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『描写のテーマ:食事シーン』 著:虹樹乃 真

 

 自分の部屋を出て真っ直ぐ行くとダイニングルームがある。星野舞華は、ピンクのワンピースに身を包み、眠い目を擦りながら赤茶色の豪勢なドアを開ける。
「おはよう、草原」
 舞華はあくびを噛み殺し、挨拶をする。
 豪勢な作りの部屋に見合わぬ、こぢんまりとした普通の木のテーブルが中央にあり、テーブルは赤いランチョンマットが一枚ひかれている。声をかけられた燕尾服の男が向こう側にあるキッチンで食事の準備をしているところだった。最初は首だけこちらを見て、声の主を確認すると、キッチンから出てきて、歩み寄ってくる。
「お嬢様、おはようございます。よく眠れましたか?」
「んー」
 そのまま流れるような仕草で、背もたれ付きの椅子を引き、座るように促す男‐草原常雄は、ぼーっとした表情で座った舞華をまじまじと見たと思えば、眼鏡の奥で楽しげに笑って言う。
「失礼ですが、その髪のハネはファッションですか?」
 くつくつと喉を鳴らすように笑われて、舞華は慌てて右手ではねた髪を抑え、恥ずかしさから顔を赤くする。
「う、うるさい。いいから朝ごはん持ってきてよ」
 自分の主に八つ当たり気味に命令をされても、常雄は面白いものを見たとばかりに肩をすくめた。
「かしこまりました」
 そのままキッチンから皿ごと運んでくる。黄色い卵生地が目立つ、舞華の大好きな料理。
「オムライス!」
 先ほどまで怒っていたことも忘れ、思わずはしゃいでしまう。 差し出されたオムライスは、赤いケチャップがかかっていて、美味しそうな香りをしている。
「お嬢様は現金な方ですね。」
「そんじゃ、いただきます!」
 草原の話を聞き流し、手を合わせる。
 ふわふわの卵のベールの端をほんの少し、スプーンをいれる。
 顔を覗かせるオレンジ色のケチャップライスを一緒に掬って、口に含む。
 ふわりとケチャップの辛みと卵の甘さが混ざる。スプーンの動くスピードは一定に、でも舞華の口元が綻ぶ。朝からぼーっとしていた思考がはっきりとしてくる。
 それを見て、満足げに頷いた草原は、目の前のキッチンに近い椅子に回り、すっと伸ばした手で指し示す。
「座っても大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。いちいち聞かなくてもいいのに」
 毎度のように聞いてくる彼に舞華は呆れた顔をする。
 許可をもらった草原は失礼します、と言って座る。
「そういうわけにもいきませんよ。〝一応〟星野家のお嬢様ですから」
「〝一応〟って……。一言余計。お嬢様じゃなくてもかまわないもん」
 ムカッとしてスプーンの先を向こうにむける舞華に、落ち着かせるようにため息をつく。
「あー、はいはい。私が悪かったです。カッとなるのは、お嬢様の悪い癖ですね。食事中ですよ」
「元々、話しかけてきたのはそっちでしょ。相変わらず、よくわかんないけどムカつく奴」
「これが私ですので。入れ替わりでもしない限りどうにもなりませんね」
 皮肉まじりに煽る草原に対して、どうしてこうも突っかかってくるのか合点がいく。

 なるほど、どうやら昨日、誠太と入れ替わって、勝手に敷地外に出たのを相当根に持っているらしい。
 
 先日、舞華に付いていくと決めたとはいえそう簡単に彼の本質や性格は変わらない。彼の言う通り急に変わられても、それはそれで困るのだが。
 多少言い合いをしつつも、残り少なくなってきたオムライスを見た草原は、話を切り替えるように、大切な思い出を開くように、レンガの壁を目でなぞり、言う。
「それにしても、未だにお好きなものが卵たっぷりのオムライスとは。お嬢様はいくつになっても変わらないのですね」
「美味しいものは美味しいって言っていたいのよ。規制も統制もされる世界なんて息苦しい。あんなもの知らないでいたいもの」
 どこか遠くを見るように、原因を睨みつけるように、木々の葉っぱしか見えず、世の中から隔離された分厚い窓を見ている。
「お嬢様が現状を憂いているのはわかっております。それがどうにかして越えなければならない高い壁だということも」
 最初は外がどんな世界か知りたかった。すごいと言い聞かされ、純粋に信じ続けたそれを見たかった。

 ――舞華は心配する必要なんてない。おれがこの世界を守るから。それがこの家なんだ。舞華の大好きなオムライスのように、我が一族が、世の中を包みこんでいるんだよ
 ――なにそれ。お兄様の例えが意味わかんないけど、面白い!
 ――いつかわかるさ

 なにそれ、嘘つき。

 上流階級の名のもとに勝手に姫扱いされ、ひとつの失敗で地の底に叩き落すような連中が作り上げた世界か知りたくなった。
 空っぽになったオムライスの皿を見つめる。
 剣斗の家庭が壊されたことを聞いてしまった。
 美味しくないパセリを飲み込む。
 草原がどうして星野家に雇われたのか知ってしまった。
 ごちそうさまでした、と手を合わせる。美味しかったのだが、忘れてはいけないことを思い出した。お下げしますね。そういって、皿をさげるその手にはかすかに傷が残っている。
 信じていたものが幻想だったとわかってしまった。
「だからといって、勝手に敷地外に行くのはダメですからね。もし、母屋にいらっしゃるご主人様や奏太様にバレたら、面倒なことになるのはお嬢様ですよ」
 身をもって知っている。気をつけろ。言葉はなかったが、その目は舞華を心配していた。
「ごめんなさい」
 舞華はそっと謝った。

〈終〉