じゃ、予定立て直せたら呼んでくれ。あたしはしばらく寝る」
こうしてよく休息をとっているのも、肉体維持のためだと聞いた。ベッドの上に飛び移ると横になってすぐに寝息を立て始めた真を横目に、勝夜は「さて」と机に向き直った。
京都に来たのは彼女の意向だ。どうせ無計画な彼女は何も考えていないのだから――せっかく雨が上がることも分かっているのだし、最初に行くなら、あそこにしよう。
※ ※ ※
訪れたのは、真の来たがっていた伏見稲荷大社だった。「千本鳥居って言ってな! こう、鳥居がぶあーーーっと並んでるんだ! あたしが祀られてた神社じゃ山のふもとから数えても六つしかないのに!」と興奮気味にホームページを見せてきた真のテンションは、まるで小学生が金持ちの友達の家を訪れるときのそれっぽかった。
「でもよそ様の神社に入っていいもんなの?」
「あたしはもう神様じゃないもん。ほぼ妖怪だもん」
「余計不安なんだけど……」
「いーの、京都と言えば神様にも手に負えないような妖怪がごろごろいるって聞くもん。そんなところに、妖怪なら何でも意のままに操れちゃう勝夜が来てみ? むしろ大歓迎されるんじゃないかね!」
「ええー」
あのときは相変わらず適当なんだからと溜息をついたが、真が能天気を発揮した通り、伏見稲荷に入っても二人には何も起こらなかった。ほらね、とウインクをする真に若干の苛立ちを覚えながらも、まあ何もないなら確かにそれが一番だと開き直ることにした。
……のだが。
「お兄ちゃん!」
確かに何の問題もなかったのだ。他の神様など、手の付けられない妖怪など、は。
真の念願である千本鳥居、その所狭しと並ぶ鳥居のせいで赤く染められた空間に、よく映える白く長い髪をふわふわと揺らしながら、追いかけてくる制服姿の少女。いつのまにか、観光客にあふれていた千本鳥居の中には誰もいなくなっていた。走っても走っても、千本鳥居の道が終わらない。おそらく、既に結界の中だ。勝夜を兄と呼ぶ彼女――赤鳥朝姫(あさき)の。
「ああ、お兄ちゃん! まさか修学旅行中に……こんなところで会えるなんて!」
朝姫は、かつて真の祀られていた赤鳥神社の、その神主を代々務める家の一人娘。そして、勝夜の腹違いの妹。
「ねえ、待ってよ、お兄ちゃん! 今度こそ……」
彼女の使命は
「一緒に、お家に帰ろう!」
「妖子」の力を持つ勝夜と、家から抜け出した神・赤鳥真姫を連れ帰ること――。
朝姫が胸の前で指を組むと、彼女の足元から二体の武者が地面を破って這い出した。
「式神……!」
目を見開く二人に、武者が突進するように向かってきた。一人一体ずつのようだ。
朝姫は呪術の天才だ。彼女の式神の強さには、かつて何度も追い詰められている。真が赤鳥家に力を貸すのをやめたせいで一時は無力化に至ったが、朝姫の才能は神の不在をものともしない。あの頃に比べたら弱くなっただろうが、それは真とて同じこと――
「……って、思ってたんでしょ、どうせ!」
唾を飛ばすような大声の後、空気を切るような一閃。二体のうち、真に向かっていった方が頭から真っ二つに裂け、白い蒸気を上げて姿を消した。否、そこにひらりと舞い落ちたのは、人型に切られた白い紙。式神の正体だ。仰々しい鎧を付けていたって、所詮はただの紙。それさえ分かっていれば、簡単に『切れる』。
蒸気が晴れれば、そこに立っていた真の手には、紫の炎を纏った薙刀が握られている。
「残念だったね――あたしは確かにありとあらゆる権能を失ったけど、もともと持って生まれた伝承(アイデンティティ)だけはこの通りなんだわ」
ま、もう八本同時に顕現させるなんてのは出来ないけどね、と舌を出す。それを見た朝姫が露骨に顔をしかめたので、真はしてやったりと口角を上げた。
「いいの――ならばあなたは後に回すだけ!」
残った方の武者が勝夜に猛スピードで飛びかかった。紙一重で躱すが、攻撃をはずした後の武者のリカバリーが想像以上に早く、勝夜は攻撃を避けきれない。
「っ――!」
「させるか!」
