読書設定

文字サイズ

背景色

フォント

方向

 普賢象桜。
 京都府、京都駅より北北西にある大報恩寺、別名千本釈迦堂に咲く桜。
 ソメイヨシノが散る頃に開花し、散り際には花弁を降らすのではなく、花房ごとボトリと地面に落下してしまうその姿は、斬首された囚人の首に似ていると言われている。そのため、普賢象桜と罪人は、古くより縁があったとされる。
 京都のソメイヨシノは四月上旬が見頃。つまり、普賢象桜は四月中旬、下旬から五月にかけての開花となる。
 …………。
 本来ならば、そのはずであった。
 けれど、今年だけは、どうやら違っているようだ。
「奇跡、なのかな」
「いや、偶然でしょ」
「気温のせいもあるんじゃない?」
 季節は夏。それも僕たち高校生は夏休み真っ最中。
 そんな時期に桜が咲いているのだから、大報恩寺に見学に来ていた人は皆驚いていた。 口々に好き勝手言っているが、話を聞いたところどうやら桜が咲いているのはこれだけで、清水寺近辺や哲学の道など、有名な桜のスポットには桜が咲いていないという。
 寺の人たちが言うには、こんな現象は未だかつてなかったらしい。確かに、奇跡の桜だ
「何か、言い伝えを考えると不気味だよね」
「だな。首切った幽霊とかに出会ったりして」
「ばっか。縁起でもないこと言わないで」
 そんな班のやりとりを、僕は無視してただ見とれていた。
 ドレスのフリルのような、白と桃色の美しい桜に。
「いいよ、もう見飽きたし他のとこ行こうぜ。てかお腹空いたし」
「確かにそうだね。じゃあ、予定通り祇園に行く? それとも近場で、嵐山とかで済ませる?」
「えー、嵐山は二日目の予定だから祇園がいい。かき氷食べたい」
「分かった。綿野くんもそれでいい?」
「一々ソイツにまで確認取んなくていいって。いいからさっさと行こ~」
「そうだぜ。どうせソイツは喋んないんだし」
 班のリーダーは、最後に僕を睨んでその場を後にした
 その横に彼女の彼氏が横並びで歩き、僕に話しかけた女子がその後をついて行く。
 彼女が去り際、小さな声でごめんね、と呟いたのは、聞かなかったことにした。
 

 御手洗いから戻ると、班員が居なくなっていた。
 最初はやられた、と思った。班の中に僕を嫌う人がいれば、隔離したいのは当然だ。
 京都の修学旅行は、一日目は班で行動しなければならない。
 つまり、この状況は色々とまずいのだ。
 先生にばれてはいけない。二年にもなって決まり事を破るような人間だと思われたくはないし、そもそも僕を置いていった班員が自分の非を認めるとは思えない。
 今は丁度、大報恩寺から祇園に向かっているその道中にある小さな公園の御手洗い。
 ひとまず、一人だけどその辺りを散策しておけばいいだろう。
 ということで、ズボンのポケットから携帯を取り出し、先生に班からはぐれた旨を連絡した後、のんびりと祇園に向けて足を運んだ。

 事件は、一通のメールから始まった。
 祇園に着いた僕は、都路里という甘味屋で軽食をとっていた。
 汗が噴き出るほどの暑さで食欲も湧かず、かき氷を食べていたところだ。
 その、氷の量が思いの外多く、胃袋を休ませていた時に、僕のスマホが振動した。
 メールが来たのである。それも、僕を置いていった班員の一人からだ。
 差出人は不明。件名は空白で、本文には時間と集合場所だけが記されている。
 その場所を見たとき、僕はその名称に聞き覚えがあった。頭より身体が覚えていたらしく、血の気が引くような気がした。
「め……面倒くさい……」
 行きたくない。けれど、先生に怒られることと、班員に後々待ち合わせ場所に行かなかったことをグチグチと言われたくないので、時間に間に合うよう、さっさとかき氷を食べて余った時間で祇園の散策をした。小雨が降っていたせいか、舞子には会えなかった。

