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投稿制作実習
『スフィンクスの贈り物』 著:藤崎平太

「『口が聞けなくて、目が見えなくて、おまけに片手も使えない』。これなーんだ?」
 僕がそのナゾナゾを柊このえ先輩に吹っ掛けたのは、十一月も終わろうかという日の放課後のことである。
 その時、僕とこのえ先輩は校舎の外れにある家庭科室の隣にくっ付いている小部屋にいた。家庭科資料室、というプレートがドアにかかっているその部屋は、読んで字のごとくの資料室で、余っている教科書や埃を被った模型、家庭科の授業で使うのであろう刺繍用の木枠などが雑に押し込まれており、足の踏み場も覚束ない。唯一、部屋の真ん中にある長机の周りだけ、そこで作業できるよう整えられている。
 そんな、狭いばかりか小汚くもあるこの部屋を訪れる生徒は殆どいないのだが、僕とこのえ先輩だけは週三回、月水金の放課後にここに来る。何故かと問われればそれは僕らがこの学校でたった二人の手芸部員であり、家庭科資料室が手芸部の部室だからである。手芸部なら家庭科室に拠点を置きそうなものなのだが、残念ながらそちらは料理研究を主活動とする家庭科部に占拠されているため、吹けば飛ぶような手芸部としてはこちらに引っ込むしかなかったのだ。
 というわけで、現在、僕とこのえ先輩は部活動の真っ最中である。
 基本的に、部活中の僕らの間に言葉数は少ない。僕は慣れない編み物に四苦八苦していてお喋りどころではないし、元々自分からペラペラ喋るタイプではないこのえ先輩は慣れた様子でドールに着せるための衣装を作っている。
 部員数の体裁を整えるために、とこのえ先輩から頼まれて渋々入部した僕としては、当初この無言時間に戸惑いを覚えたりもした。手芸なんてやったこともなかったし、かといって作業中の先輩に話しかけても迷惑に違いない。幽霊部員を決め込むというのも手だったろうが、一度入部すると頷いた以上、それはそれで甲斐性を疑われそうで嫌だった。だから僕も、見様見真似で編み物に手を出してみたのだが、これが中々、今まで見向きもしていなかった分新鮮な経験で面白く、気づけば僕も立派な手芸部員である。窓から差し込む冬晴れ空の夕日を背景に黙々と作業するこの時間が心地よい。
 女子の先輩と二人きりの部活動で、何を話すでもなく毛糸玉と格闘し続けるのは青春の王道を外している気もしなくはないが、僕はこれでいい。少なくとも今は。
 とはいえ、そうはいっても部活中に全く無言ということはない。
 僕らだって喋るときは喋る。
 それは例えば、二人して目や神経の疲れを感じ、手に持っていた編み棒や針を机の上に置いて同時にため息をついた瞬間である。
 ふう、と肩の力を抜いて、ペットボトルのお茶や水筒に入れた果実水なんかを口にしつつ、他愛もない言葉を交わし、十分くらいしたらまた作業に戻る。三十分くらい手を動かし、また疲れた頃にもう一度インターバル。下校時刻を知らせるチャイムが鳴るまでその流れを繰り返したら、後片付けをしてまた次回……というのが、僕とこのえ先輩のいつもの部活風景であった。
 この日もそうだった。
 家庭科資料室に集まった僕らは、資料室唯一の聖域である長机を挟む形で向かい合って座り、思い思いの作業を続けた。大体三十分、正確には二十八分と四十秒が経過した辺りで、一度目の休憩タイムである。そして購買で買った天然水で少々喉を潤したところで、ふと、今朝友人から聞いたばかりのナゾナゾのことを思い出した――というわけで、冒頭のナゾナゾに戻る。
『口が聞けなくて、目が見えなくて、おまけに片手も使えない。これなーんだ』
 何の前置きもなく僕がそんなことを口走ったものだから、発言の意図を理解し損ねたらしいこのえ先輩は、こてん、と首を横に倒した。
「なあに? それ」
「ナゾナゾですよ、ナゾナゾ」
