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「よっ、と……」
 ホームに停車した電車のデッキから下り、少しばかり凝った体をほぐすために腕を上に伸ばす。
 それと同時に、新たな空気で肺を満たす。
「ふぅ……いやー、地味に長かったなぁ」
 俺がそう独りごちると、背後がら同意の声が耳朶に届く。
「だね~。来るのに一時間半以上掛かってるよ」
 俺が声のしたほうに振り返ると、そこには長い茶髪の少女が立っていた。
 凪(なぎ)宮(みや)春那(はるな)――学校のクラスメイトである少女は、俺と同じように両腕を上にぐい~っと伸ばしてから口を開く。
「まあそれでも、普通よりは楽な旅路だったと思うよ? なにせ――」
 春那は一旦言葉を切ると、俺たちが乗っていた電車の車両へと目を向ける。
 その車両は二階建てであり、緑色の四つ葉のマークがつけられていた。
 つまり、グリーン車である。
「私たちはグリーン車を使って鎌倉(ここ)まで来たんだから、ね」
 そう、俺たちはわざわざ贅沢をしてまでグリーン車に乗り、遙々鎌倉まで足を運んだのだ。というのも……。              
「いやぁ、結構混むかと思ったんだよ。ほら、乗ったのは九時ちょっと過ぎたときぐらいだから、まだ通勤時間だしなぁって」
「あんまり混んでなかったけどね」
「まあ、な……」
 てっきり混雑するかと予想していたのだが、その予想は残念無念といった感じである。
 しかし、グリーン券は乗る前に買ってしまっていたため、使わないのはあまりにもったいないということで、鎌倉までの道のりをゆっくり楽しむことにしたのだ。
 もっとも、都会から田舎に向かうわけでもないので、景色が変わる様子を楽しむことはできなかったが……。
「それでも、変に疲れるよりはマシだろ? これから半日歩くわけだし」
「それもそうなんだけどね。……それで朋希(ともき)、今回はなんで鎌倉なの?」
「それはもちろん聖地巡礼――嘘です嘘です! 冗談だから帰ろうとしないで!」
「……ほんとに?」
 じとーっとした疑うような春那の視線に、俺は全力で首を縦に振った。
 聖地巡礼をしたいのが嘘というわけでもないが、ここは言わぬが吉。秘すれば花。
「はぁ……それで、本音は?」
「聖地――」
「帰る」
「あぁっ! 嘘ですごめんなさいお願い帰らないでぇ!」
 ちょっとした出来心で冗談を言うと、春那には帰られてしまうことが判明した。
 誘ったのもこちらで、付き合ってもらってるのもこちらなので、ふざけられていい気はしないだろう。
「目的は前回、前々回と同じだよ! ネタ探しと刺激を受けるのが目的です!」
「ほんとに?」
「ほんとに」
「天地神明に誓って?」
「春那に誓って」
「…………はぁ……じゃあ早くいこ。時間がもったいないよ」
「あ、ああ。わかった」
 なんとか春那の機嫌を戻すことに成功し、俺たちは改札口を通って駅の外へと出る。
 そこは駅内と同じで多くの人が行き交い、がやがやととても賑わっていた。
「わ、結構人が多いんだね」
「観光地だからな。自然と人も多くなるさ」
 正直、あまりに人が多いのは好まないのだが、賑わっているというのはいいことだろう。
「それで、最初はどこに行くの?」
「そりゃあもちろん、鶴岡八幡宮だろ。鎌倉に来たからには、ここは巡る上で必須だな」
「大仏じゃないの?」
「それもいいんだが、ぶっちゃけると見てもなにも感じないんだ」
 端的に言えば、面白くないのである。
 刺激を受けることを目的としているのに、刺激を受けられないのでは意味がない。
「というわけで、まずは鶴岡八幡宮だ」
「はーい」
 そうして、俺と春那はまず鶴岡八幡宮へと向かった。
 駅を出てすぐに鳥居があり、そこを潜るとその先は小町通りとなっている。鶴岡八幡宮に行くには、小町通りをまっすぐ行くのが手っ取り早い。
 変な道を使って道に迷う心配もないく、小町通りに並ぶ様々な店は興味深いものが多い。
 そんな風に道を歩いていると、あっという間に鶴岡八幡宮に着いていた。
「おー、鳥居が大きい……でも、平安神宮よりは小さいね」
「あれと比べてやるなよ……」
 そんなたわいないことを話ながら、俺たちは鶴岡八幡宮の参道を歩く。
 ここの参道はなかなかに長く、きっと正月などでは屋台が並ぶのだろう。祭りのときに参道で屋台が並ぶ、というのはアニメやマンガでよくあるシーンなので、写真を撮っておく。
 そして参道を抜けると、次は長い階段が待っていた。
「あう、長い……」
「ま、これも神社の醍醐味ということで一つ」
 階段の長さに悲鳴を上げる春那の背中を、俺は苦笑いしながら押していく。階段を上りきり、参拝をしてからおみくじを春那と引く。
 結果は俺も春那も中吉という、なんとも言えないものであった。
「さて、それじゃあ次に行くか」
「次はどこに行くの?」
「佐助稲荷神社」
「あれ、また稲荷神社? 神保町のときも行ってなかった?」
「稲荷神社はな、願いを叶えてくれるのに即効性があるらいぞ」
「へぇ、朋希はなにをお願いするの?」
「そんなの、新人賞受賞に決まってるだろ。さ、行こうぜ」
 それから俺たちは佐助稲荷神社へと向かう道中、銭洗弁財天や葛原岡神社などにも寄り魔を祓ったりと、色々なことを見たりやったりした。
 佐助稲荷神社ではお参りをし、御朱印をもらったり、またおみくじを引いたりなどなど、満足するまで取材をして、佐助稲荷神社を後にした。
 最後に、せっかくだから夕日を観に行こうという話になり、俺と春那は江ノ電を使って鎌倉高校前駅付近にある、七里ヶ浜へと足を運んだ。
「うひゃっ、ちょっと冷たい」
 春那は砂浜に下りると、靴と靴下を脱いで足を海水に触れさていた。
「もう九月末だからな、当たり前だよ」
「あ、でも慣れれば平気だよ。朋希もやろうよ」
「俺はいい――」
「えいっ!」
「ぶふっ、しょっぱ!」
 春那に海水を掛けられ、それが少しばかり口に入った。
「このやろう……やったからには、やり返される覚悟はあるな?」
「朋希が私に水を掛けられれば、の話だよ~」
「言ったな? そこで待ってろオラァ!」
 と、煽り耐性ゼロの俺は靴と靴下を脱いで、打ち寄せては返す波へGOである。
 ああ、なんとも青春らしいというか、なんというか。
 くだらく、ありふれているけれど、それがどうしようもなく楽しかった。
 そんな海での一幕も終え、いざ帰ろうと電車を待っている最中。
「髪がすごいギシギシする……」
「だな……」
 春那の言葉に同意して、俺は自身の髪を手櫛で梳かそうとするが、見事に引っかかるのなんの。
 潮風の影響で俺たちの髪の毛がギシギシになるというオチが、今回の散策譚にはついたのだった。