 バスを乗り継ぎ四十分、最寄りのバス停に着くとそこには静けさだけがあった。
 色と音の少ない田舎道。良く言えば落ち着く空気で、悪く言えばどこか不気味だ。
 用意された一本の真っ直ぐな道。空は曇っていて、時間も相まって灰がかっている。
 今から既に怖くなってきた。しかし、待ち合わせ時間まであまり無かったから、無理矢理にでも足を進めた。道中にいた白猫や鏡面の濁ったカーブミラー、突風で音を鳴らす周囲の木々に一々驚いてしまったことは、無かったことにしておく。
 歩いた時間は十分程度。ようやく目的地には辿り着いたが、僕の精神は少しも休まらなかった。
 辿り着いた先にあるのは、待ち合わせ場所となるトンネル。
 清滝トンネル。通称、京都最恐のホラースポットと噂される場所だ。
 大口を開けた入口に、手前で静かに赤と青を繰り返す信号機。傍にある愛宕念仏寺が良い雰囲気を漂わせている。
 明かりも必要最低限の街灯とトンネル内部のオレンジの照明だけで、中は何故か霧が掛かっている。なるほど確かにホラースポットと言われるだけの不気味さがある。
 なんて、静かに分析している余裕なんてないのを忘れていた。
 今ここに人は僕一人。待ち合わせをしている班員はおろか、他に人一人いない。
 薄暗くて不気味で、今すぐにでもこの場を離れたいけれど、僕一人の勝手な行動はあまりよろしくない。
 しかし、五分、十分が経ち、待ち合わせ時間となり、それがさらに五分、十分過ぎてもなお、この場所に雛月以外の人が訪れることは無かった。
 来るものは乗客の居ないバスと、鬱陶しい蚊だけ。
 此処に来る前から嫌な予感はしていたが、ここにきてはっきりとする。
 僕は、どうやら騙されたらしい。
 僕が幽霊やホラーの類が苦手であることは、どうしてかクラスに知れ渡っている。クラス内に僕を嫌う人が居れば、そこにつけ込むのは当たり前のことだろう。
 そこで、ある考えが頭をよぎった。
 彼らの魂胆が想像通りなら、このまま怖がって帰る僕を嘲笑うつもりだろう。
 ならば僕が彼らの予定に反して、トンネルの中に入り、ついでに写真や動画なんかを撮ってみてはどうだろうか。
 僕を陥れた彼らの悔しがる顔が目に浮かぶ。いい気味だ。
 スマホの電源を入れ、それを握りしめる。
 大口を開けて、僕が入るのを静かに待っているトンネル。生唾を飲み込んで、僕はその中に足を踏み入れた。

 オレンジの照明の下、薄暗いトンネルを歩きながら思った。
 次に窪みに差し掛かったとき、中に誰かがいたら僕は発狂してしまうかもしれない。
 このトンネルは理由はしらないけれど、人ひとり入れる分のスペースが所々にある。
 一体何のためなのか。わざわざ幽霊が入れるスペースを作るなんて気でも狂ったか。
 トンネルはバスが一台通れるくらいのサイズしかなくて、閉塞感が凄まじい。
 見上げればオレンジの照明とむき出しのコンクリート。前を向けば霧で白濁した視界。
 湿った土を靴底で擦る音だけでもトンネル内に響くくらい静まった空間。
 怖い。こんな場所早く抜け出して帰りたい。
 突然、遠くの方から大きな音が聞こえた。定期的に通るバスのエンジン音だと分かっても、この空間がそれを恐怖に変える。
 僕は後悔した。どうして僕を嫌う人の為に身体を張っているのだろうかと。
 あんなやつを見返してどうする。それで僕に対する認識を変えてどうするんだ。
 この程度で変われるならば僕はとっくの昔に変われているんだ。
 無駄。これは無駄だ。ただ怖いだけで後には何も残らない。
 ああそうだ。帰ろう。戻ってホテルに帰って、班員の嘲笑を聞き流そう。
 その方が……。ああ、その方がよっぽど楽だ。
 バスのエンジン音が消える。ため息を一つ吐くと、その音すらトンネルに反響して大きくなる。
 僕は踵を返し、来た道を戻っていった。
 そのとき。

 ――ドサリ。
「ん?」
 背後で、何かが落ちるような、そんな音がした。
 足音よりも大きい音。けれどその音は、トンネルに反響しない。
 僕は自分の荷物を確認した。ショルダーバッグの中には財布と、折りたたみ傘と、メモ帳と筆記用具が入っている。落下するようなものは、何もなかった。
 突如、背中に悪寒が走った。心臓の鼓動が早まり、息が詰まる。
 足が震える。今すぐ走ってこの場を去りたいのに、身体が言うことを聞いてくれない。
 どうする。どうする。このまま僕は帰らぬ人となってしまうのか。
 走れ、僕の両足。
 身体に力を入れるが、やっぱり動かない。
 と。
「……もしもし……」
 背後。それもすぐ近くから聞こえてきた女性の声。
 それが耳に届いた瞬間、僕の喉は本能のように、全力で大声を上げていた。
「うわあああぁぁぁ!!!!」
「きゃあぁぁぁ!?!?」
 一度叫ぶと、案外気が楽になる。
 頭が少しずつ落ち着いてきたところで、僕の他に、もう一人の叫び声が聞こえたような気がした。それも、僕のすぐ後ろで。
「落ち着け、落ち着け僕」
 あぁ、そうだ。幽霊より、それを語る『人間』以上に怖いものなどこの世に存在しない。 ゆっくりと深呼吸をして、恐る恐る背後を振り返る。
 けれど、背後には誰も居なかった。ただ、白い霧があるだけで。
 勘違いだろうか。僕の叫びがトンネルにうまいこと反響して聞こえた、僕の聞き間違いとか。
「あ、……あのぉ……もしもし……?」
 無理矢理にでも納得しようとすると、また声が聞こえた。
 しかもそれは……僕の、足下から。
 …………。
 ……。
 人は、真の恐怖に立ち会ったとき、叫ぶことすら出来ないと言われている。
 どこかで聞いただけの話だけど、それが本当なら今がそのときだろう。
 一周、二周くらい回ってまともになって冷静な頭になった僕は、足下のそれを呆然と見ていた。
「……あの……えっと……私の身体、何処にあるかご存じ……でしょうか?」
「…………」
 足下に転がる生首。
 僕はそのとき初めて、ゆっくりと、世界が暗転していく感覚を知った。
 それはトンネルよりも深い闇で、しかしこの感覚は、どこまでも心地好かった。