 僕がそう答えると、このえ先輩は傾けていた頭の角度を元に戻し、ふわふわした髪を揺らしながら今度は首を横に振った。
「もちろんナゾナゾなのはわかるよ。でも聞きたいのはそこじゃなくて、どうして急にナゾナゾを? ってところかな」
 和泉君がそういうの好きだって知らなかったけど、とこのえ先輩は言った。
 それはその通りで、実際僕はナゾナゾにあまり興味が無い。トンチや言葉遊びとしては面白いと思うが、一対一のコミュニケーションツール、あるいは暇つぶしの遊戯としてのナゾナゾはそんなに面白いと思わない。大概ナゾナゾというのは屁理屈にもなっていないダジャレがほとんどで、答えを聞いても「あっそ」か「死ね」で終わってしまうからだ。
 という僕のナゾナゾへの見解をこのえ先輩に話すと、先輩は「だよね」と微かに呆れ笑いを浮かべながら頷いて、
「だから、あるんでしょう? 急にナゾナゾを出したくなった理由」
「もちろん。で、それを説明するにあたってちょっと見てほしいものがあるんですが」
「……?」
 きょとんとする先輩を横目に見ながら、僕は足元に置いていた鞄に手を伸ばし、中から小さな箱を取り出した。大きさを例えるのが若干難しいが、カードゲームのデッキケースが一番近い。他の比喩を頑張ってひねり出すなら、名刺入れを二つ重ねたくらいの大きさ、といえば概ね間違いではないはずだ。
 箱はステンレスだかアルミだか、とにかく軽金属で出来ており、蝶番がついている。つまり結婚指輪の入れ物のように開閉できる作りである。と、ここまではなんてことはない入れ物に過ぎないが、特徴的なのは、蝶番がある面の反対側にくっ付いている鍵である。
 それはダイヤル錠であった。
 妙に厳ついそのダイヤルは、パッと見ただけではやけに大きいだけでありがちな六ケタのダイヤル錠なのだが、よく見るとケタの一つ一つが一から九の数字ではなくアルファベットのAからZ、二十六の選択肢がある。そりゃあ厳つい造りにもなろうというものだ。
 僕がその箱を長机の上に置くと、このえ先輩はそれを手に取ってしげしげと眺めた。
「……変わった箱だね」
「でしょう? ……で、さっきのナゾナゾの話なんですが――」
「あ、もしかして」
「流石に気づきます?」
「ナゾナゾの答えが、このダイヤルの合言葉。そういうことかな?」
「さすが」
 察しが早くて助かる。
 このえ先輩は「なるほどね~」なんて言いながら箱を机の上に戻し、ちなみに、と言葉を続けた。
「それで、ナゾナゾの答えは何なのかな」
「さあ?」
 お、このえ先輩が珍しい顔をしている。
 頭の回転が速い彼女がこんなにも分かりやすく表情をフリーズさせる場面は中々見られるものじゃない。よほど想定外の返事だったんだろうな。
「……知らないの?」
「はい。この箱、僕のじゃありませんから」
「じゃあ、どうして和泉君が?」
 それを今から説明する。
 この変わったダイヤル錠の付いた箱を僕が手にした経緯と、何故合言葉のヒントであるナゾナゾをこのえ先輩に出題しようと思ったかのその理由。この二つを説明するために、時系列を少々遡ろうと思う。
 僕は咳払いを一つして、今朝の出来事について話し始めた。

   ※   ※   ※

 鹿角光太郎、という男がいる。
 品行方正には程遠いものの、行動力とコミュニケーション能力に長けた、所謂世渡り上手な性格の男である。まあこの男に関しては性格以外にも色々と、語るところが多いというべきか叩けば埃が出るというべきか、とにかく話すネタには尽きない男なのではあるが、それはまた別の機会ということにして今は割愛する。今覚えておいてもらいたいことは、この鹿角孝太郎と僕こと和泉一は、中学一年の頃からの友人、あるいは腐れ縁の関係だということである。
 その鹿角が僕に話しかけてきたのは、今朝のホームルームが終わった直後の休み時間のことであった。
