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 二年前。日本は京都にて。
「本日よりEHO京都支部配属になりました、荒衛(あらえ)カンナです。よろしくお願いします」
 この日は、カンナが念願の京都支部に配属されて初めての日だった。
 日本には京都支部以外にも全国に支所があり、新人の多くはそちらに配属されるのだが、採用試験の成績と自宅が京都市内にあったことでカンナはここの配属になった。高校卒業と同時に研修施設に入り、半年後の今日からは正規のメンバーとして活動していくこととなる。成績もさることながら、その若さも周囲から驚かれる要因であり、彼女を天才と呼ぶ声も少なくない。
 だが、それは誤りだ。カンナはたゆまぬ努力の果てにここに立っている。カンナを表すならば秀才の方が正しいだろう。だからこその念願なのだ。気合いの入り方も並みではない。新調してもらったスーツに、慣れないメイクをし、集合時間の一時間前にはここに到着していた。しかし、どうも周囲の雰囲気とは違うらしい。
「荒衛クンはなんと採用試験の首席合格者だそうだ。みんな、仲良くしてやってくれ」
 カンナの左前方に立つ男が言うと、小さな歓声と拍手が起こった。といってもそれぞれが発する音は十分なもので、歓声や拍手が小さいのは何より、人が少ないからだ。カンナの前には二人。大柄な女性と、やや小柄ながらも筋肉質な男性、それぞれが自分のデスクに腰掛けながらこちらに拍手送っていた。
 その他に物が置かれているデスクは一つだけで、これは左前方の男、この京都支部の支部長のものだろう。支部長はよれたシャツに無精髭、下はビーチサンダルと、たいへんラフな恰好をしている。どう見ても、休日だけどたばこが切れたので買いに来ました、という風体だ。
 デスクは他に二つあるが、使用している様子はないため、京都支部のメンバーはこれで全員なのだろう。思ったよりもずっと少ない。それに他二人も、支部長ほどではないにしろ、ラフな恰好をしていた。そして、カンナの隣の者も。
「同じく京都支部配属になりました、母里(もり)カイエイです」
 カイエイと名乗った青年はカンナと同程度の年齢に見えた。彼も新人のはずだが、Tシャツにカーゴパンツと実に動きやすそうな服装だ。普通なら常識がないと馬鹿にされるところだろうが、これではカンナの方が浮いて見えてしまう。
 そして、カンナが何より気になっていたのは、カンナは彼を見たことがないのだ。これはなにも当然のことではない。EHOの試験は受ける人数も少なければ、受かる人数はもっと少ない。今年の合格者はカンナを含め三人、あとの二人とは面識もある。つまり、彼は正規の合格者ではなく、裏口合格者なのではないだろうか。
 努力を重んじるカンナにとって、ましてや憧れの京都支部に裏口で配属など許せることではない。今すぐ問い詰めたいところではあるが、どうせすぐに痛い目を見ることになるだろう。この世界は、そう甘いものではないのだから。
「それじゃあこっちの紹介も。さっきも言ったがあらためて、ここの支部長をしてる四畳(しじょう)だ。んで、そこのアホっぽいのがイノさん。そっちのデカいのがクマさんだ」
「ちょっと、僕らの紹介雑じゃないですか?」
「支部長、女性にデカいとはなんですか」
「はいはい、解散解散。仕事始めるぞー」
 大柄な女性クマさんと、小柄ながらも筋肉質な男性のイノさんは、その後も文句を言いつつも、自分のデスクに向かい渋々仕事を始める。クマさんとイノさんは本名ではないと思われるため、カンナが後でちゃんと自己紹介をしようと考えていると、四畳に声をかけられた。仕事の説明でもしてくれるのだろう。
「二人とも、このアプリ入れといてくれ。何かあればここから連絡するし、してくれ。あとは二人で市内パトロール。アプリのマップにチェックつけといたから、そこ回って異常ないか確認してまわるように」
 以上だが質問は、という言葉で極めて簡易的な説明は締めくくられた。正直、大雑把すぎてどこから質問すればいいのかわからない。
 するとカイエイが小さく手を挙げた。質問の合図と受け取り、四畳もそれを促す。
「俺とこいつで回るのか?」
「荒衛クンは京都出身だし、問題ないでしょ。」
「いや、そういうことではなく、初日から新人二人で行動させるのか」
「そっちも平気だと思うよ。荒衛クン優秀だし。それに、見ての通り人不足でね」
 カイエイの指摘はもっともだと思うが、人不足が相当に深刻なものであることも事実だろう。三人分の一人はあまりに大きい。ここはいち早く一人前になるためにも、任された仕事を着実にこなしていくしかない。カイエイもそれを理解したのか、それ以上何も言わなかった。
「じゃあ二人ともよろしくね」
「はい!」
「あー、あと荒衛クン。それ、着替えて行くといいよ」
「……はい、そうさせていただきます」
 そうして、二人は指定のアプリをインストールし、さらにカンナは着替えを済ませ、市内のパトロールへと出発するのだった。

                * * * * *

「それで、パトロールって何するんだ?」