ギィン、と火花が散る。真が背後から武者の刀を弾き飛ばしたのだ。
武者が振り返ると同時に身を捻って追撃、武者の首を跳ね飛ばす。そうすれば、後に残るのはただの紙一枚。
「先に行け!」
「っでも、マコト、今の力じゃ……」
「いいから! お前は足の速さと体力に身体能力極振りの逃亡特化人間なんだから。ここにいられちゃ足手まといだっつってんの! 結界は無限じゃない、走り続ければ必ず切れ目がある! それに――」
真が薙刀から手を離し手首で回せば、次にぱしっと手に取った時にはそれは緑の炎を纏った小太刀に様変わりしていた。そのまま両手に持ち替えブンッと勢いよく振り回せば、周囲で「スパッ」と子気味のよい音が十ほど聞こえ、真の足元にぶつ切りにされた赤い蛇がばらばらと転がる。それらは地面につくと同時にジュウと蒸気を吐いて、やがてただの白い紙きれになった。
「くっ……」
朝姫が悔しそうに声を上げる。
「この通り、力が落ちたところで、あたしは式神なんぞに遅れは取らないよ」
「……分かった。けど、くれぐれも無理はしないで」
「ああ、カツヤもな、気を付けて進みなよ」
勝夜が振り返って走り出す。一段とばしに三歩ほど進んだところで、朝姫が口を開いた。
「そうだね……」
相変わらず、我が妹ながら綺麗な、鈴の音のような声だ。
「――濡れた石段は滑りやすいから」
「転んで怪我しないよう、気を付けてね、お兄ちゃん」
「は?」
背後で真が首を傾げたのが分かったが、勝夜は振り返らなかった。真の何言ってんだあんた、という質問を最後に、勝夜はそれ以上二人の声を聞きとれなくなった。聞き取れない場所まで、駆け抜けたのだ。一気に。そしてそのまま、千本鳥居の結界を抜ける。
勝夜が逃げ延びたのを確認しながら、真は朝姫に向き直った。
「……あんた、まだカツヤのことが?」
そう問いかける声には、困惑と憐みの念が込められている。朝姫は薄く笑っていた。
「そんなんじゃないですよ。わたし、これでも頑張って忘れようとしてるんですから」
朝姫は勝夜の妹である。しかし、勝夜に命を救われて、実の兄妹と知りながら彼女は恋に落ちた。厳格で暴力的な父と、自分に懸想する低俗な男達と、向けられる女達の嫉妬に囲まれ、人の温かさを知らずに育った哀れな少女。そんな彼女が兄に恋をしたのは、最初に触れた温もりが、あの日、自分のために道路に飛び出して来てくれた勝夜の迸る血液の温度だったから――。
けれども、もう、彼女はとっくに失恋している。勝夜は事故の影響で朝姫を忘れていたし、思い出した時には、「自分の人生を壊した女」と怒り狂い、彼女を憤怒のままに殺そうとしたのだから。あの誤解は解けたものの、勝夜は未だ朝姫と一度もちゃんと向き合っていない。
「お兄ちゃんのことは、もう好きじゃないんです。少なくとも、男の人として見るのはやめました。だって、あんまりにも報われないから。いつまでも固執してたら、もっと素敵な人と出会っても、気付けなくなっちゃうから」
「なるほど賢い選択だ。あんたほどの美少女なら、カツヤよりいい男だってより取り見取りだぜ。それに、実際カツヤはやめといた方がいい。あいつ女の扱いってもんが分かってなさすぎる。基本脳筋で大雑把だから、あんたみたいな繊細な子にはお勧めできない」
「ふふ、知ってます。でもわたし、あなたが思ってるより図太いですよ」
朝姫がころころと笑う。ああ、たしかに、思ってたほど繊細ではなさそうだねと真も笑い返そうとして、その前に朝姫が口を開いた。
「マコトさんも、気を付けてくださいね。濡れた石段は滑りやすいので」
「なに、心配してくれるの? 優しいね」
「ええ。だってあなたは――」
「お兄ちゃんの思い人ですもの、怪我をしたら大変」
「えっ、はあ!?」
真の頬が真っ赤になった。慌てて首を振り後ずさる真の様子に、朝姫は相変わらずにこにこと笑っている。
「ななな、なに言ってんの、あたしとカツヤはただ――のぉっ!?」
次の瞬間、真は足を滑らせその場で派手に転倒した。ガン、と後頭部をぶつけ、眼球に火花が散る。
