想像してほしい。
趣きという概念を纏ったよく分からぬ岩がごろごろ転がり、時と金と心のこもった枯山水が広がる箱庭を。
君は、線香の匂いが染み付いた、如何にもわびさびを感じさせられる平屋の縁側に腰掛けてそれを眺めてるんだ。松や、椛。苔や低木も…………そうだね、きっと美しいだろう。
そして、その片隅に、池があるとしよう。
大人が三十人ほど集まり、手を取り合って輪を作れば囲めるくらいの、それなりに大きな池だ。中には錦鯉が五、六匹泳いでいて、もしかしたら蓮の葉なんかも見えるかもしれない。
だいたい、わかったかな?
よし。なら次に進もう。
君は立ち上がると、ざりざりと音を立てながら敷石を踏みしめて池に近づくんだ。そのまま、地面に敷かれた石を一つ拾い上げる。そして、その小石を水面へ向かってそっと放る。
君の手を離れた小石は、緩やかな弧を描き、池の中へ落ちていく。
君は、池に、石を投げ込んだ。そうだろ?
さて、視点を変えよう。君は、池の中の錦鯉だ。池に来てから……もう、五年は経ってるかな。変わらぬ日々。つまらないね。
そんなある日、ぽちゃんと音がして、上から何かが降ってくる。
……お気づきの通りだけれど、降って来たのはただの小石だから別にどうってことは無い。君は、うん。ちょっと残念だなぁと思うかもしれないけどね。
さて、何が言いたかったのかって言うとさ。
――君の住む池に、石が、降って来たんだ。分かるだろ?
誰かが池に石を投げ込んだ時、池の中の世界では石が降ってくるんだよ。あたりまえだって? まあ、そうかもしれないね。だけどさ、どんなときだってそうなんだ。誰かが何かをすると、別の誰かが影響を受ける。
そんな当然の延長線上に、『かくりよ』はあるんだよ。
『うつしよ』と『かくりよ』は重なり合い、互いに影響しあっている。
そしてその世界の結び付きが強い場所に、いいものわるもの玉石混交の『物の怪』が、人知れず現れるんだ。
この、呼び名についても一応ワケがあってさ、物の怪に対し、ある時誰かが『妖怪』と名をつけたんだ。
そしたら人々は、身近に存在したよく分からないものやことを、妖怪という言葉の箱に投げ入れ始めた。この時点で、実在する物の怪と人々の思う妖怪は乖離してしまっているよね。まあ、つまりはそういうこと。
時は流れ、現代。令和一年のこのご時世、ネットが社会へ行き渡り、身近な不思議はすべて手元の端末で解決出来る様になった。
世の中の不思議に名前を付けたものが妖怪であると定義するなれば、そんなものはもうすっかり消えてしまってもおかしくないよね。事実、現代において妖怪の存在感はほとんど皆無と言っても過言ではない。物語として取り上げられることこそ珍しくはないけれど、実際に妖怪が出たなんて話ほとんど聞かないだろ?
でも、恐怖は……『妖怪』の名を受けた原始の恐怖は、今もまだそこに在る。
物の怪っていうのは、その原始の恐怖そのものの名前だ。まあ、僕がつけただけなんだけど。
物の怪は悪でも善でもないけれど、それが人目につくような場所へ現れるというのは、うつしよとかくりよの境が曖昧になっている証拠にほかならない。物の怪はうつしよにおいて、決められた場所から出てはならないものだから、もし見つけたら速やかにお帰り頂く必要がある。
逆に、人間が物の怪の領域に入り込んだり、かくりよの中でも人間が立ち入って良いと決められた場所以外へ行くのはとても危険なことだったりする。
そういった、『事故』が起こらないよう、日本全土に存在する『結び目』に『帳』を引いて回る子がいてね?