「何って、霊脈のチェックですよ」
「それは知ってる。その霊脈のチェックってのをどうやるかだ」
「そんなことも知らないんですか?!」
 早速市内を歩いていると、カイエイがそんなことを言い出した。さすがにこれは、カンナも呆れを隠しきれない。そんなことでよく配属の許可が下りたものだ。霊脈のチェックといえば、EHOの基本業務の一つ。最も基礎的な部分と言っても良い。研修でもまずこれを最初に習う。
 そもそも、EHOとは地球保健機関の略称で、その名の通り、惑星の健康を管理、維持する機関である。次いで、霊脈というのは惑星の持つエネルギー、霊気の通りであり、EHOでは惑星の血管と呼称することもある。つまり、霊脈のチェックとは、惑星を一つの生命体に見立てた場合の血管のチェック、健康診断のようなものだ。霊脈の状態は日毎に変化するため、これを正常な状態に保ち惑星の健康を守る、ひいてはそこに住む人類を守ることがEHOに与えられた使命なのだ。
「って言われてもな。俺の専門じゃない」
「何が専門ですか。一にも二にも基本が大事。毎日の健康管理を怠らなければ大きな病気になったりはしないのです」
「果たしてそう上手くいくかねぇ」
 つくづく呆れた男だ。業務に対する知識もなければ意識も低いとは。帰ったらもう一度ペア解消の交渉をしようかと考えつつ、カンナはインストールしたアプリのマップページを開いた。
 現在二人がいるのは北野天満宮付近。京都支部自体はこの近くの一条通りから一本入った場所にある。京都には地元の者でも使わないような細い路地がいくつもあり、実際、カンナですら迷ったのではないかと思ったほどだった。
 マップには四畳の言葉通り、いくつかのバツ印が付けられていた。この場所の霊脈を確認していくことが今日の仕事だ。ここからだと、金閣寺が最も近いだろう。
「おお、さすがは都市全体が神殿と言われることもある。霊地霊脈がこんなに」
「なんですそれ?」
「霊地というのは霊脈上にある霊気の溜まり場のことで……」
「そっちじゃないです。都市全体が神殿って?」
 カンナがカイエイの言葉を遮って聞くと、カイエイは渋々ながらもそちらの説明を始めた。曰く、かつて京都に存在した平安京。これは世界でも珍しい都市神殿なのだという。
「日本の神殿の様式とは違うかもしれんが、仏教、道教が習合していると考えれば十分神殿の形式は保たれている」
「でも祀る神は? 神殿ならその中身が必要なはずです」
「いるだろ。ど真ん中に」
 カイエイの言葉を反芻し、カンナは自分の知識と照合する。そして、一つの結論が導き出された。
「そうか、天皇」
 カンナの回答を受けて、カイエイは首肯する。神の末裔とされる皇族もまた、現人神として神道では神として捉えることがある。であれば、天皇を中央に置いた平安京を、一つの神殿として見ることは不可能ではないかもしれない。また、細かな霊地が多い京都だが、京都市一帯を巨大な霊地として見ることもある。霊地上には寺社仏閣が建つことが多いことから考えても、平安京を神殿として見ればこれに合致する。
「変なところで詳しいんですね」
「ちょっと聞きかじった程度だ。具体的にどういう要素で神殿化してるのかは知らん」
「でも、そう考えると昔から妖怪なんかが多いのも納得です」
 二人がそんな話をしていた時だ。突然、カンナが手に持ったままだったケータイが震えた。同時、けたたましい通知音がカイエイのズボンポケットからも響いた。どうやら、メッセージの通知らしいが、それにしては随分と緊張感を煽る通知音だ。だが、そのメッセージに目を通した瞬間、それが全くの誇張ではないことをカンナは理解した。
『緊急。京都支部各員。霊脈の異常な乱れを確認。魔物出現の虞あり。至急霊脈の正常化及び魔物切除にあたられたし』
 このメッセージはどうやら、緊急時に自動送信されるタイプのものらしい。ここは一度支部長に指示を仰ぐべきだろう。カンナはその旨をカイエイに伝えようとするが、そのカイエイはあらぬ方向に目を向け、不敵な笑みを浮かべていた。カンナもその目線の先、自身の背後の建物、その屋根の上を見る。そこには、カンナの想像を超えるモノがいた。
「これはまた、随分とらしいのがきたな」
「そんな、まさか……!?」
 そこにいたのは、屋根の縁に手をかけた筋骨隆々の大男。だが、その肌は漆のように黒く、針金の束のような頭髪からは三本の角が生えている。その姿は正しく、この国に古くから語り継がれる鬼そのものだった。
「ステージ3!? でも、いくらなんでも早すぎる!」
「初日からこんなのに会うとは、これが京都ってやつか」
「馬鹿なこと言わないでください! こんなの、私も初めてです!」
 二人の目の前に現れた鬼こそ、先ほどのメッセージの中にあった魔物の正体。魔物とは、霊脈の乱れによって生じる、霊気から構成された生物的な現象の総称だ。妖怪や西洋の悪魔といったものもこれに含まれ、EHOでは惑星のがんとも呼称する。つまりは、この魔物こそ惑星の健康を脅かす大敵。これを切除することも、EHOが対処すべき重要な使命なのだ。
「だから言っただろ。日々の健康管理が万全でも突発的に起こることはある」