 教室の隅の席で文庫本を読んでいた僕の元に、ちょっと頼みたいことがあるんだが、と鹿角がらしくもなく神妙そうな顔でやってきた。何事かと身構えた僕の前に鹿角が差し出したのが、このえ先輩に見せた例の箱である。
 当然、僕はこう言った。
「なんだこれ」
 鹿角は答えた。
「箱だな」
「確かに。自転車には見えないもんな」
 帰れ、と僕がジェスチャーで示すと、鹿角はバツが悪そうに笑いながら「すまんすまん」と謝って、
「まあそう言わずにちょっと頼まれてくれんか。結構困ってんだよ」
「困ってる? ……もちろん話を聞くくらいなら構わないけど、この箱の何にそんな困ってるんだ?」
 僕の問いに対し、鹿角は即答しなかった。「どう説明したものかな」なんていいながら、うまい言葉を考えているように見える。
 こいつがこんなに歯切れが悪いことも珍しい――親が離婚したという話を聞かされたときでもこうはなっていなかった。それだけ込み入った事情があるということなのか、それとも何かに配慮して言葉を選んでいるのか、表情からではどちらとも判別できず、僕はただ鹿角が喋りだすのを待った。
 やがて鹿角は絞り出すように言った。
「……その箱な? 誕生日プレゼントに貰ったやつなんだ」
「誕生日? あー、そういや二週間前くらいだったな」
「そう。で、先週くらいに家で誕生日のお祝いみたいなのをやったわけ」
「初耳なんだけど?」
「そりゃ呼んでないからな」
「あっそ」
 友人甲斐の無い奴め。
「話を戻していいか?」
「好きにしろ」
「了解。といっても説明することはあんまなくて、要はその誕生日の祝いの席でその箱をもらった、ってだけのことなんだが」
「ふーん。誰からもらったんだ? 親御さん?」
「いや。……幼馴染から」
 幼馴染、という単語を、鹿角は人目を憚っているかのような小声で口にした。
 そんなに聞かれてはまずいだろうか。まあ確かに、ラブコメ作品のせいで幼馴染という言葉に余計なニュアンスがくっ付いていることは否定できないが、そこまで過剰反応するような馬鹿もいないと思うのだが……。
 いや。待てよ。
「……お前の言う幼馴染って、夢野小晴のことか?」
 鹿角は無言でうなずいた――なるほど、確かにそれは人目を憚った方がいい。
 夢野小晴。
 鹿角を介して以前に一度だけ会ったことのあるその少女は、鹿角が幼稚園の頃から家族ぐるみで仲良くしている幼馴染である。まっすぐで綺麗な黒い髪を持ち、気の強そうな目をしていながら些細なことでよく笑う子だった。長々と喋ったことがあるわけでもないから詳しくは分からないが、性格もよかったのではないだろうか。口調や言葉選びの端々から気遣いのようなものを感じた覚えがある。
 と、ここまでの紹介だけでも、こんな子と幼馴染の野郎は世の紳士諸君から嫉妬の矢を射られても文句はいえないだろうな、と想像できるのだが、問題なのは――というより、少々事情を厄介にさせているのは、彼女が今売り出し中の現役歌手だ、という点に尽きる。
 趣味として動画サイトに登校したオリジナル楽曲が評価されてプロデビュー、先月に二枚目のシングルを発表し、爆発的とは言えないまでも着実にチャートを伸ばし続けている新進気鋭の少女シンガー。それが夢野小晴である。
 別に歌手に異性の幼馴染がいたってよさそうなものなのだが、三十過ぎた演歌歌手ならばともかく、ポップソングを歌う十七歳の少女となると、世間はどうしてもアイドル的な幻想を抱くものだ。そういう目線のせいで最近随分会いにくくなった、と鹿角が愚痴っていたのを覚えている。先週僕の知らないところで行われていたらしい鹿角の誕生会に参加したことも、彼女の境遇を考えれば結構な冒険と言わざるを得ないだろう。そんな状況でちゃんと誕生日プレゼントをもらえた鹿角のことは、素直に羨ましいと思える。いい幼馴染持ってんなあ、この野郎。
 ……で、今の話のどこに困る要素があったのだ?