 目を覚ますと、生首が浮いていた。
 もはや自分でも何を言っているのか分からない。
 女の生首が、首より下が無い状態でふよふよと宙に浮き、僕をじっと見ている。
 顔の周りには白いモヤが纏わり付いている。漫画などでよく見る霊魂のようなものだ。
 夢を見ているものと逃げたかったけれど、そんなわけが無いのだろう。
 一体どんな原理で浮いているのか。というか動く生首って何だ。漫画の世界観か。
「あ、起きた。おはよー」
「お、おはよう……ございます……?」
 生首と目が合った。拍子抜けするほど普通な対応に、僕も思わず返事をしてしまう。
 ありきたりな挨拶だけれど、生首の女は何だか告白を受けたかのように嬉しそうだった。 頬を紅潮させ、首より下があれば両手で頬を押さえ、もじもじとしていそうな……。
「えへへへぇ。あっ、ごめんね気持ち悪くて。やっと私のことが見える人に会えたと思ったら嬉しくって。えへへぇ」
「あ、はい。だからそんな不気味な顔を……」
「なっ。起きて早々失礼な。女の子に不気味とか言っちゃだめでしょっ」
「いや、自分で気持ち悪いって言ってたし。ていうか、生首だし……」
 拍子抜けが過ぎる。生首……死人と話している気がしない。
 死人と話している時点で頭の痛くなる状況なのだが、まあそこはそれ、今目の前にあるのが現実なのだから仕方が無い。というか、本当に頭が痛い。
 どうやら僕はトンネルの中で眠っていたようだ。仰向けで眠っていたらしく、身体を起こすと後頭部に鈍い痛みと、湿った感覚がした。触れると泥が付いていた。
 帰ってから洗えばいいか……。生首が前で漂っていると、他のことはどうでも良くなってしまう。
 息を吐いて、改めて生首を見る。
 よく見ると僕と同年代くらいの少女だ。まだ成長しきっていない、幼さの残った顔立ち。 血色は良い。健康的な肌色だ。やはり到底死んでいるとは思えない。首から下を手品か何かで隠していると言われても、そりゃそうだと納得できる。
 そんな生首。霊魂と長い黒い髪を星の尾のようにしながら、くるくると宙を泳いでいる。「あ、あの……生首さん?」
「何か縁起悪いんでそれやめてください!? あ、私の名前は加古です。よろしくお願いします」
「あ、はい。加古さん。僕は綿野雛月です。それで、いくつか質問があるんですけど……」
 とりあえずと、僕は彼女に聞きたいことを尋ねることにした。
 