「その話はあとでたっぷりと聞かせてもらいます。それよりも、今は早く逃げましょう!」
「おいおい、俺たちが逃げて誰があれを倒す? 民間にも被害が出るぞ?」
「だから早く支部長たちに報告して助けを……」
「まぁ確かに。新人には荷が重いか」
 この男は何を言っているのだ。自分だって新人、それも霊脈調整すらできない素人ではないか。
 ちなみに、魔物はその危険度別にステージというランク分けがされている。ステージ3は物理干渉能力を有した第二位の魔物が分類されるランクだ。間違っても新人が戦えるような相手ではない。今のカンナでは、同等の実力者が五人いて初めて安全にステージ2が切除できる程度だろう。ステージ3となっては、カンナ程度が何人いても話にならない規模といっていい。
 知識がないとはこうも恐ろしいものか。敵の脅威すら計れないとは。すぐに痛い目を見るとは思ったが、死なれてしまっては寝覚めが悪い。カンナは必死に制止を試みるも、カイエイがそれを聞き入れることはついになかった。
 カイエイはすぐ近くにあった工事現場からコーンバーを掴み取ると、それを今なお屋根の上からこちらを見下ろす鬼へと向けた。
「さぁ、降りてこいよ。本場の鬼ってやつを見せてみろ」
 カイエイの挑発が効いたのか、鬼は鼻息を荒くして二人の目の前に降り立った。ドシン、という着地音が、ステージ3の証拠である確かな質量を示す。至近距離で見たことで、あらためてその大きさに驚愕する。両腕を地面に付け、上半身が屈んでいるのにも関わらず、その体高は優に二メートルを超えている。直立すれば三メートルをも超えるだろう。
 こんなものを、本気で倒すつもりなのか。それも、あんなどこにでもあるようなプラスチックの棒でだ。
 そして、カイエイがコーンバーを居合のように構えた瞬間、鬼は大仰な唸り声を上げ、その丸太の如き太い腕を振り上げた。
 それでも、カイエイが焦ることはない。深く腰を落とし、静かに、されどはっきりと、その呪文を口にした。
「我、母里カイエイが汝に名を与える。汝の名は秋風。魔を断ち、鬼を斬るものなり」
 鬼の腕が振るわれると同時、カイエイもまた、コーンバーを振り抜いていた。
 カイエイの身体を砕くはずだった拳は果たして、カイエイに届くことはない。代わりに、その一振りを受けた鬼は、上半身と下半身を分かたれ、声もないままに霧散した。
「ステージ3を、一撃で……!?」
 それは正に、名刀を振るったが如き見事な一撃だった。強大な鬼がまるで巻藁のように両断されたのだ。実は始めから強くなかったのではないかと錯覚してしまうほどに、カイエイはあっさりと、そして鮮やかに魔物を切除してみせた。
「あなたは、一体……?」
 どう考えても新人にできる芸当ではない。いや、長らく経験を積んだ者であったとしても、それができるのは選ばれた者たちだけだろう。カンナは恐る恐るカイエイに問うた。
 一方のカイエイは、コーンバーをもとの場所に戻しながら、自らの驚くべき経歴をこともなげに告白する。
「そういや言ってなかったか。俺、異動になったんだ。アテネから」
「な、アテネって、本部じゃないですか!?」
 なるほど、道理で知らないわけだ。カイエイは京都支部に来る以前も、EHOに所属していたらしい。だが、それがアテネ本部だというから驚きだ。本部というだけはあり、その規模は世界一。もちろんそこに配属される人員も世界トップクラスの実力者に限られる。そのハードルの高さは、京都支部とは比べものにならないだろう。
 もし、これを言われたのが五分前であれば、カンナが信じることはなかった。だが、ステージ3を一撃で切除されては信じるほかない。むしろ、そうでなければおかしいと思えるほどだ。
 あるいは、こういう者をこそ、真の天才と呼ぶのだろう。霊脈調整の仕方も知らないということは、彼はその実力のみでEHOに所属していることになる。裏口は裏口でも、その能力を買われ、スカウトのような形でEHOに所属しているのではないかということだ。先ほどの専門というのも、アテネでは切除のみを担当していたということなのだろう。そういった者たちがいることは、カンナも聞いたことがあった。
 そう、例えば彼女などがそうだったはずだ。
「あの、麹馬ナギさんに会ったことってありますか?」
「あ、あるけど。それがなんだよ……?」
「私、麹馬さんに憧れてここに入ったんです!」
 麹馬ナギ。彼女は元京都支部のエースで、現在はアテネ本部で活躍中の女性だ。カンナがEHOを目指したきっかけでもあり、京都支部に入りたかったのも彼女がここの所属だったからだ。彼女はアテネ本部の所属でありながら要請に応じ世界中で強力な魔物を切除して回ることを使命としている。
 興奮気味のカンナに対し、ナギの名を聞いた途端微妙な表情になっていたカイエイは、話を戻すべく、カンナを諫めた。
「それより、報告しなくていいのか? たまたまとはいえ、切除は迅速に完了した。あとは人呼んで霊脈の正常化しなきゃだろ?」
「あ、そうですね。幸い人もいませんでしたし、事後処理自体も楽に済みそう……」
 その時だ。安心していた二人の耳に、再びけたたましい警告音が響いた。だが、今度の発信源はケータイではない。街中のサイレンが唸りを上げていたのだ。
