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 何かの揺れに目を開けた。体が何か揺らされている。
 目を覚まし、ベットから起き上がると私が六年通院している病院の自室。
 壁紙の白が嫌になるくらいつまらない私の世界。波はなく、定期健診と朝ごはん、昼ごはん、夜ごはん、そして寝る。
 私は10歳の頃、うつ病を患った。今は寝ることが唯一の楽しみ。
 そして、目の覚ましてしまったことでいろいろと考えてしまう。今までのことやこれからのこと。私はうつ病じゃない。こんなに頭は正常に動いているし、物忘れ立ってない。ただ、周りと少し変わっていて、人と合わせることが苦手なだけ。
 また体が揺れた。私ではなく地面が揺れていた。これは地震だと思う。しかし、避難するほど大きくもない。震度2か3。これくらいの地震ならたまにあるから大丈夫だと思った。
 1分くらい経つと揺れは静かになった。
 ベッドに腰かけて私はその揺れを楽しんでいる。たまにあることだが日常ではない。必然的に起きたことではなく偶然。たまに家に来る親せきを楽しみにする子どもみたいに。
 静かになったことを寂しいとさえ思った。また来てくれるとありがたいなと心の中で思う。すると、先ほどよりも大きい地震がきた。私の要望を聞いてくれたようで嬉しかった。
 しかし、その揺れは今まで感じたことのない揺れだ。
 楽しみたかったがそんな場合じゃない。電車に揺られるよりもバランスボールの上に乗っている時よりも酷い。ベッドが激しく揺れて音を立てる。私の大切にしている本棚が倒れ、母と父、昔の友達が写った写真が地面へと吸い込まれるように落ちていく。
 その光景を私は揺られながら呆然と見ていた。動きたいのに動けない。そんなほどかしい時間を三分間も味合わされた。
 地震はやんだ。いつ何が起こるかわからない。
 だからこそ、逃げないといけないことはわかっていた。
 しかし、私の体は思い出に引っ張られ、私は大事にしていたものへと赴かせた。
 お母さんからもらった手鏡が壊れている。胸が締め付けられるようだった。
 涙するしかなかった。それでも、逃げなければいけない。
 思い出を統べて詰めることはできない。なので、必要なものと大事なものをできるだけバックにつめた。重かったが仕方ない。これが私の大事なものなのだから。
 重たいバックを背負い、私は出口の扉に手をかけた。
 しかし、開かなかった。どんなに強く押しても開かない。
 焦った。この固い扉をどうやって開くか考えた。しかし、なにも思いつかない。
 扉は引いても押しても開かない。
 人を呼ぶしかないと思う。
 ドンドンドンドン!!
「助けてくださーい!!!」
 必死になって扉を叩く。今まで出したことのないような声で叫んだ。
 足音はしない。かけよって声をかけてくれる人もいない。
 夜だから働いている従業員が少ないこともわかっている。
 しかし、あまりにも静かだ。こんなに大きな地震が起きたのに誰一人の足音も聞こえない。
 ついに私の頭もおかしくなったと考える。
 地震なんて元々なくてこれは私の幻覚なのだろうか。
 小さな地震に怒り狂った私が部屋を荒らし、大きな声で叫んでいるだけ。
 ありえない話だが考えられなくもない。
 そんな考えに頭を抱えていると廊下から声が聞こえる。
 私を世話する看護婦さんの声だった。いつもの優しい声ではなく荒々しい声で私に声をかける。
「中谷さん、大丈夫!?」
「すみません、勘違いで叫んじゃいました」
「何言ってるの! 早く非難しなさい!」
 看護婦さんの言葉を聞いて、私に気がおかしくなったわけではないことに気付けた。
「わかりました。でも……、扉が開かないんです……」
「わかりました。じゃあ協力して開けましょ。」
「せーので、引っ張って」
「え、引っ張るんですか?」
「そうね、あなたは扉を押して」
「わかりました」
「「せーの!!!」」
 ひしゃげていた扉が勢いよく開く。
 私は体勢を崩して廊下に倒れこむ。少し頭を打った。
 でも、体に異常はない。すこし、頭がずきずきする程度。
「大丈夫!?」
「大丈夫です」
 看護婦さんはほっとした顔をして私に笑顔を見せた。同性としてもその笑顔にはキュンと来るものがある。
 自分の力で立ち上がる。
 看護婦さんの目線は私に部屋を向いていた。地震でぐちゃぐちゃになった部屋。
「私は大丈夫です」
「そんなわけないでしょ。思い出の物が壊れて辛かったはずよ。中谷さんはあんなに大事にしてたじゃない」
 この看護婦さんは私のことを入院当時から知っているだけあって、私のことをよく知っている。
「でも、止まってる暇はないわよ。早く避難しなさい。避難場所はわかるわね?」
「はい」
 なにかあった時避難する場所は一階にある中庭だったはずだ。避難訓練の時に耳に胼胝ができるくらい聞いたので物事を忘れやすい私でも覚えていた。
「市川さんは行かないんですか?」
「私は看護師だから。患者を守るのが仕事なの」
「でも……」
「大丈夫よ。絶対に帰ってくるから安心して。こう見えて私、運だけはいいの!」
 そう言って看護婦さんは私の背中を押した。
 ものすごく嫌な予感がする。だけど、看護婦さんに言われた通り、私は中庭に降りた。

 この後、震度7弱、マグニチュード8の地震が来た。
 建物に残された人たちは建物の倒壊や火事でほとんどが亡くなった。
 看護婦さんの市川さんだって例外じゃない。
 この地震を境に私は看護婦になろうと考えるようになった。
 あの患者を守ろうとする後ろ姿がとてもカッコよかったから。
 私を鬱から救ってくれた恩人に感謝の言葉を送ります。
 命を張ってたすけてくれてありがとう。