 そりゃあ多少の苦労はあったかもしれないが、聞く限り幼馴染の絆を感じるいい話でしかないのだが。
 僕が鹿角にそう尋ねると、
「困ってるっていうのはその箱のことだ」
 と彼は答えた。
「箱? なんで?」
「鍵がねえんだよ」
「……鍵がない、って言ったってお前、この箱の鍵はダイヤル錠じゃないか。失くしたくても失くせないぞ」
「そうじゃねえよ。つまりだな、そのダイヤル錠のパスワードが分かんないんだ」
「……何だって?」
「教えられてないんだよ。小晴から」
 それは――どういうことだ?
 誕生日プレゼントをダイヤル錠付きの箱に入れて渡すというのも考えてみればおかしな行為だが、そこはまあスルー出来なくもない。だが、そのパスワードをプレゼントの受け取り手に教えないという行為にどういう意味があるのだろう。
 ……分からない。
 が、鹿角が何に困惑しているのかはよく分かった。
「つまり、このダイヤル錠の解錠パスを解明してくれ、とそう言いたいんだな? 鹿角」
「そういうこった。……一応、ヒントが無いわけじゃない。箱と一緒に小晴から渡されたプレゼントカードがある」
 そう言いつつ鹿角がポケットから引っ張り出して僕に寄越したのは、名刺くらいのサイズのメッセージカードだった。
 そこに書いてあったのが、例のナゾナゾである。
『目が見えなくて、口が聞けなくて、おまけに片手もつかえない。これなーんだ』。
 ナゾナゾはボールペンで手書きされており、カードの隅っこには夢野小晴のサインが書かれている。自分で考えたナゾナゾらしいぞ、と鹿角が言った。
 このえ先輩同様、僕もすぐにピンときた。要するに、このナゾナゾの答えがダイヤル錠の合言葉と一致するというわけだ。ノーヒントで二十六の六乗もある選択肢の中から正解を見つけ出すことは不可能だが、ナゾナゾの答えを考えるのは不可能じゃない。
 少なくとも、柊このえ先輩ならできる。確実に。
「頼む和泉。柊先輩の力を借りようが何しようが構わんからその答えを解いてくれ。もう一週間も考えてるんだ。いい加減ケリをつけたい」
 友人に頭を下げさせたのだ。任せとけ、以外に言うべきことはない。
 僕は二つ返事で頷いた。

   ※   ※  ※

「しかし、今日一日考えてもまるで歯が立たなかったので、こうしてこのえ先輩を頼っているわけです」
「諦めるのが早くないかな……」
 そう言われても。
 論理パズルだというのならばともかく、相手はナゾナゾだ。一瞬考えて答えが出ないからといって延々と考え続けたところで分かりっこない。閃くか、閃かないかの問題でしかないのだから。
 僕がそう主張すると、このえ先輩は「それはそうだけど」とため息をついた。
「でも、同じように私にも解けなかったらどうするの?」
「その可能性は考えてませんでした」
 だって解けるでしょ。先輩なら。
「……どこからくるのかな、その確信」
「ここ半年の経験ですかね。学校の周りで猫殺しが出た時も、生徒会長のストーカーが現れた時も、音楽室からグランドピアノが姿を消した時も、犯人を見つけたのは全部先輩だったじゃないですか。最近たまに噂されてますよ。手芸部の名探偵、って」
「もう……誰が広めてるの? その噂」
 ええまあ、僕なんですけど。
 このえ先輩が好き好んで事件に首を突っ込んだわけではないことくらい重々承知しているが、嘘は一つも言っていないのだから仕方ない。生徒や教師、時には警察なんかも首をひねるような事件の犯人をこのえ先輩が特定したのは事実なのだ。
 謎だろうがナゾナゾだろうが、このえ先輩なら解いてくれる。
 僕はそう信じている。
「お願いします、先輩。おかしな言い草かもしれないですけど、鹿角があんなに真剣に人に物を頼んでるところは久しぶりに見たんですよ」
 僕はそう言って頭を下げる。今朝の鹿角と同じように。
「はぁ~……」
 このえ先輩は大きく深く、再びため息をつき、