『こちらは京都市です。ただいま、京都市全域で、霊気災害特別警報が発表されました。市内の方々は直ちにお近くの避難所まで避難してください――』
「そんな、魔物は切除したのに」
「どうやら思ったよりずっとヤバいらしいな」
 生まれてから十八年、ずっと京都に住んでいるカンナですら、このような事態は記憶にない。普段は精々注意報で、目に見えて被害が出たことなど数えるほどしかなかった。だが、今はそこかしこからサイレンの音が響き、避難を呼びかける放送が絶えず流れている。人の集まっている場所はパニックに陥っているに違いない。人のいないここからですら、人々の混乱する声が聞こえるような気がした。
 カイエイもまた、現状を計りかねているようで、二人は実質立ち往生している状態だった。そこへ、やっと助け船が出される。カンナのケータイが、今度こそ普段聞くような通知音を発し、見れば四畳からの着信があった。
「はい、荒衛です」
『連絡が遅くなって済まない。如何せん緊急事態の連続でね。対応が追いついていないんだ』
「いえ、それより状況はどうなってるんですか?」
『そこに母里クンもいるね? ならスピーカーに切り替えてくれ。ざっと説明するぞ』
 言われた通り、カンナは通話状態をスピーカーに切り替え、カイエイにも聞こえる位置に持ってくる。そして、四畳によるまたしても極めて簡潔な説明がもたらされた。
『霊脈の異常が確認されたのはほぼ市内全域。同時に魔物も市内に多数発生している。今回の霊脈異常の原因はおそらくステージ4の発生によるものだ。発生している魔物は転移体と思われ、現在は鬼と鵺が確認されてる』
 四畳の口から飛び出した単語にカンナは思わず息を飲んだ。ステージ4。それはこれ以上の存在しない魔物の末期状態だ。ステージ4の魔物は存在するだけで周囲の霊脈を乱し魔物を発生させていく。これは転移体と呼ばれ、ステージ4を切除しない限りは際限なく湧き続ける。一体のステージ4の出現により魔物の大群に埋め尽くされた土地は歴史上にも少なくない。伝承に語られる大妖怪などのほとんどはステージ4の魔物であったとされ、転移体を含めかつて百鬼夜行と呼ばれたものの正体でもあるのだ。
『君らにはこのステージ4の居所を探してほしい。ステージ2以下の魔物は無視してステージ4の捜索を最優先。発見次第報告してくれ。以上だが質問は?』
「ステージ4との交戦許可は?」
『……いいよ、存分にやってくれ。ただし、報告だけは絶対だ』
「母里、了解」
『荒衛クンはどうする? 何なら支部の方に戻ってくれても構わない。人不足はどこも一緒だ』
 普通に考えれば、ほとんど一択だ。ステージ4など近づくだけで十分に命の危険がある相手、さらには転移体もいる。昨日まで一般人だったカンナではできることなど微々たるものだろう。だが、ここで行かなければ隣に立つ少年との差は決して埋まらないものになってしまう気がする。特別な才能がないからゆえの意地というものはあるのだ。
「私も行きます」
「いいのか?」
「まさか虱潰しに回る気ですか? ガイドブックで見るより京都は広いですよ?」
 そもそも、致命的に知識の足りないカイエイを一人にするということが考えられない。霊脈のことも魔物ことも京都のことも、カンナがいなければわからないことだらけだろう。
 カイエイも、それをカンナなりの覚悟と受け取り、それ以上は言わなかった。
『話はまとまったみたいだね。それじゃあ、二人とも頼んだよ』
「はい!」

                 * * * * *

「それで、どこかアテはあるのか?」
「実は特に。でも、任せてください。必ず見つけます」
 まずはもう一度情報を整理しよう。魔物は何も理由なく鬼の姿を取るわけではない。発生源となった霊地によって魔物はその姿を変えるのだ。また、現在は市内全域に乱れが及んでいるが、まず特定の発生場所があり、そこから市内全域に乱れを広げたと見るべきだろう。転移体は本体の影響を強く受けることも考えると、現在確認されている鬼と鵺、これらと関係の深い場所に親玉がいるに違いない。
「ならあれじゃないか? 鬼門ってやつ。平安京の構造からしても陰陽道との関わりは深いらしいし」
「たぶんそれはないと思います。それこそ平安時代から鬼門対策は万全ですから。裏鬼門も同様に」
 鬼門というのは、陰陽道において鬼が出入りするとされる方角のことで、北東の方角にあたる。裏鬼門はその対角、南西の方角だ。陰陽師全盛期である平安時代でも当然気にされ、平安京から見て北東の方角にある比叡山には延暦寺が置かれるなど鬼門封じが徹底されている。鬼だからこそ鬼門からは現れない。矛盾しているようだが、少なくとも京都ではほぼ間違いなく言えることだった。
「裏鬼門か……。なんで対角なんだ?」
「なんでって言われましても。逆にどこならいいんですか」
「鏡の中の世界って聞いたことないか? あっちの方が裏側って言われてしっくりくる。それだと左右のみの反転だから、北西だな」
 さしずめ鏡鬼門とでもいったところだろうか。おもしろい論ではあるが、さすがに突拍子もなさすぎる。だが、それを否定しようとしたとき、ある考えがカンナの頭に過ぎった。
