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 僕はあの日のことを忘れない。
 なんて表せばいいのかは分からないけど、この日記帳に記すとしよう。

 四月一日。僕、大和田光喜は今日からこの新しい地、【恵が丘】での生活に心が高鳴っていた。
「今日から一人暮らしの始まりかぁ、楽しみだ」
 高校を卒業し、僕は長年住んでいた故郷を離れ恵が丘大学へ通い始めることにした。
 慣れない事ばかりの日々になるだろう、それでも僕は不安より期待の方が大きかった。

「まもなく、恵が丘―、恵が丘―。」
「そろそろ到着か、降りる準備しなきゃ」
 その時だった。
 ドンッドンッ
 とても強い振動に襲われた。
「なんだ……地震か?……」
 ドンッドンッとまだまだ地震は止むことは無かった。バスの車内は乗員の叫び声で埋め尽くされ、辺りは恐怖心で一杯だった。
「バスが……倒れる……!」
「きゃああああああああ」
 バスは急ブレーキの音と共に横転した。

 

「…………」
 頭が殴られるように痛い。そして辺りは煙たく、視界は狭かった。
「げほっげほっ」
 煙で席が止まらない。
「これは、一体……」
 記憶を辿る。地震でバスが横転し、その後から記憶が無い。
「バスが倒れて、そのまま気を失っていたのか」

「おーい! 誰か、誰かいないのー?」
「……! 誰かいる……?」
 煙を掃いつつ声を絞り出す。
「おーい! ここだ! 聞こえるかー!?」
「聞こえる……聞こえるわ! そっちへ行くから!」
「わ、分かった! 気を付けてくれ!」
 数分後、一人の女性の姿が現れた。
「さっき声を出してくれたのは君ね」
「あ、あぁ」
「周りに誰も居なくて……お互いに随分長い時間気を失っていたみたいね」
「……」
「あ、私ばかりごめんね。私は本間ゆう。あなたは?」
「僕は、大和田光喜。よろしく」
「大和田くんね、よろしく」
 本間と名乗る彼女は、自己紹介を一通り終えると、僕と一緒に此処を出て避難所へ向かうことを提案した。
「避難所は今の場所から数キロよ、歩ける? ケガはない?」
「あぁ、大丈夫。行こう」
 バスが横転したのはトンネル。薄暗い道を踏ん張りながら一歩、また一歩と進んでいく。
「そんなに遠くはないはずだから、頑張りましょ」
「あぁ、お互いにな」

 さらに歩くこと数分。長い間暗闇に覆われていた道から一筋の光が漏れてきた。
「恐らくあそこが出口よ!」
「ようやくか……行こう」
 光の方へ足を進める。そして着いた先は……衝撃的な光景だった。
「…………!!」
「な、何これ……ひどい」
 トンネルを抜けた先、辺りに広がったのは一部の建物が崩れ炎をあげ、救急車や消防車が絶え間なく動いている光景だった。
「と、とにかく避難所へ急ぎましょう!」
「うん……!」
 避難所はここから然程遠くはない小学校。 トンネルを抜けるまでの歩みで疲労が溜まっていた僕達は、通常より時間をかけて到着した。
「すみません、二人なんですけど」
「あー……二人ですか……」
「もしかして……空いてないんですか?」
「…………」
 黙り込んだ避難所の人を見て、僕は確信した。
「えぇ……つい先程満員になってしまって、本当にすみません」
「そんな……」
「…………」
 思わず僕等は言葉を失ってしまった。
「ん……待って」
「どうしたの?」
 僕には他に当てがあった。
「確かここから二キロくらい先に別の学校があったはず……」
「本当に!? なら……もう一つの方へ行きましょう!」
「あぁ」
「わざわざすみません、お気をつけて!」
「ありがとうございます、では」

 僕らはもう一つの避難所である学校を目指すことになった。
「二キロって、結構遠いのね……」
「まぁ、でももうすぐだから……頑張ろう」
「えぇ……そうね」

 どれくらいの間歩いただろう。僕らは疲労で倒れそうになりながらも、もう一つの帆難所の場所までたどり着いた。
「はぁ……はぁ……す、すみません、2人なんですけど」
「さっき通った小学校は満員で入れなかったんだ」
 内心、僕は焦っていた。これ以上は当てが無いということ、そして僕自身……恐らく彼女も相当疲れていることだろう。もしこれで入れなかったら……
「はい、大丈夫ですよ。ここに名前を書いてください」
「よ、よかった……」
「ようやくだ……遠かった」
「えぇ……あなたもありがとう」
「いや、そんなことないよ……」
「いいえ、あなたがいなかったらこの避難所も知らなかったし、ここまで来れなかったわ」
「本間さん……」
「そんな硬くならないで、ゆうでいいわ」
「ゆうさん、こちらこそ……ありがとう、1人では不安でここまで来ることは出来なかっただろうし」
「ふふっ、それはお互い様ね」
 あれだけの絶望的な状況だったが、乗り越えた先に、僕達は笑いあうことが出来た。
 受付を済ませ、乾パン、水、毛布を受け取った僕達は疲労からか横になるとすぐに眠ってしまった。

 以上が僕の体験だ。
 あの後、救助活動に来たヘリコプターに乗ってゆうさんと街を出た。彼女とは今も連絡を取りあう仲だ。
 こんな体験はもうしたくない。しかし、いずれはあの時のような地震などの災害が起こる可能性は大いにある。その時までに準備をしておかなければならない……。
 この経験は今後に活かしていけるだろう、新しい地での生活は無くなったが、自分の命は守ることが出来た。
 あの時のことを忘れてはならない。そう、それはとても大事な【あの日の記憶】なのだから。