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 その少女は、国立博物館に展示された一本の刀を熱心に見ていた。
 最近の流行に詳しいわけではないが、今時女子の間では刀の擬人化が流行っているらしい。
 何がいいのかは俺には分からないけど、この前真剣にスマホゲームをプレイしている後輩から熱心なプレゼンを受けてからというもの、なんとなく刀を見ると反応せざるを得なくなってしまった。
 なんて、ちょっと逸れたことを考えながら少女の隣に立ち、ガラスケースの中、展示用照明の光で輝いている刀身を見つめた。
 ……確かに、室長と後輩が是非見ろと言っていた理由が分かる。刀に詳しくない俺でも、これには美しさを感じた。
「すげ……」
「綺麗、でしょう?」
 俺の漏らした感嘆の声に、不意な返事があった。視線をそちらに向けると、少女が俺を見て微笑んでいる。
「この刀」
「あっ、ハイ」
 突然の事だったので困惑気味の返事をしてしまったけど、少女はあまり気にする素振りを見せずにクスッと上品に笑って、再び刀の方に目を向けていた。
 少女と会話出来ていた事にホッとしつつ、俺もガラスケースの中を見る。
「……不思議、ですよね」
「はい?」
「刀って、本来人を殺す為に作られた物じゃないですか。この博物館に展示されている刀のいくつかは、実際戦で使われて人を斬ってるわけですし。なのに何百年も経った今、絵や彫刻と同じように『美術品』として人々に見られているんですから。絶対、この刀を作った人や使っていた人が知ったらビックリして腰を抜かしてしまうかもしれません」
 少女の言葉を聞いて、俺は確かにな、と思ってしまった。
 刀、というのは本来戦いの為に作られたものだ。けれども今こうして美術品としての価値があるものとして存在している。
 目の前のガラスケースに収められた刀が、過去に何人もの命を奪った凶器なのだと思って見ると、なんだか妙な気分になってしまう。
「言われてみれば、確かに」
「そうですよね! 良かった」
 俺の同意が得られたことに、少女はあからさまな安堵を示す。
「私の話って、そんなにおかしいですかね」
「はい?」
「だって、こうしてこの刀を見ている人に話かけても全然返事してくれる人居なくって。話の途中で次の展示に移動しちゃう人ばっかりだったから」
 ああ、なるほど。
 この少女は自分の話を聞いて貰えない事を不満に思っていた訳だ。しかし、それだけの理由でここに留まり続けるものだろうか。
「いやまあ、そんなことないですけど。でも、なんでここにわざわざ居るんですか? 話を聞いて貰いたいなら、もっと居るべきところに居た方がいいと思うんですが」
「――待って、居るんです」
 俺の問いに少し置いて、少女は答えた。
「彼が、この刀の事が好きで。いつもこの博物館に来ては刀をずっと見てたんです」
「彼?」
「私の大切な人です。実はさっきの話も、彼がいつも口癖のように話してくれた事なんです。最初はよく分からなかったけど、今なら私も理解できます」
 ガラスケースの中を愛おしそうに見つめながら、少女は続ける。
「同じ話ばかりしてくれたから、私はいつも退屈でした。違う所に遊びに行きたくても、彼は頑としてここに来たがって。でも最近は全然会えないから、ここに居ればまた彼は来てくれるって、信じているんです」
「……連絡しようと考えたことは」
「ええ? 連絡したって無駄ですよ」
「どうして?」
「だって彼はあの日事故で――――あ」
 その時、凍り付いたような音が聞こえた気がした。
 分かっていた事だ。でも、俺の仕事は、彼女を縛り付けているものを思い出させて自覚させる事なのだから。
 目を見開いて、元々血の気のない青白い顔を更に青白くさせている少女から目を背ける。いつも、この瞬間だけは慣れない。
 俺は、彼女にとって残酷な事実を叩きつけるべく口を開く。
「そう。貴女の待ち人はもう二度と来ません。十年前の今日、交通事故でお亡くなりになりました。そして」
「止めて!」
 聞きたくない、というように遮って耳を塞いでしまう少女。それでも俺は止める訳にじゃいかないのだ。
「貴女は彼の死に耐えきれず、その後を追って……命を、断った」
 息を飲んだような音の後、少女が崩れ落ちる。
「そうして衝動的に後を追った貴女は死んだことに気づかず、ただ来ない彼を待ち続けるためにここに居たんですね。十年もの間」
「……そう、そうでした。私は、あの人が来ない事、最初は分かっていたの。でも、行くべきところへ行ってしまったら、きっとこの思い出が消えてしまう。そうして長い間ここに居るうちに、忘れてしまったのね。自分が死んでいる事も……彼が、死んでしまっている事も」
 言い聞かせるように呟いて、少女はふらりと立ち上がって俺の方を見た。
「あなた、もしかして死神さん?」
「まあ、似たようなもんです」
「ってことは、私を迎えに来たのかしら」
 迎えに来たのなら十年前にとっくに来ている。むしろ、そんな長く放置されていた管理のずさんさに嫌気を覚えた。
「迎えっていうのもあるんですけど、頼まれたんですよ。貴女が、待っていた相手に」
 俺の一言に、少女は面食らったように目を大きく開いた。
「どうもしかるべき場所でずっと待ってたみたいなんですけど、相手がなかなか来ないから探して欲しいって」
「……そう、そうだった、のですね」
 今にも泣いてしまいそうな表情で絞り出すように言った少女の体が、空気に溶けていく。
「ありがとうございます。やっと、あっちに行く決心がついた」
「そりゃあよかったです。まあ、こういうのも変な話ですけど、お幸せに」
 最後に、見たことないくらい満足そうな笑顔を浮かべて、少女は消えていった。
 残された俺は、少女が熱心に見ていた刀に目をやる。
 こうして美術品になってしまった刀だけど、刀の用途という概念は変っていないのだろう。
 強すぎる人の想いのように。

                                  (終)