「いや、北西には確か……。そうか、酒呑童子って知ってますか?!」
「ああ、日本でも特に有名な魔物だな。あれもステージ4だったらしいが」
「酒呑童子の発生地は今の大江山だと言われています。大江山があるのは平安京から見て、北西です」
 鬼の頭目とも言われた酒呑童子が発生したということは、そこもまた鬼と深い関わりがあったということだ。そしてその伝説も含め、現在の大江山は鬼と関わりの深い霊地であることは間違いない。
「もしかすると、鬼門と裏鬼門が封じられたことで行き場をなくした鬼が溢れだしたのかもしれません」
「ならステージ4は大江山か!」
「いえ、それだと一つ問題が」
 問題となるのは、もう一つの転移体、鵺の存在だ。カンナの知識上、鵺と大江山に目立った関わりはない。そもそも同一の魔物から鬼と鵺が生まれること自体よくわからないが、関わりがないということもまたありえないのだ。
「とすると、残りは鏡裏鬼門じゃないか? それならどうだ」
「もうほとんど原型残ってないですね……。それだと南東、いや巽の方角か」
「巽の方角ってのは?」
 かつての日本では、十二支を当てはめることで方角を表していた。巽の方角とは、辰と巳の間の方角という意味で、現在の南東にあたる。同様に鬼門のある北西は艮、裏鬼門の南西は坤の方角となる。
「そうか、そういうことですよ!」
「そうか、どういうことだ?」
「鵺は猿の頭、虎の手足、蛇の尾を持った妖怪です。この動物、覚えがありませんか?」
「なるほど。猿は坤、虎は艮。それぞれ鬼門と裏鬼門に含まれる動物。もし蛇も方角から追加されたものだとすれば」
 ステージ4がいるのは平安京の南東。
 これなら、鬼であり鵺である説明もつく。鏡裏鬼門というと胡散臭いが、酒呑童子という巨大な前例を考えれば、あながち間違いでもない気がした。
「ならあとは南東のどこか、だな。鬼と鵺に関係してそうなのあるか?」
「鬼と鵺かはわかりませんが、それらしいのなら一つ」
 ならばそこに賭けるしかない。カンナとカイエイは急ぎ移動の準備を開始する。今二人がいる北野天満宮周辺は平安京から見ると北西、ほぼ市の反対側に位置する。警報により電車やバスは使えないだろう。とはいえ走って向かうにはかなりの距離がある。
「早く乗れ!」
 そう言ってカイエイが示したのは、一台の自転車だった。もちろんカイエイのものではない。緊急時ゆえ、自転車を拝借することには目を瞑るとしても、自転車でも大幅な時間削減にはならないだろう。それでもカイエイは迷うことなく自転車に跨がると、カンナも荷台に乗るよう急かしてくる。渋々カンナも荷台に跨がると、カイエイは驚くべき荒技を見せた。
「我、母里カイエイが汝に名を与える。汝の名は天馬。空を駆る者なり」
 次の瞬間、自転車は宙に浮かび、そのまま走り出した。
 カイエイが漕いでいるわけではなく、ひとりでに、自転車は大空を駆けていく。それは、本当に自分が天馬であると思い込んでいるような、見事な疾走だった。
「さっきも思いましたけど、とんでもない魔術ですよね、これ。どこの系統なんです?」
「いや、俺のオリジナルだ。強いて言えば親の影響は受けてるから一応日本にはなるのかもな」
「確かに、言霊に似てると言えばそうかもです」
「俺はものに名前を与える。名前を与えられたものは、その名前の通りの在り方に変質するんだ。色々できるが、まぁ誓約も多い。それに、名前ってのは大事にしなくちゃいけないからな」
 EHOに所属する者たちはそのほとんどが、霊気を利用した特殊な力を扱うことができる。これを魔術と呼び、魔物と同様、魔術の形態は洋の東西で様々だ。カンナも魔術を扱うことができるが、カイエイのそれは規格外のものと言って良い。だが、そんな強力な力であるからこそ、カイエイはそこに明確なモラルを持っているのだろう。
「何にせよ、こっからは俺の番だ。さっさとステージ4も切除しちまおうじゃねぇか!」
「はい、行きましょう! 八坂神社へ!」

               * * * * *

 八坂神社は四条通の東のつきあたりに位置し、有名な祇園祭りが執り行われる場所として知られている。普段は多くの車が行き交い、観光客の賑わいに溢れる場所だが、今は閑散としていてどこか寒々しい。また、近づけば近づくほど、暗雲が立ちこめ辺りが暗くなっていった。とても嫌な気を感じる。間違いなく、この先には何かがいる。
「あそこです! あの門の先が境内です」
「上からは無理そうだな。下りるしかないか」
 二人は上空から四条通に沿って進み、その終点たる八坂神社の西楼門までやって来た。本殿の辺りまで空から行ければ良かったのだが、通路が狭く木も茂っているため下りられる場所はなさそうだ。唯一、本殿の前は開けた場所になっていたが、やはりここが霊脈の乱れの中心なのだろう。乱れた霊気が渦を巻き、とてもではないが不安定な空中からの侵入は困難と判断した。
「それにしてもすごい量ですね」
「正解の証明と受け取ろうぜ」
