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テーマ「山の頂上から麓を見る」
『悪戯な君、怖がりな俺』著:原竜ノ介

 後ろを振り返ると、コンクリートで舗装された長く長く長く長い、急勾配の坂道がある。今までこいつを登ってきたのかと思うと、自分に対してご褒美をあげてやりたいくらいの達成感を得られる。しかし同時に、もし仮に万が一、足を滑らせでもしてコロコロ転がりだそうものなら、俺は絶対に死ぬだろうなという恐怖が襲ってくる。
「何……怖いの?」
 振り向いてそう言ったのは俺の恋人。少し煽るように言った彼女に、俺は反射的に振り返ってしまう。
「別に……早く行こうぜ」
 少し先を歩く彼女に追い付くように、俺は早足で歩くが、正直、気が気じゃない。
 だって考えてみろ。このまま早足で歩いて、足つっかえたりしたら、おむすびの如くコロコロ転がって俺はおしゃかになっちまう。こんなとこで死にたくねぇよ。しかも、彼女の目の前なんて……あっ。転がったら目の前じゃねぇじゃん。
 そんなこと関係ないわっ!
 とにかく早足で歩くと、俺は彼女の隣まで来た。
「いきなり早くなるじゃん。何、図星なの?」
 早足の俺を相手に平然と隣を維持して歩き続ける彼女は、ニヤニヤ笑い俺を見る。
「うっせぇ」
 ホントはもっと早く歩きたいが、怖くて足が動かないんだ。これ、内緒だからな。
「まぁさ、もうちょっとで着くから。ほら頑張ろ?」
 そう言った彼女は、少し足を早めて先へ行く。何故彼女は、俺より早く歩けるのだろうか。そんな疑問を持ちながら、彼女の背中を追いかけること、数十分。
「着いたぁっ!」
 彼女の明るい声が響く。見上げていた彼女の背中は、どこか晴れ晴れとしている。彼女が振り向き、俺を見下ろす。両手を大きく子供みたいに振り、跳び跳ねながら彼女は俺を呼ぶ。
「今良い景色だよ! 早く来なって!」
 さっき、もうちょっと、と言われた時安心してたんだが、俺の思っていたより遥かに長く時間がかかっていて、俺はもう一歩も歩きたくなかった。
 だが、彼女に呼ばれちゃ行かない理由が無いだろ。
 俺は、今までで一番早く、もはや軽く走ってる感じで彼女の元へ向かった。彼女の身体が俺の視界をどんどん埋め尽くしていく。少しすると彼女の後ろから、少しだけ日が差してくる。眩しさに目を瞑り、次に開けた時、俺の前に広がっていたのは。
「ねっ。綺麗でしょ」
 山の頂上から見える、麓やその周りの景色だった。
 かなり高い。真っ先に思ったのはそれだったが、それが直ぐに気にならなくなる程に、町と空の景色が良かった。高層ビルなんかから見る都会の街じゃなくて、自然の中にある自然の中に出来た町の景色。その静けさとか、緑っぽい豊かさとか、マイナスイオン的な心地良さが、俺は凄く好きだ。
 空の景色も良い。少し夕暮れがかってる青とオレンジの空が、左から右へグラデーションしている。流れる雲も白くてオレンジ。まるで絵に描いたような空が広がっている。じっと見続けても、空の景色は変わらない。それが絵のようで、ちょっと特別な感じ。
「良い景色、だな」
 なんというか、言葉ではそれしか言えなかった。彼女の顔も見れないけど、きっと満足してるんだろう。
「町も空も、じっくり見るとどこでも綺麗なんだよ。でもここは、それを気づかせてくれる。だから私はここが好き」
 どこでも綺麗か……確かに、思えば俺、空とか町とか、じっくり見た事無かったかもな。
「帰ったら、家の空も見てみよっかな?」
 ふと、そう言葉が漏れた。
「良いんじゃない? 私の家の空も良いよ?」
 なんて、彼女が悪戯っぽく言う。
「ならいつか、そっちを見ようかな?」
「いつでも良いよ。いつでも変わらないし」
 しばらく景色を眺め続けて、俺たちは下山することにした。
「また来ようね。今度は朝とか?」
「良いねぇ。また違った景色が見れそうだ」
 一緒に笑い合いながら、俺たちは山道を進む。
 ただ一つ。下ってる時に思ったのは、またここに来るってことは、またこの恐怖を味わうはめになるってことだ。そして、よくよく考えれば当たり前の話なのだが、登るより下る方が、遥かに怖いっ!
 俺は急勾配の山道を降りる恐怖と、また山に登らなければならないという恐怖と、彼女とのかけがえのない思い出の三つに押し潰されながら、彼女と笑って山を降りたのだった。

(了)