「な――、は……っ」
「言霊って、ご存知ですか?」
じゃり、と耳元で足音がする。
「もっとも初歩的な呪術のひとつです」
言霊――? ……まさか。
薄れていく意識の中、真は気付いた。ああ、そうか。この女――
「最近では、『フラグ』なんて使い方もあるみたいですね」
――本当に勝夜のことなど、心配なんてしていない。
※ ※ ※
なにが、滑りやすい、だ。
勝夜は階段を駆け上りながら、ふん、と鼻を鳴らす。確かに走りやすいベストな状態の地面かと言われれば程遠いが、朝姫はなんにも分かっちゃいない。六歳から走ることを初めて、十年間、雨の日も風の日も極寒の中も炎天下の下もありとあらゆる環境で走り続けてきたのだ。おまけに数か月前の逃亡生活のおかげでただの陸上選手じゃ絶対走らないような、より特殊な足場も経験してきた。今更濡れた石段ごときに足を滑らせる勝夜ではな――
「本当にそうですか?」
「……は?」
耳元で聞こえた鈴の音のようなそれに気を取られた瞬間、縦長に口を開いた赤い蛇が勝夜の眼前に飛び出してきた。
「!!」
先程真が斬り落としたものよりも少し小さな個体だったが、不意を突くのには十分すぎる迫力だった。思わず仰け反り身を捻るが、足場が滑りやすいということは、身体を支えるための摩擦が普段より働かないということ。
「しまった……!」
ズシャッと嫌な音を立てて、最初に左足のかかとが段差を踏み外した。右足が宙に浮く。咄嗟に目の前の蛇に手を伸ばすが、手に掴んだ瞬間それは煙を上げて紙に戻ってしまう。頭から真っ逆さま――右手に物言わぬ紙切れを握りしめたまま、勝夜は階段を転がり落ちていく。
かろうじて途中で身を捻り頭部へのダメージを最小限に収めたが、ようやく何かにぶつかり止まったときには、全身がボロボロで泥だらけになっていた。
「がっ、ぐ、げほっ……」
「やっぱりすごいね、お兄ちゃん。わたし、今度こそ殺しちゃうかもって覚悟までしてたのに、意識あるんだ」
「!」
口に入った泥を吐き出して噎せた時、頭上から声が降った。自分のぶつかったものが誰かの足だったと気付いた瞬間、背筋が粟立つ。そこに立っていたのは朝姫だった。
「おまえ……っ、マコトは……!」
「あの人なら、この先のちょっと下の方で眠ってるよ」
「そんな……! な、何をした……!?」
立ち上がろうとすると右足が痛んだ。ちくしょう、また壊れたかと舌打ちする。
「これから戦場に行く人がさ、帰ったら結婚しようって恋人に言ったら、死んじゃって帰ってこない、みたいなのってあるじゃない?」
「は?」
何の話だ、と睨みつける。朝姫は真顔でこちらを見下ろしたまま、表情を変えない。
「他にも、ホラー映画とかパニック映画では『もう安心だ』って言ったら絶対安心じゃないし、『様子を見てくる』って言った人が無事に帰ってくることは無いの」
「だから何の話――」
そこまで言いかけて、勝夜は思い出した。自分が駆け出した時、朝姫が自分に放った言葉――「濡れた石段は滑りやすい」。
「呪術は、『ある法則を満たすことで発動する』お呪い。言霊は、それの最も分かりやすくて、もっとも扱いやすいもの」
忠告を受けて、それを聞き流したり、自分だけは大丈夫と驕った者は。滑りやすいから気を付けろと言われて、それを素直に飲み込まなかった、勝夜は、真は。
――それがそのまま、敗因となる――。
朝姫が勝夜の手から、くしゃくしゃになった式神を取り上げた。赤い蛇が再び形を成し、ぎょろりとした目をこちらに向ける。
「さ、今度こそ一緒に帰ろうか、お兄ちゃん」
朝姫の突き出した腕の上を、蛇がずるずるとこちらに向かって這ってくる。その口内からはしゅー、しゅーと見たこともない紫の蒸気が上がり、鋭い牙からは粘着質な謎の液体が垂れている。あれに噛まれたら、きっと無事では済まないだろう。
勝夜は思わず目を瞑った。次に来る攻撃に備えて、歯を食いしばる。
――ごめん、真。
「……! ……? ――?」
何も起こらない?