 二人の推論が真実であることを告げるように、西楼門の前は魔物で溢れかえっていた。見たところステージ3以上のものはいないが、まるで濁流だ。このまま放置すれば街は魔物に埋め尽くされてしまうだろう。
 一刻も早く、ステージ4を見つけ切除しなくてはならない。ここからは徒歩で向かわなくてはならないため、少々無謀ではあるが、二人は濁流の中へと着地した。
「なんて密度。頭がクラクラする」
「長居は無用だな。急ぐぞ」
 まずは通路の確保だ。このままではまともに進むことすらできない。周囲の魔物を散らすべく、カイエイがその拳を振るい、カンナもそれに続く。
「我が拳の名は聖拳。邪を遠ざけ魔を祓うものなり」
「散れ!!」
「ほう、霊気を強制的に散らしてるのか。なかなかいい魔術だな」
「それはどうも。この程度のやつらにしか効きませんけど、ね!」
 ステージ2以下の魔物は物理的に影響力を持たない、霊気の淀みのようなものだ。ゆえに霊気を散らすことで、身体の結合を強制的に崩壊させてることができる。カンナの魔術は初期の魔物に限れば特に効果的な魔術の一つだった。
 だが、如何せん量が多い。二人が散らしたそばから新たな魔物が進路を塞いでいた。西楼門はすぐそこだが、最初の位置からほとんど動けていなかった。
「これマズくないですか? 私体力には自信ないですよ?」
「確かに。ジリ貧にはなりそうだな。少し危険だが強行突破するか……」
「おっと、それいただけない。切り札は温存しないとね」
 その時だった。どこからか聞き覚えのある声が響く。二人が声のした方を向くと、二人の頭上で、大量のカラスがこちらを見下ろしていた。
 それがただのカラスではないことは明らかだったが、驚いたのはこの後からだ。カラスたちは二人の周りに下りてくると三つの黒い塊を形成し始めたのだ。そして、黒い塊は徐々に人型へと変わっていく。そこに現れる三人など、カンナは一つしか思いつかない。
「やぁ、大変そうだね二人とも」
「支部長!」
 それにイノさんとクマさんも一緒だ。ついに京都支部のメンバーが駆けつけてくれたのだ。
「僕の烏より先に見つけるとは、今回の新人はとっても優秀だ」
「じゃあやっぱりステージ4は」
「ああ、ここにいる。母里クン、荒衛クン。任せられるかい」
「おう、当然」
「はい、任せてください」
 二人が返事をすると、四畳は満足そうに頷いた。彼らが道を作ってくれるということなのだろう。
「だが、ここに全員いていいのか? 他にも魔物が出ている場所はあるだろう?」
「それなら心配ないよ。とっても頼りになる人に任せてきたから」
 日本のトップが頼る相手とはどんな人だろうと気になったものの、今はそれどころではない。早くステージ4のもとへ向かわなければ。
「それじゃあ任せたよ。烏よ、彼らに道を」
 四畳が唱えた瞬間、再び大量のカラスが現れる。カラスたちは魔物を押しのけ、連なり、濁流の中に道を出現させた。さすがは支部長を務める男の魔術。これなら本殿へ向かうことができる。
 二人は四畳たちに礼を述べ、カラスの道を走り出す。西楼門をくぐり分かれ道を右へ。その先はすぐに本殿だ。
 そして、それはついに二人の前に姿を現した。
 本殿を左手に見る広場の入り口。その正面には舞楽を行うための舞殿という建物がある。その中央に、それはいた。舞殿の周りにかけられた提灯のせいで下半身しか確認できないが、明らかにこれまでの魔物とは違う。最初に遭遇したステージ3ですら、まだ可愛いものだということがよくわかる。それだけの威光をそれは放っていた。
 カイエイが一歩広場へ進み出ると、提灯が大きく揺れ、カラカラと音を立てる。そして、外敵の侵入を認めたステージ4もまた、多量の提灯を押しのけその全貌を晒した。
 雄牛の頭部に虎の腕。猿の胴体に、羊の下半身からは蛇の尾が生えている。今回の鵺がそうであったように、方角を表す動物の姿を持ち、天を衝く日本の角は正しく鬼のそれだ。不気味で不揃いな姿ではあるが、そこには神々しささえ感じられた。
「これが、ステージ4。今回の元凶……」
「これはまた見事な。ギリシャのミノタウロスや悪魔バフォメットのようではあるがそのどちらとも全く違う」
「たぶん、あれは牛頭天王です」
 カンナの発したその名に、ステージ4はピクリと反応を示した。
 現在の八坂神社の祭神は素戔嗚尊であるが、明治以前、ここがまだ祇園神社と呼ばれていた頃の祭神が牛頭天王である。牛頭天王はその名の通り、牛の頭を持つ祇園精舎の守護神であるとされる。
 無論、あのように様々な動物を合わせた姿をしていたという記述はないが、ここが八坂神社であるのなら、あれは牛頭天王と呼ぶべきものだろう。カンナがこの八坂神社にあたりをつけたのも、この牛頭天王を知っていたからだ。
「どうやら、気に入ってくれたみたいだぜ?」
「どういうことです?」
「やつには名前がない。だから、自分がどうあるべきか、それが定まってなかったのさ」
 名前とは、その存在を表す極めて重要な要素だ。存在そのものが名前を変えることもあれば、カイエイの魔術のように、名前が存在を変えることもある。
「ならば、我、母里カイエイが汝に名を与えよう。汝の名は、牛頭天王なり」
