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 朱塗りの鳥居に囲まれたトンネルのような道が、延々と続いていた。
 厚いカーテンに覆われた舞台裏のような闇を抱く空の下で、私は長い階段の一段目を踏み出す。草葉の影から虫が鳴き、背を伝う汗が気持ち悪い。だから、夏という季節は苦手なのだ。
 ともすれば独り言として口を衝きそうになる愚痴を内心で圧し殺しながらも、参道の更に奥手へと歩を進めていく。
 伏見稲荷の千本鳥居といえば、名前ぐらいは耳にしたことがあった。
 だが、信仰心のカケラも持ち合わせておらず、そもそも外出という行為じたいが苦手な私が京都くんだりまで足を運ぶ機会など、訪れないはずだったのだ。
 ――なんで、こんなところにいるんだっけ。
 長い一本道を辿っていると、ふと目的を見失いそうになる。
 私は立ち止まり、自分がここに立つ所以を探った。
 そうだ。あいつのせいだ。
 フリーのルポライターをしている私の彼氏が消息を絶ったのは、半月以上も前のことだった。同棲生活には踏み切っていないため、互いに会うペースは週に一度ぐらいだったが、連絡を欠かすことはなかった。それが、唐突に、糸が絶ちきれるように、ふっと途絶えた。
 重度のコミュニケーション不全を患っている私は当然彼の知人に連絡を取れるはずもなく、悶々とした日々を送った。
 ある日、ふと思い立ってそれ以前のLINEのログを遡ると、京都に取材旅行に行ったらしいことが分かった。だから、会社に有給を申請できるタイミングを見計らって、私は独断で彼の捜索に踏み切ることにしたのだ。
「にしても暑いな……」
 シャツの襟を引っ掴んで胸元を仰いでも、一向に熱気は去ってくれない。土産屋で扇子でも買っておけば多少はマシになっただろうか、なんてつまらないことを考えてしまう程度には思考力が融けている。
 そして何より、暇である。いや、少なくとも手足を動かしているのだから、暇というのは厳密には違うかも知れないけれど、それでも淡々と階段を昇り続けるというのは何かの修業か拷問かと思う。前世で何かしでかしたかな、私。
 何か、違うことを考えるか。一旦、階段の途切れる地点に辿り着いたので、リュックから取り出したペットボトルの水を呷りながら、そんなことを思う。
 そうだ。昇った段数でも数えよう……いや、鳥居の数でも数えるか。本当に千本あるか怪しいし。
 再び石段を踏む。
 一、二、三、四……淡々と、不規則なリズムを刻む。
 やがて、カウントが百を超えた。
 キリが良いと思い、ふと背後を振り返る。
 すると、麓は既に闇の彼方に薄れて見えない。既にこんなに昇ってきたのかと、妙な達成感が湧く。だが、先はまだまだ長い。私は再び心で数を刻みながら、石段を登っていく。 百一、百二、百三……。
 その数は二百を超え、三百を超していく。
 そもそも、ここって頂上まで何段なんだろうか。
 終わりの見えない道に不安を覚え、スマホを取り出す。だが、電波の通じが悪い。私は電波を確保するため、迷信にしたがって本体をぶんぶんと振った。
 そして検索をかけると、意外な事実が判明した。ここ伏見稲荷大社では、千本鳥居とは名ばかりで、実際は一万本以上の鳥居が存在するという。「願いが通る」という進行に準じて参拝者より奉納され、一基辺り十数万で奉納できるため、現在でもその数は増えているという。
 数が莫大すぎて、今ひとつ実感は湧かなかった。
 だが、進むしかない。
 ――待てよ。
 なんで、こんなところにいるんだっけ。
 長い一本道を辿っていると、ふと目的を見失いそうになる。
 私は立ち止まり、自分がここに立つ所以を探った。
 ああ、そうだ。あいつのせいだ。
 彼氏に手酷くフラれたのは、半月以上も前のことだった。飽きたんだよ、なんて、そんな単純な一言で、私は打ち捨てられた。そして、京都まで傷心旅行に来ていたのだ。
「にしても、暑いなあ」
 前方を仰ぎ見ても、未だ頂上は見えない。
 思考が無益な堂々巡りに陥ると、私が辛いだけだ。何か、無心になれるようなことをしよう。
 そうだ。昇った段数でも数えよう。
 私は今立っている段を一として、カウントを始めた。
 一、二、三、四……テンポ良く、飛び石を渡るように軽々とした足取りで、昇っていく。
 百一、百二、百三、百四……。
 やがて、カウントが千を超えた。
 キリがいいと思い、背後を振り返る。
 ――あれ。
 麓は、すぐそこにあった。昇ってきたはずの道は、そこにはない。
 仕方がない。一旦脇道に逸れ、水分補給のためのペットボトルを購入することにする。 自販機は絶賛稼働中だった。なんか、こういう無機質なものがあると風情も何も無いなと思う……うわ、値段が庶民のそれではない。しかし背に腹は代えられない。私はやたら高い飲料水を購入し、
 ――ん?
 なんで、こんなところにいるんだっけ。
 私は、自分がここに立つ所以を探った。
 そうだ。あいつのせいだ。
 私が彼氏を殺害したのは、半月以上も前のことだ。そして総てから逃れたくて、ここまでやってきたのだ。
「……あっついなあっ!」
 私は傍らの自販機を蹴りつけた。自暴自棄になっていた自分を自覚する。
「……くそ」
 私は元の参道に戻り、再度、頂上を目指した。
 一、二、三、四……ひかりよりも早く駆け上がりながら、石段の数を脳裡に刻んでいく。 やがて、カウントが一万を超えた。
 キリがいいと思い、背後を振り返る。
 延々と、鳥居が続いていた。麓は見えない。
 前方を仰ぐ。頂上は未だに見えない。
 どこを目指しているんだっけ。
 どこから来たんだっけ。
 というか、
 私は誰だっけ。
 私は、自分がここに立つ所以を探った。
 そうだ。あいつのせいだ。
 私が自殺したのは、半月以上も前のことだ。愛する人を殺めてしまった事実に耐えきれなくて、私は自ら命を絶ったのだ。
「寒いなあ」
 私は再び、頂上を目指して石段を踏み出した。
 始まりがあれば、終わりだって訪れる。だから、いつかは、辿り着けるのだと思う。
 そう信じて、私はこの道を征く。
「寒いなあ……」
 朱塗りの鳥居に囲まれたトンネルのような道が、延々と続いていた。

                            (了)