「仕方ないかな。保証はしないけど、ちょっと考えてみようか」
 と、少しだけ寂しそうに笑いながら言った。
 申し訳ない、と僕は思った。
 手芸部の日常風景である無言の作業時間。このえ先輩があの時間を大事にしていることを僕は理解している。にも拘わらず、僕はそれを取り上げてナゾナゾを解かせようとしているわけだ。何より卑怯なのは、友人のためにお願いします、と頼んだら先輩は断らないし、それが原因で先輩に嫌われるようなこともないだろう、と僕が知っていることである。
 ……あー、うまくいかないなぁ。
 どうしてこうなってしまのか、と自分の情けなさを恨めしく思うが、もう頼んでしまったのだから今更「やっぱいいです」とは言えない。言ったところでこのえ先輩は聞き入れやしないだろう。そういうところは案外頑固なのだ、この先輩は。
「ん~……」
 僕が自己嫌悪に陥っている間、このえ先輩は目線を下に向けて机の上にある箱を眺めながら、右手を顎に添えて何かを考えていた。こういう時、何かヒントになるようなことを言えればいいのだけれど、残念ながら僕では手に負えない問題だということが分かってしまっているので何も言えることがない。余計なことを喋ったって先輩の邪魔になるだけだ。
「『目が見えなくて、口が聞けなくて、片手が使えない』……」
 復唱しながら頭をひねっているこのえ先輩を見守ること、約一分。
 うーん、と小さく唸って、このえ先輩が顔を上げた。
「やっぱり、私もナゾナゾって好きじゃないかな」
 は?
「え、あの、先輩……?」
「だって、おかしいもん。『パンはパンでも食べられないパン』の答えがフライパンだなんて、どう考えてもそうはならないでしょう? フライパンはパンじゃないんだから質問の答えになってないし、普通の食パンだって小麦アレルギーの人は食べられないよ」
「いやー……それは……」
「ナゾナゾは考えたら負け、っていうけど……勘だけの遊びだったら面白くないと思うの」
「……ごもっともですね」
 回答に納得がいかないなんて日常茶飯事だし、時には別回答が次々にこじつけられるような酷い問題もある。何というか、ナゾナゾに対する答えを考えるのではなく、ナゾナゾを出した出題者がどういう趣向の答えを期待しているのかを当てさせられているような気がして愉快ではない。
 僕がそういうと、先輩は「うんうん!」と力強く頷いた……この人がこんなに力を入れている場面を久しぶりに見た気がするが、そんなにもナゾナゾにヘイトがおありで? 何か嫌な思い出でもあるのだろうか。
「……でも、今いいこと言ったね、和泉君」
「はい?」
「ナゾナゾを無理して解く必要はないんじゃないかなって。私たちの最終目的は『箱のパスワードの解明』なんだから、問題文はあくまでそのヒントとしてとらえるべきだよ」
「……なるほど」
「つまり、今和泉君が言った通り、『出題者の求めている答え』を考えようというわけ。この場合、箱は夢野小晴さんが鹿角君にプレゼントしたものなんだから、出題者は夢野さん。夢野さんは、どういう答えが欲しくてそのナゾナゾを出したんだろう?」
 ナゾナゾの解き方としては大分外道な方法ではあるが、必要な答えを得るための方法としては真っ当なプロセスだ。
 夢野小晴が鹿角に誕生日プレゼントと称して渡した以上、彼女は鹿角にこのナゾナゾを解いてもらいたいと思っている、と考えるのが妥当だろう。であれば、鹿角にも解けるような問題と答えを用意しているはずだ。
 とすると、ナゾナゾの答えはそこまで捻くったものではないかもしれない。
「私もそう思うかな」
 頷くこのえ先輩。
「付け加えるなら、これは夢野小晴さんが作ったナゾナゾだ、って言う部分も大事かな」
「それは、どうして?」
「夢野さんは曲とか歌を作れる人だから言葉の素人とは言えないだろうけど、それでもナゾナゾを作るプロじゃない、ってこと」
 確かに。