 ブルり、と牛頭天王が震えた。今までただのステージ4の魔物であったものは、これより牛頭天王となり、そうあるべく振る舞うだろう。ならばあれが牛頭天王あることは疑いようもない。名を与えられた魔物は、それを喜ぶように天に向かって吠えた。
「来るぞ!」
 どこからともなく現れた巨大な斧を掴み、牛頭天王が突進を仕掛けてくる。名前が与えられたといっても魔物である事実が変わるわけではない。牛頭天王にとって二人は敵であり、二人にとっても切除すべき魔物であることには変わりないのだ。
 雄叫びとともに、巨大な斧が振り下ろされる。それは石畳を簡単に砕き、二人の命を奪うべく襲いかかる。当たれば無事ではすまないだろう。
「離れてろ! さすがに無理だろ!」
 確かに、カンナではカイエイの足でまといになってしまう。戦闘が始まってしまったからには、カンナにできるのは祈ることのみだ。
「我が肉体の名は剛健。強く逞しきものなり!」
 カイエイが牛頭天王に肉薄し、その拳を振るう。己の肉体まで強化できるとはなんとも便利な魔術だ。だが、さすがに相手はステージ4。カイエイの拳を受けても、全く微動だにしなかった。正にステージ3とは格が違うといったところだ。
 それでも牛頭天王はカイエイを敵として認めたらしい。カンナに背を向け、カイエイと対峙する。交わされる拳と斧の応酬。攻撃を与えているのはカイエイのみだが、ダメージはどちらも受けていない。互角の勝負とは言い難かった。
「もう少し広い場所はないか!? ここだと戦いにくい!」
「それならさらに東に円山公園があります!」
「ならそこに誘導する!」
 戦いにくいという言葉が強がりでなければ良いのだが、どちらにせよこのままでは八坂神社がめちゃくちゃになりかねない。舞殿の反対側の鳥居をくぐれば、そこがすぐに円山公園だ。木は多いが戦えるだけの広さはあるだろう。カンナが先導し、カイエイが牛頭天王と戦いながらそれに続く。
「汝の名は鎖! 我が敵を縛るものなり!」
 円山公園に入ってすぐ、カイエイは周りの木々に名を与えた。なるほど、カイエイも史跡である八坂神社には遠慮していたのだ。本来はこのように、周囲のものに名を与えながら戦うに違いない。
 名を与えられた木々たちは、その枝を伸ばし牛頭天王の身体を絡め取る。だが、これも目に見える効果があるわけではない。牛頭天王は強引に枝の鎖を引きちぎりカイエイを襲った。カイエイも戦場が広くなったことで攻撃を躱しやすくはなったようだが、有効なダメージを与えられなければ先ほどと大した変わりはない。
 そしてついに、牛頭天王の蹴りがカイエイを捉えた。
「大丈夫ですか!?」
 吹き飛ばされたカイエイがカンナの近くに着地し、そのまま転がっていく。最悪の事態を想像するカンナだったが、若干咳き込みながらも、カイエイはすぐに上体を起こした。
「このままだと勝てん」
「そんな、それじゃあどうすれば」
「荒衛。封印の解呪ってできるか?」
 そう言って、カイエイは自分の首筋を示した。よく見れば、そこには何か呪文が刻まれているのがわかる。これがカイエイのいう封印なのだろう。
「霊気のストッパーみたいなもんだ。外せば、全力が出せる」
 これだけの実力を持ちながら、未だ全力でなかったとは恐れ入る。だが、全力を出すことさえできれば牛頭天王を倒せるのだという。カイエイには霊脈調整の知識すらないため、自力での解呪は不可能なのだろう。
「これ、かなり複雑な封印です。並みの術者のものじゃない」
「だろうな」
「なので、解呪は不可能です」
 あるいは、時間をかければ可能かもしれないが、それは数週間、あるいは数ヶ月単位での話だ。今のカンナに、この封印を解くことはできない。
「まぁそうか。仕方ない、このままなんとか……」
「でも、封印を無効化に近い状態にすることはできます」
「なんだと?」
「もう忘れたんですか? 私の魔術は霊気を散らす、解呪はできませんが一時的に封印を散らすことは可能だと思います」
 カンナでは散らすことしかできず、この封印の出来ならすぐに封印を構成し直してしまうだろう。だが、僅かな間でも本気が出せるのなら、あの時のように一撃で仕留めることができるなら、それで十分なはずだ。
「任せとけ。一分でもあれば十分だ」
「たぶん、長くて三十秒ですけど大丈夫ですか?」
「……おう、頑張る」
 ならば重要なのはタイミングだ。絶対に仕留められる瞬間を作り出し、そこで仕留める。カイエイはその瞬間を作り出す。カンナはその合図があるまで、魔術の準備をし、できるだけ長い時間散らすことができるようにする。これで決まりだ。
 二人は頷き合い、カイエイは、もう一度牛頭天王の前まで駆け出していった。
「汝の名は底なし沼。もがくほどに自由を奪うものなり」
 カイエイが唱えるなり、牛頭天王の足元が固さを失った。地面が水分を多分に含んだ沼へと変わり、牛頭天王の足を沈めていく。
 カイエイは沼の外から木々の枝葉を伸ばし、攻撃。それを防ごうと、また沼から抜け出そうと牛頭天王がもがく度、沼は牛頭天王を呑み込んでいった。やがてすっかり下半身が埋まった時、カイエイはもう一度地面に名を与えた。
「汝の名は地殻。大地を成す固く強きものなり!」