――おそるおそる目を開く。
「……あれ?」
目の前には、誰もいなかった。朝姫も、蛇も、消えていた。まるで狐につままれたような気分だ。
『駄目じゃない、こんなところに入り込んだら』
「!?」
突如聞こえた聞きなれない女性の声に辺りを見渡す。が、やはり誰もいない。――そういえば、観光客の姿もない!? まさか、まだ朝姫の結界の中にいるのか!?
『違うわよ、バカ』
また声がした。
『道中にあったでしょ、見てなかったの? この辺りはさっきの大雨の影響で立ち入り禁止になってるのよ』
「あ――」
そういえば、ホテルを出る前にそんな情報を見た気がする。そうか、朝姫の結界から逃れるのに夢中だったのと、階段から転がり落ちたから、気付かなかったんだ。
「そう……だったんですか。教えてくれてありがとうございます」
誰もいない空間に向かって頭を下げる。
『あらあら、ご丁寧にどうも』
くすくすと笑い声が帰ってきた。
『それにしても、まったく、失礼な子よねえ、人ん家であんなめちゃくちゃに結界張って式神呼んで大暴れして――才能があってもあれじゃあね』
――ああ、やっぱり、朝姫がここで暴れたのは現実だったのか。
「あの、妹が、ご迷惑を」
『強烈な妹さんをお持ちなのねぇ……あの子は山の麓にはじき出しちゃったから、じきに誰かに見つけてもらえることでしょう。あなたのお連れの彼女は、今頃千本鳥居の中で倒れているところを周りの参拝者に発見されているはずよ』
とりあえずどっちも呪い殺されたりはしていないようだ。ほっと息をついていれば、『何してるの、はやく彼女を迎えに行ってあげなさいな』と急かされた。確かに、このまま誰かに連れていかれたらまずい。病院なんかに搬送されたりしたら、人間じゃない彼女はいったいどうなるんだ。
慌てて起き上がり、来た道を戻る。足の痛みも、体中の傷も消えていた。まるで、本当に狐につままれたみたいだ。そして、立ち入り禁止の立て札が見えたところで、はたと振り返る。
「あの、ところであなたは?」
……返事は無かった。
ああ、そういえば、伏見稲荷に祀られているのは、たしか狐の――……
「……はは、まさか、ね」
つままれたかどうかはさておき、もしかしなくとも、さっきの声は。
千本鳥居の方へ走りながら、勝夜の頭の中には、真のあの言葉が蘇る。
――「いーの、京都と言えば神様にも手に負えないような妖怪がごろごろいるって聞くもん。そんなところに、妖怪なら何でも意のままに操れちゃう勝夜が来てみ? むしろ大歓迎されるんじゃないかね!」
フラグ。言霊。朝姫はそんな風に表現していたけど。
もしも、あの女性の声をしたのが神様で、自分を助けてくれたのだとすれば――。
朝姫が言霊を「扱いやすい」と言った理由も、なんか、分かる気がした。