 多少詩を書いたことがあるとはいえ、ナゾナゾ製作は素人の夢野小晴が作ったナゾナゾなのだ、これは。そう考えてみると、ナゾナゾの答えはシンプルな言葉であろう、という仮説に信憑性が増す。
「少なくとも、辞書を引かないと分からないような単語が答え、って言うことはないと思うかな。同じように、アルファベットはアルファベットでも実はドイツ語でした、フランス語でした、っていうようなこともないと思う」
 ユニセフみたいな略語、っていうことも同じ理由で考えづらいかな、とこのえ先輩は呟くように言った。
 ということは、ナゾナゾの答え、延いてはダイヤル錠の合言葉は、六文字で作られる英単語である可能性が高い。それも、学校や町中で見聞きするような単語である。そうでなければ、問題の作り手はともかくとしても解き手、つまり鹿角光太郎にとってあまりに不親切な問題ということになってしまう。プレゼントとして渡す箱にくっつけるナゾナゾなのだ。そのあたりは気を使っているはずだろう。
「大分絞れた気がしますね……といっても候補が二千語くらいありそうですけど」
「あはは……でも、ヒントにはなるでしょう? それに、六文字の英単語の数は星の数ほどあったとしても、その中から夢野さんが選びそうな単語、ってなるとさらに絞れてくるんじゃないかな」
「確かに。変な動詞とかスラングは使わないでしょうからね」
「もっとも、そうは言ってもナゾナゾだからね。謎かけでもパズルでもなくナゾナゾを出題したからには、ストレートに一直線な単語は選んでないかもしれない。例えば、このナゾナゾの文に『目』『口』『片手』っていう単語があるから、何かの動物の名前が答えなんじゃないか、っていうのは流石に早計かな」
 食べられないパンの答えがフライパンになる。ナゾナゾとはそういうものだ。
「……だとすると、語呂合わせが答えってパターンでしょうか」
「そう……かもしれないけど、それもどうかな」
 このえ先輩は首を横に振る。
「夢野さんがどれくらい英語の成績がいいのかわからないけど……和泉君、英文でダジャレってパッと作れる?」
「……無理ですね」
「ダジャレですら難しいのに、語呂合わせや言葉遊びを英語で作るのは厳しいんじゃないかな。ましてやそれをナゾナゾという形に落としこむなんて、バイリンガルとかでもないかぎり……」
「ですね」
 大方、日本語で考えたナゾナゾの答えを英単語に直しただけだろう。
 そう考えると、これも一つの答えのヒントだ。
「……語呂合わせでもないのなら、スフィンクスのナゾナゾみたいな感じなんでしょうか?」
 朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足の生き物はなんだ? ――有名なスフィンクスの問いかけだ。
 これの答えは『人間』である。朝――人生の始まりである赤ちゃんの頃は四つん這いで、昼――人生の中頃、健康な肉体を保っている間は二足歩行。夜――晩年に近づくにつれて体は衰え、杖を突いて歩く三本足、というわけだ。
 つまり、この問題文はあくまで比喩で、この比喩が何を表しているのかということを考えるというパターン。
 勘でピタリ賞を狙うのではなく、頭を使うのが必要なナゾナゾ。もし夢野がこの作り方で問題を作っているのなら、随分と回りくどい方法を選んだものだ。
「解いた時に嬉しいって思ってほしいならこそ、だよ。ただ当てずっぽうで正解したわけじゃなく、試行錯誤した末に答えにたどり着いたほうが、やっと解けたー! っていう気持ちがずっと大きくなるでしょう? そういう表情を見せてほしい、っていうのは、例えるなら出題者から回答者への――」
 喋りかけた口を半開きにしたまま、このえ先輩の動きが止まった。
 たっぷり三秒固まっていたこのえ先輩は、不意に左手で右の手のひらを触り、今度はそちらに目を落とす。
「『片手が使えない』……」
 左手が動き、今度は右手のひらから唇へ。
「『口がきけない』……」
 最後に、目。