 そして、底なし沼はもとの、いやそれよりも固い地面へと戻った。必然、牛頭天王の下半身は完全に身動きが取れない状態となる。さらに枝の鎖を伸ばし、虎の腕の動きも封じる。チャンスは今しかない。
「荒衛、今だ!」
「行きます! 散れ!!」
 駆け出してきたカンナの手がカイエイの首筋に触れる。次の瞬間、カイエイの身体中から霊気が溢れた。それは牛頭天王にも引けを取らないほどの、高密度の霊気だった。勝てる。思わず、カンナはそう感じた。
 そして、身動きが取れずにいる牛頭天王に、カイエイがまたも肉薄する。溢れ出る霊気を拳に集中させ、最後の呪文を唱えた。
「我が名は母里カイエイ。汝、牛頭天王を倒す者なり」
 カイエイの腕が突き出される。
 強大な霊気を纏い、宿命を背負った拳は、その名に違うことなく、牛頭天王を跡形もなく消し去ったのだった。

                * * * * *

 それから京都市に出現した魔物全ての切除が確認され、乱れた霊脈も四畳を中心に正常化されたことで京都市の霊気災害特別警報は解除された。カンナとカイエイはその後支部にて休んでおり、四畳たちが帰ってきたのは日付が変わる直前だった。
「まずはお疲れ様だ二人とも。初日からステージ4の切除とは、新記録だね」
「いえ、私は特に。それより事後処理を任せてしまってすみません」
「いいよいいよ。実際僕らもほとんど調整しかしてないしね」
 そういえば、市内の魔物切除に当たってくれた人がいたのだった。どんな人なのだろうか。
「そ・れ・は、私でーす!!」
 突如支部の扉が押し開けられ、一人の女性が飛び込んできた。その姿に、カンナは見覚えがある。
「あ、あなた麹馬さん……」
「げっ、クソばばあ」
「ちょっと、カイエイちゃん! げはないでしょ、げは。あと、ちゃんとお母さんと呼びなさい!」
「なら、まずちゃん付けをやめろ」
 そう、支部に乱入してきたのは、カンナの憧れの人、麹馬ナギその人だった。だが、そのナギが気になることを言っていた気がする。たしか、お母さんがどうとか。
「そう言えば荒衛クンは知らなかったね。母里クンのお母さんはあのナギさんなんだよ」
「ええぇぇぇぇぇぇーーーーー!!」
「いや、驚きすぎだろ」
「いやいや、だってあの麹馬さんですよ!?」
 そういえば、ナギにあったことがあるかと聞いた時、カイエイが微妙な反応していたが実の母親なら会ったことがあるのも当然だろう。それに、あのナギが魔物の切除に当たっていたのだとすれば、市内の全域という広さでも迅速な切除が可能だっただろう。
「でも、どうして麹馬さんが?」
「そりゃ勿論カイエイちゃんに会いに来たのよ。そしたらこんなことになってるじゃない? それで四畳くんに頼まれたの」
「いやー、不幸中の幸いってやつですね。ナギさんのおかげで民間への被害はほぼなしですよ」
 これはあとで聞いたことだが、四畳は京都支部時代のナギの一年後輩なのだそうだ。ちなみに年齢的には同じらしい。とてもそうは見えないのだが。
「さて、早速だけど、四畳くん。カイエイちゃん借りてくわね」
「あのナギさん、彼配属初日なんだけど……?」
「なんのために四畳くんに確保してもらったと思ってるの」
「おい、勝手に話を進めるな。俺はついて行かんぞ」
 カンナはもう完全に話についていけていなかった。これもあとで聞いた話だが、ナギはいつもこんな調子らしい。イノさんとクマさんもそれなりに苦労したようだ。
 そんな中、抵抗するカイエイの姿を見てナギが何かに気づいた。
「あれ、封印が乱れてる。これ自分でやったの?」
「いや、あいつだ。正直封印されたままだとステージ4はきつかったからな」
 急に自分に話が振られ、カンナは思わず戸惑ってしまう。なんとなく、この時初めてナギに認識された気がしたのだ。
「四畳くんあの子は?」
「彼女は荒衛クン。彼女も今日配属の新人ですよ」
「あなたがこの封印を?」
「は、はい。その、申し訳ありません。緊急時でしたので」
「ううん、怒ってるわけじゃないわ。まさか新人にこの封印がこじ開けられるとは思わなかったから感心しているの」
 憧れのナギにまじまじと観察され、カンナの緊張は頂点に達していた。そして、次の瞬間、ナギは耳を疑うようなことを口にする。
「よし、あなたも付いてきなさい」
「あの、ナギさん? うち相変わらず人不足なんですけど?」
「大丈夫。所属はそのままにしていいから」
「いやそれ責任だけ僕に取らせる気じゃないですか!?」
「なんのために四畳くん確保してもらったと思ってるの?」
 まさかのリピート。しかも先ほどよりも語尾が上がっているのが実に怖い。四畳も諦めて、好きにしてくださいとぼやいて自分の席に戻った。
「それじゃ二人とも、行きましょうか?」
「え? え?」
「おいこら、だから俺は行かねぇって行ってるだろうが!」
「カイエイちゃん、う・る・さ・い」
 カイエイも押し黙ったことで、まるで話がまとまったような状態になってしまった。だが、カンナは未だ何が起こっているのかわかっていない。
 そして、カンナとカイエイは、配属から一日も経たずに京都支部をあとにすることとなる。これから始まるのは、世界と名前を巡る物語だ。