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「なあなあ、コレどう?」
「どうって……あぁ、また新しいの買ったのかよ」
「またってなんだよ」
 暑い日が続く七月。俺は友達の深谷(ふかや)真(まこと)に誘われ、東京国立博物館に来ていた。
 場所は本館ではなくその隣にある西洋館。特別理由はないが、端から見て回ろうと深谷が言うのでそれについて行っている。
 そして、館内に入り暑さから逃げることが出来たので、俺は朝から自慢しようと考えていた物を深谷に見せたのだが……。
「だって、この前も靴買ってたじゃん」
 深谷は特別驚くわけでもなく、俺の足元を見て呆れた表情をする。俺はその反応に納得がいかず、今日履き下ろしたシューズを指差し訴えかける。
「いや、この前のは『NIKE』。これは『VANS』だよ」
「はいはい、そうですか」
 しかし、どうでも良いと言わんばかりの返事しか返ってこない。
 まったく、今日はせっかくこの後MARVEL映画を見に行くから、そのコラボシューズを履いてきたのに。わかってないな深谷は。
 そんな感じで博物館に全く関係ない会話などをしながら一階を回った。次に二階を見る為階段を上がると、突然服の裾を引っ張られた。
「うん?」
 振り返ると、小学生か中学生ぐらいの女の子がいて俺の足元を指さす。
「お兄ちゃん、カッコいい靴履いてるね」
「え……あ、ありがとう……」
「えへへへ」
 俺が戸惑いながらお礼を言うと、女の子は屈託のない笑顔をこちらに向ける。
 その可愛らしい女の子の顔は多分日本人ではない。きっと韓国とか中国の子だろう。
 見た目も髪を綺麗にまとめて、袖口が大きい……まあ、ドラマとかでみる昔の中国人の服装っていえばイメージがわくかな。そんな恰好をしていた。
「えっと、パパやママはどうしたの? 一人……ではないよね?」
 女の子の目線ぐらいまでになるように体を曲げ、出来るだけ優しい口調で語りかける。
 日本語が通じるのか不安だが、さっき日本語で喋ってきたし平気だろう。
「……」
「あれ?」
 女の子はポカーンとした表情をしたまま、首を傾げてこちらを見つめる。
「言ってる意味わからない?」
「……」
 やはりこちらの言葉が通じていないらしい。
 おいおい、なんだこの展開。
 日本語が通じないとなると、英語とかで話しかけた方がよさそうだがあいにく俺は全くとして英語が喋れ……あっ、
「そうだ……おい、深谷……って、いない!?」
 俺とは違い英語が多少話せるであろう深谷なら、この子とコミュニケーションが取れるかもと思ったが姿が見当たらない。
「先に行ったのかな……」
 何故に俺がいないのに先に行っちゃうのかね。
「どうすっかな」
 近くに人もいないにし、この子を放置するのも気が引ける。
 仕方がないので、一階の受付に連れて行こうと考えたのだが……。
「嫌なのかよ……」
 俺が一階の方に行こうとすると、女の子は俺の服の袖を掴み首を横に振る。
 見る感じ一階には行きたくないらしい。
「はぁ……。じゃあ、取りあえず進むか」
 俺はフロア奥の方を指差し、先に進むとジェスチャーをする。それを見て女の子はコクコクと頷く。
 取り合えず、今は身振り手振りでやっていくしかない。
 そんなわけで、女の子と二人で二階の展示物を見て回っていると、ふと一つの展示物に目が止まった。
「靴?」
 それは布のような物で出来た靴らしい。
「えっと……『纏足用靴』って言うんだ」
 色鮮やかな布で作られており、大きさ的に赤ん坊が履いていたのかなと考えてしまう。
「どう、綺麗な柄じゃない?」
 俺は纏足用靴に指をさしながら女の子に声を掛ける。言葉は通じなくても指のさした方向で、なんとなくこっちが言いたいことは理解してくれるはずだろう。
 しかし女の子は俺の方など一切見ずに、ガラスケース越しの纏足用靴をジッと眺めていた。
「おーい、どうした?」
 俺が聞くと女の子は顔をこちらに向け、ゆっくりと口を開く。
「コレ、とっても痛いんだ」
「え?」
 俺は何の事を言っているのか分からなく、間抜けな声を漏らしてしまう。
 それに今、日本語喋ったよね?
 俺が何も言えずに黙っていると、女の子はガラスケースの方を指差した。その指の先を目で追うと展示物の説明文がそこにはある。
「あぁ、これの説明か、まだ読んでねえや」
 多分説明文を読めとの事なので、それに取りあえず従う。
「えっと…………えっ!? そうなの!?」
 説明文を呼んだ俺は一人驚いた。
 先ほど赤ん坊が履いていそうと思ったのだが、この纏足用の靴はその赤ん坊の時から成人になってまでもずっと履き続ける物らしい。
「だってこれ……」
 10㎝ぐらいの大きさしかないんだよ?
 普通に考えれば、成人女性の靴のサイズは小さくて22・5センチ~大きくて25センチくらい。勿論、人によってはその前後のサイズになることもあるが、これは10センチ近く小さい……うぉっ!
 驚きで纏足用靴に目を奪われていると、服の袖をグイッと引っ張られる。その相手は勿論さっきからずっと一緒にいた女の子だ。
「どうした?」
 俺は腰を落とし女の子と目を合わせる。女の子は床を指さし俺も目でそれを追う。
「ん? ……っ!?」
 女の子が指をさしていたのは、女の子自身の足だ。しかしその足――靴は俺が今まで見ていた物と良く似た布地の履物。
 そう、纏足用靴を履いていた。
 俺はそれに戸惑いを隠せず女の子の顔を見つめる。女の子も俺の顔を見つめ返し、ふと笑みをこぼした。
「……好きな物を履けるって羨ましいな」
「え……それって」
 俺が女の子に質問しようとした瞬間、視界が揺らいだ。どうにか踏ん張ろうと足に力を入れるが、それも意味がなく途端に意識が遠のく。

 

「……おい、長谷。長谷川?」
「……えっ?」
 肩を叩かれビクッとし振り返る。深谷が心配そうにこちらを見つめていた。
「どうしたんだよ、急にボオーっとして」
「え、俺どうしてた?」
 自分の状況が理解できず尋ねる。深谷は驚いたかのように目を丸くし、俺の横を指差す。
「いや、お前はそれを見てたんじゃないの? めっちゃ真剣な感じだったぞ?」
「それ?」
 深谷の指の方に視線を送ると、そこには布地の靴。名前は『纏足用靴』と書いてある。
「まったく、ここに来てまで靴って……。どれだけ靴が好きなんだよ」
 深谷はそう言うと、一人館内を歩いて行く。俺もそれについて行こうと、纏足用靴に背を向けて歩き出す。
(……バイバイ、お兄ちゃん)
「ん?」
 後ろから声を掛けられた気がして振り替えるが誰もいない。そもそも後ろにはガラスケースがあるのだから誰かがいるはずがない。
 と、そこで俺はもう一度だけ纏足用靴に目を向ける。
 何故だかわからないが、これを見ると少し悲しい気持ちになる自分がいた。