「『目が見えない』……! なるほど、そういうこと!」
 ぱあっ、とこのえ先輩の表情が明るくなった。
 僕の方を向いて、にこにこと楽しそうな笑顔で、しかし口調には指示を言付けるような厳しさを含ませて先輩は言う。
「和泉君、今からナゾナゾの答えを教えるけれど、その前に一つ約束して?」
「……は、はい。なんでしょう」
「絶対にその小箱は鹿角君に開けさせること。答えを教えるのはかまわないけれど、小箱の蓋を開けるのは必ず鹿角君自身。それも一人でね」
「は、はあ。まあ中身にはそんな興味もないんで構いませんが……」
「ふふっ、ありがとう」
 先輩は一つ咳払いをした。
「あのナゾナゾの答えはね――」

   ※   ※   ※

 翌日の昼休み。
 僕は鹿角に小箱を返し、同時にナゾナゾの答えと、必ず一人で開けるように、との言伝も伝えた。
 鹿角は困惑しつつも礼を言い、なんと小箱を開けるためだけに仮病を使って学校を早退した……あんなに動揺したヤロウの顔を見たのは初めてだった。
 きっとこれから、彼を主人公にしたストーリーが誰に知られることもなく始まるのだろう。それが小さな一つの物語で終わるのか、何十巻にも跨る壮大な叙事詩になるか、そんなことは今の僕に知りようもないし、大して興味もないので後から知ろうとも思わない。鹿角光太郎の人生は鹿角光太郎自身で決めればいい。
 ――あのナゾナゾの答えは『LOVERS』。
 解き方は、聞いてみれば案外簡単で、夢野小晴が一生懸命考えたと思うと可愛らしく感じる程度のものだった。
 手を繋いでいては、『片手は使えない』。キスをしていては『口がきけない』――口が使えない、のではなく口がきけない、つまり言葉を言えない、としてあるのもヒントだったようだ。そして、『目が見えない』のは、みなさんご存じのフレーズ「愛は盲目」。
 捻っていると言えば捻っているし、ストレートと言われればストレートな内容である。
 おそらく夢野は、自分の立場を鑑みてこんな回りくどい方法で鹿角に言葉を伝えようと思ったのだろう。アイドル歌手がこんなことを大っぴらに言うわけにはいかない、けれども伝えないことには積年の感情が収まらない。その心情を理解するのに僕では役者不足だが、彼女の純真さには敬服すら覚える。
 さて、そんなにも乙女なパスワードで開く箱の中に、いったい何が入っていたのだろうか。そんなことをだらだら想像するのも野暮というものなので、僕は午後の授業を聞き流してから、放課後、このえ先輩に事の顛末を報告に行くことにする。今日は手芸部の活動が無い日なので、直接先輩がいる教室まで赴くとしよう。
 ……そういえば、どうしてこの答えが閃いたのか、と尋ねたら、このえ先輩はこう言っていた。
「問題を解いて喜んでる顔が見たい。プレゼントの中身を見て驚いてる顔が見たい。あの人の色んな表情が見たい。そういう気持ちを恋心って呼ぶんじゃないかな、って思ったの。夢野さんは、自分の中にそれがあるって気づいたから、あのプレゼントを用意したんじゃないかな」
 正直、僕にはそれを肯定できなければ否定もできない。どうにも色恋というものに縁がないものだから、そういうことを考えたこともなかった。
 まあでも……。
 表情の変化を好ましく思うというのは、それが恋かどうかは置いておいて理解できる気がする。たとえば部活中のこのえ先輩だってそうだ。真剣な顔で針を通している時の先輩の顔と、どうでもいい世間話をしている時の顔、手元がくるって指に針が刺さり声をあげてしまった後の少し恥ずかしそうな顔。他にはどんな表情をしていたっけ。僕が見たことのない先輩の表情だっていっぱいあるだろうし、そう思ってみると――。
 余計なことを考え出す前に、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。僕は、ぽっかりと空いた早退者の席をぼんやりと眺めていた。

(了)