 ……彼女から聞いた話を信じるなら、加古という少女は、平成の世で死んだらしい。
 彼女の家は古くは江戸時代から、千本釈迦堂で、斬首される罪人の手に握らせる普賢象桜の樹を育てていたという。彼女は、その家の末裔らしい。
 しかし彼女は都会で生まれた都会育ち。家のことなどほとんど知らないという。そんな彼女はある日、修学旅行で京都に行った際、嵐山で不幸の死を遂げた。
 観光シーズンでごった返していた人の群れに押され、電車に刎ねられてしまったのだ。そして当たり所が悪く、胴と首は電車の車輪で切断。そして現在に至るという。
「……あの、それ本当?」
「もっちろん。何の疑いもない事実だよ!」
 自分の死んだ話を、まさか死んだ本人の口から直接聞かされるとは思わなかった。しかも随分楽しそうに話すし。反応にとても困る。
「何で胴体ないんですか?」
「何でだろうね? 切り離されちゃったからかな」
「嵐山で死んだのにどうして此処に?」
「此処って観光スポットの一つだから、生首が自然に出てきても平気かなーって」
「本当は死んでなかったり……」
「死んでるよ!? ほら、よく見て!?」
 死んでるのに、生きてる僕より生き生きとしている。
 何だろうこれは。クラスの人にも見せられれば良かったのに。
「信じられないなら、写真とか撮ってみる?」
「え。いいの?」
「いいよいいよ。死んでるから、写らないし」
 なるほど確かに、それを見れば一瞬で納得できる。
 すぐさまスマホを取り出し、カメラを起動。加古さんをレンズに向けると、やはり彼女は液晶に写らなかった。
「……ほんとだ」
「ね? 信じてくれた?」
「は、はあ。まあ、一応は」
 しかし、これで改めて納得できた。
 加古さんは死んでいて、生首で、僕の前に現れている。
 さて、漫画や映画で幽霊が人の前に顔を出したとき、次にすることと言えば……。
「……まさか、僕呪われたり、殺されたりするの?」
「ふぇ?」
 ……。違うらしい。
「あはは。違うよ~。私はね、キミ頼にみたいことがあったんだ」
「僕に出来ることなんてないよ」
「即答かぁ。聞いてくれてもいいのに」
 頬を膨らませる生首。僕は冗談だと言って、彼女の話を聞くことにした。
 そのときふと気が付いたことに、僕の恐怖心や震えは、いつの間にか消え去っていた。
「私ね、修学旅行の途中で、しかも初日の夕方に死んじゃったの」
「そう、みたいですね」
「うん。だからさ、修学旅行の思い出とか、なくてさ。それが欲しいな~って」
「えっ。そ、そんなこと?」
 その回答を聞いたとき、僕は思わず声を出してしまった。
 だって、自分が死んでいるんだ。その上で化けて出てきているのだから、復讐とか、嫌がらせとか、そういうのを考えているものと思っていた。
「あははっ。やっぱりキミもそう思う? でもいいじゃん。私まだ高校生だったんだよ? 楽しい思い出に浸りながら成仏したいじゃん?」
「そ、そんなものかなぁ……」
「そんなものそんなもの。死んだ人にしか分からないだろうね~」
 そう言って彼女はくるくると回り、また僕と目を合わせる。
「ごめん、ちょっと酔った」
「じゃあ回るのやめようね……」
 ここまで説明されたら、次に来る言葉は想像が付く。
 何だか振り回されそうで恐いので、『それ』はこちらから切り出すことにした。
「つまり加古さんは、僕に『思い出作り』を手伝って欲しい、と?」
「そうそう、そうなんです。でも死んでるので、キミの身体を少し貸してくれないかなーって」
「やだよ。僕だって修学旅行なんだ。二日目は班行動も無いし、楽しみたいし」
「大丈夫。私がキミと意識を共有するだけで、乗っ取るなんて出来ないから」
 そう言って、半ば強引に。
 彼女は僕の腹に向かって、体当たりを繰り出してきた。
 座っている体でそれを避けることはできず、幽霊だというのも忘れて衝撃に備えてしまう。そして、案の定衝撃は来ない。
「ね? 平気でしょ?」
 どこからか、声がした。
「……」
「あれれ、無反応? 意識は乗っ取ってないから、喋れると思うんだけどな」
 違う。これは誤魔化しだ。今更、現実から目を逸らしたかっただけだ。
 誰だって信じたくは無いだろう。
 ――自分の声が、自分の意思とは裏腹に勝手なことを言い出すだなんて。
「あの……正直言って良いですか」
「あ、よかった生きてた。何々? 美少女に身体使われて恥ずかしい?」
「滅ッッッッ茶苦茶気持ち悪いです!!!」
「酷い!?」
 トンネルに、僕の声だけが響き渡る。
 加古さんは残念そうに僕の腹から出てきた。入るときには気が付かなかったが、彼女が出てきたとき、何となく身体が軽くなったような気分になった。
「まあこんな感じで取り憑いて、キミと意識や感覚を共有することができれば、私も外に出られるんだけどなーって」
「はぁ……」
 ため息をついて、改めて彼女を見る。
 生者よりも生き生きとした生首幽霊。正直、その後彼女に散々振り回される未来しか見えない。
 けれど、目の前で堂々と『貴方に取り憑きます』と言われるのも珍しい。というか、一生かけてももうこんな体験は出来ないだろう。
 幽霊に取り憑かれるという薄気味悪さはあったが、悪い幽霊では無さそうだし、生首の女性と一夏の思い出を共有してみる。そんな経験もまた面白そうだし。
 それに何より……。
「……まあ、最終日までで良かったら、いいですけど」
「!! ほんと!? やったー!」
「その代わり、当日の予定は僕が決めるから。いいね?」
「いいよいいよ! あ、お分かれるときは金毘羅宮に行ってね? あそこで縁切りできるから」
「了解」
 初めて人に頼られた。
 それが例え幽霊だろうと、その嬉しさが、僕の首を横に振らせなかった。