都内の端っこにある言葉神社っていう神社の跡継ぎ娘なんだけど、この子がまた面白いんだ。
小さな鳥居の入った携帯神社キットをキャリーに詰め込んで、SNSでそれらしい情報を見つけては、実際にその場所に足を運ぶんだよ。高校の授業の合間にね。とても忙しそう。
……名前? そっか、先にわかっていた方が都合がいいかもしれないね。
彼女の名前は言葉めぐり。とても面白い子だよ。明るくて、しなやかで、折れない。
そうだね。だからこそ、【これは彼女の物語だ】。
未だ蝉時雨のやまぬ八月の晦。京都の街並みは、――比喩ではなく実際に、艶やかに濡れていた。多少弱まることこそあれ、雨はもう十日程降り続けている。
不思議と、川があふれたり、事故が起こるようなことはなかった。けれども、雨が止む気配もまた、どこにもありはしなかった。
ツイッターもインスタグラムも京都が雨。雨。雨。雨。雨。怪奇現象か、はたまた都市伝説か。まことしやかにささやかれる噂。となれば、彼女が出向かぬわけはいかない。
京都の鞍馬山には鞍馬寺という寺があり、その寺自体がそれなりに山を登った先にある。
また、それとは別に貴船神社という神社がある。こちらは山の麓にあり、すぐ近くには川が流れている。
どちらも京都の観光名所だ。
そして、鞍馬寺の裏から貴船神社をつなぐ、徒歩一時間程度の山道の最中に、件の言葉めぐりがいた。
「帰りたい……」
めぐりはそう呟きながら、傘もささず歩いていた。初めはきちんと折り畳みの傘を持ち、歩いていたのだが、腕が疲れたので畳んでリュックサックに仕舞ってしまった。ぱちんと切りそろえられた前髪から、顔、首筋へ、水は筋を成し流れ落ちていく。肩まで伸びた焦げ茶色の髪はすっかり濡れて肌に張り付いている。
服もまた、すっかり水を吸って重たそうだった。半袖のブラウスに、紺色のパーカー。シンプルなジーンズと黒いスニーカーを合わせた、いかにも観光客らしい服装。長袖長ズボンのいでたちは、夏のこの時期少し暑そうに見えなくもないが、山に入るのであれば正解だろう。
雨粒をとめどなく落とす空は、もれなく雲に覆われている。彼女の心もまた雲に覆われていた。そもそも、『帳』を下ろす仕事自体、彼女が好きで始めたわけではなく、血筋の関係他にできる人がいないから仕方なくやっているだけなのである。帰りたいのは当然だった。しかし、仕方のないものは仕方がない。
今回の件は、調査の結果、『物の怪がうつしよに現れた』のではなく、『かくりよの出来事が何らかの理由でうつしよに干渉している』ことが原因であると断定された。
単にかくりよとの結びつきが強まっているのか、はたまた、結びつきがそのままなのにもかかわらずこちら側に影響が出るほど大きな出来事が向こうで起こっているのか。
普段は、従兄や友人を巻き込んで仕事をするのだが、こういった『かくりよに向かわなければならない』仕事は彼女一人で執り行うしかない。
ゆえに、はるばる京都へ飛んだのは、めぐりひとりだった。
めぐりは文句を言いつつ歩いた。山は、彼女以外誰もいない。こんな雨の日の午前中に山に登りたがるのは馬鹿だけだろう。当然だ。
しばらく歩くと、めぐりは『木の根道』と呼ばれる場所にたどり着く。
一応、今回の目的地だ。先代の記録によると、三十年ほど前に、ここへ訪れ、帳を下ろしているらしい。
木の根道というのは、おおよそ文字通りの場所だ。木の根のほどんどが山道に露出し、どこか不気味さを感じる模様を描いている、道。
めぐりは、中学時代の理科の時間、臓器に走る血管だけを抜き出した模型を見せられたことを思い出していた。
赤と青で塗られたおびただしい数の血管が、想像よりずっと、はっきりと臓器の形を浮き上がらせるのだ。「こうまでしないと生きることができないのか」だったか、「こうまでしてでも生きようとするのか」だったか、ともかく何らかの思いを抱かざるを得ない衝撃的なビジュアルだったのは間違いない。
木の根道は、どことなくそれと似ていた。
めぐりはリュックサックを開き、中から小さな鳥居を取り出す。
この場所に下ろされた帳の向こう側へ行き、かくりよへ向かい調査をせねばならない。
周囲の木々に注連縄を巡らせ簡易的な結解をつくり、その真ん中に鳥居を突き立て、服の下に隠れていた勾玉のペンダントを引きだし、神楽鈴を握る。
本当はもう少しきちんとした準備をすべきなのだが、こうも山奥なので仕方がない。
めぐりは高らかと祝詞を唱え、
「祓え給え 清め給え 守り給え 幸え給え」
「此れの勾玉に坐ます 掛けまくも畏き八重事代主命 我が願い聞こし食せと 畏み畏みも白す」
「【私は、この地に下りた帳の向こう側にいる】」
りん、と鈴を鳴らした。